果敢はか)” の例文
万一事実であったらそれは母の寂しい生涯に果敢はかない一点の色彩を加えた物語として竜子は出来るかぎり美しい詩のように考えよう。
寐顔 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
女らしいと云う点からも、美しい器量からも、私は到底彼女の競争者ではなく、月の前の星のように果敢はかなくしおれて了うのであった。
秘密 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
あきかぜ少しそよ/\とすれば、はしのかたより果敢はかなげに破れて、風情ふぜい次第にさびしくなるほど、あめおとなひこれこそは哀れなれ。
あきあはせ (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
兄妹三人のうち一番自分を可愛がつてくれる、その父への親愛も、思慕も、さむ/″\と薄らいでゆくやうな果敢はかない肌触りを感じた。
父の帰宅 (新字旧仮名) / 小寺菊子(著)
引摺ひきずるほどにそのやっこが着た、半纏はんてんの印に、稲穂のまるの着いたのも、それか有らぬか、お孝が以前の、派手を語って果敢はかなく見えた。
日本橋 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
私はそれを見て、果敢はかない望みをこの花にかけてみたのです。もし私が癒るようなら、つぼみをそれまで鎖ざしておいて下さいまし——と。
潜航艇「鷹の城」 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
世の隨意まゝならぬは是非もなし、只ゝいさゝ川、底の流れの通ひもあらで、人はいざ、我れにも語らで、世を果敢はかなむこそ浮世なれ。
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
芭蕉の心がいたんだものは、大宇宙の中に生存して孤独に弱々しくふるえながら、あしのように生活している人間の果敢はかなさと悲しさだった。
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
洗練せんれんされた近代フランス人の「憂鬱ゆううつな朗らかさ」が、大気のように軽く、にじのように鮮麗に、そして夢のように果敢はかなく動くのである。
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
さうして、もしこの冒險ばうけん成功せいこうすれば、いま不安ふあん不定ふてい弱々よわ/\しい自分じぶんすくこと出來できはしまいかと、果敢はかないのぞみいだいたのである。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
熱情はなるほど、生來せいらい闇に迷へるものたるに恥ぢず、烈しく激するであらう。そして慾望はあらゆる果敢はかないことを夢見るだらう。
それにランプの焔はどこかしっかりした底力をもっているのに反して、蝋燭の焔は云わば根のない浮草のように果敢はかない弱い感じがある。
石油ランプ (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
第二は(毒々しき印象の第二である)二歳の時、ほんの少年少女に過ぎなかった彼女の両親が、果敢はかなくも変死をとげてしまったことだ。
江川蘭子 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
後に美妙と結婚して蜜月の甘い陶酔がめない中に果敢はかない悲劇の犠牲となった田沢稲舟たざわいなふねもまたこの寄書欄から出身した女秀才であった。
美妙斎美妙 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
そこに千年ちとせの巖があるのです。巖に花も咲きます。つながりの工合だけで決定されてゆく人生というものは、謂わば果敢はかないものですね。
老、莊、揚、墨、孔丘、釋迦、其他古今の哲學者が觀得みえたる世界を小なりとして、自ら片輪なる世界を造らむは果敢はかなきすさみならまし。
柵草紙の山房論文 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
あしたに生れてはゆうべに死して行かなくてはならない果敢はかない運命、変転極りない運命、こういう事を深く考えて見ると全く、結んでは直に消え
現代語訳 方丈記 (新字新仮名) / 鴨長明(著)
乞食は、果敢はかなく死んでしまったこの男のために、もう何の助けにもならなかった。と、ますますこの男の両親の仕打が腹立たしくなった。
乞食 (新字新仮名) / モーリス・ルヴェル(著)
金谷の宿しゅくで急病が起った為に、とうとう宗兵衛の手にかかって、日坂峠の秋の露、消えて果敢はかなくなりにけりという事になったんでしょう。
半七捕物帳:47 金の蝋燭 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
……そこに夜店の……といっただけでいけなければ、夜あかしの、そうした喰物やのうきくさの果敢はかないいのちは潜んでいる。
浅草風土記 (新字新仮名) / 久保田万太郎(著)
しか彼等かれらは一ぱういうして矛盾むじゆんした羞耻しうちねんせいせられてえるやうな心情しんじやうからひそか果敢はかないひかりしゆとしてむかつてそゝぐのである。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
柏のひつぎの底に、経帳子きょうかたびらにしようと自分が選んでおいたあの絹衣きものにつつまれた白骨をとどめるのみで、あわれ果敢はかなく朽ちはてているであろう。
初雪 (新字新仮名) / ギ・ド・モーパッサン(著)
こうまで果敢はかない人生をどうしてあんなに気強い事が言えたのかと、いまさらながら昔の自分のそんな無信仰が悔やまれてならないのだった。
かげろうの日記 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
その貰えるって言葉が哀れ果敢はかない身分を証明している。男一匹、情けないじゃないか? 僕達は天から与えられた材幹によって養家の財産を
秀才養子鑑 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
彼は如何にしてか死刑を逃れ、神楽坂署長以下に恨みを述べ、懐しき妻子にも会わんものと数年間果敢はかない努力をし続けた。
支倉事件 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
幸福だと? そんなものは空想の概念だけで、けっして、ある現実的な状態をいうものではない。果敢はかない希望が、名前を得ただけのものじゃ。
悟浄出世 (新字新仮名) / 中島敦(著)
一説には神の愛するものが米子の方にあつて、夜明を告ぐる鷄のために果敢はかない逢瀬をさまたげられた爲であるともいふ。
山陰土産 (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
あなたの父上の負うべき一切のものを負わされて、わたしたちの果敢はかない宿命の愛が誤れる第一歩を踏み出したのでした。
恐怖城 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
女の肉体美が如何に果敢はかないものか……無常迅速なものかという事を悟らせるにはこの六個の腐敗美人像だけで沢山なのだ。……論より証拠だ。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
女子おなごの世に生れし甲斐かい今日知りてこの嬉しさ果敢はかなや終り初物はつもの、あなたは旅の御客、あうも別れも旭日あさひがあの木梢こずえ離れぬ内
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
今生こんじょうでの、お別れになるかと思いますと、生きているのも果敢はかなく覚えますが、然し、武士の妻として、いつでも、御出立出来るように、用意は——
寛永武道鑑 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
單に佛手柑の實がゆかつたといつては世の中をつくづく果敢はかなむだ頃の Tonka John の心は今思ふても罪のない鷹揚なものであつた。
思ひ出:抒情小曲集 (旧字旧仮名) / 北原白秋(著)
自分のしていることがいかにも果敢はかなく思われてきて、新しい出発の動機をつくるために自首するといい出しました。
キャラコさん:03 蘆と木笛 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
それをしも通夜の席の笑いばなしの種子にされるというのは何という果敢はかなくも薄手で安直な老女のいのちでしょう。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
絶えまなく熱烈に恋心にとらわれ、絶えまなく恋の幸福を夢みながら、たちまちその幸福の夢の果敢はかなさを悟らされ、にがい悲しみを味わわされていた。
果敢はかない労力に句点をうって、鍬の先きが日の加減でぎらっぎらっと光った。津波のような音をたてて風のこもる霜枯れの防風林にはからすもいなかった。
カインの末裔 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
かく更りゆくが人の身の上ぞ。我。されどおん身は、我母上の如く果敢はかなくなり給ふことはあらじ。斯く云ひて、我は涙にくれたり。フランチエスカ。
たいていの場合こういうサービスというのは、話術でもって、果敢はかないサラリーマンの救いのない生活に、ひと時の灯をともしてくれるだけの話である。
パーティ物語 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
併し、モナコに於て、零落れいらくしたフランス貴族の復辟ふくへきの夢も破れてしまったのです。イスタンブールで恋人はその身を果敢はかなんで、死んでしまったのです。
バルザックの寝巻姿 (新字新仮名) / 吉行エイスケ(著)
このたびこそはと思うて、いつも心は勇むけれども、旅から旅を歩く間にはずいぶん果敢はかない思いをするのです。
一首の意は、巻向山の近くを音たてて流れゆく川の水泡みなわの如くに果敢はかないもので吾身があるよ、というのである。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
人間の精神とは果敢はかないものであり、その時々の、環境の培養菌ばいやうきんによつて、どんなにでも、精神は変化してしまふのだと、富岡は自分にうなだれてしまふ。
浮雲 (新字旧仮名) / 林芙美子(著)
ながれの女は朝鮮に流れ渡つて後、更に何處いづこはてに漂泊して其果敢はかない生涯を送つて居るやら、それとも既に此世を辭してむしろ靜肅なる死の國におもむいたことやら
少年の悲哀 (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
これから蹈み入れる長い人生の様々な姿を想ひ浮かべますと、たゞ果敢はかなく過ぎ去つた夢ばかりを胸に抱いて泣き濡れてゐることは余りに弱くはないでせうか。
〔婦人手紙範例文〕 (新字旧仮名) / 牧野信一(著)
大自然の息吹の中では一点のしみのやうな果敢はかない生存、その日その日の天候や、山や森の移りかはる表情の悲しさに比べてさへあまりに細々とした喜怒哀楽
逃げたい心 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
彼女かのぢよしもそのとき子供こどもがなかつたならば、のろひや果敢はかなみや、たゞ世間せけんをのみ對象たいしやうにしてかんがへた汚辱をじよくのために、如何いかにも簡單かんたんんでしまつたかもれない。
(旧字旧仮名) / 水野仙子(著)
彼女はたゞひそかに自らを果敢はかなみながら、男の指図のまゝになつてゐるより他はありませんでした。
内気な娘とお転婆娘 (新字旧仮名) / 伊藤野枝(著)
これ然し、怪むべきでないかも知れぬ、自然の大なる声に呑まれてゆく人の声の果敢はかなさを思へば。
漂泊 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
彼女は今頃はどこにどうしていられるやら、生れた子は男か女か、ああ世は果敢はかなきありさまよな。
長屋天一坊 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
むろん、ぼくはそれが自分の不安をごまかす果敢はかない強がりであるくらいは、充分に承知していた。
煙突 (新字新仮名) / 山川方夫(著)