さかい)” の例文
「赤絵とあれば、さかいの商人の手にでもかかれば、千金もいたすであろうに。……いや値などはとにかく、近頃、眼の保養をいたした」
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして、つかれて、おまけに少しさむくなりましたので、海岸の西のさかいのあの古い根株ねかぶやその上につもった軽石かるいし火山礫層かざんれきそうの処に行きました。
イギリス海岸 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
鎌倉期の初頭あたりを一つのさかいとして、その鬼がまた天狗にその地位を委譲したのは、東国武士の実力増加、都鄙とひ盛衰の事情を考え合わせても
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
民間では宗祇の門人牡丹花肖柏ぼたんかしょうはくに伝えたのがさかい伝授、肖柏から林宗二に伝えたのが奈良伝授、当時奈良は旧都
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
岸本の船に乗るのを見送ろうとして、番町は東京から、赤城あかぎさかいの滞在先から、いずれも宿屋へたずねて来た。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
信長は時代を達観して尊皇の大義を唱え、日本統一の中心点を明らかにしましたが、彼は更に今のさかいから鉄砲を大量に買い求めて統一の基礎作業を完成しました。
最終戦争論 (新字新仮名) / 石原莞爾(著)
さかいまちにてき父ほど天子様を思ひ、御上おかみの御用に自分を忘れし商家のあるじはなかりしに候。弟がうちへは手紙ださぬ心づよさにも、亡き父のおもかげ思はれ候。
ひらきぶみ (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
殿下御秘蔵の水差みずさしふたを取りまして急ぎ聚楽じゅらくまかり上り、関白殿の御覧に供えましたところ、その水差と申しますのは、もとはさかい数寄者すきものの物でござりましたが
聞書抄:第二盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
あなごの美味いのは、さかい近海が有名だ。東京のはいいといっても、関西ものにくらべて調子が違う。焼くには堺近海のがよく、煮るとか、てんぷらとかには東京のがいい。
鱧・穴子・鰻の茶漬け (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
四谷よつやさめはし赤坂離宮あかさかりきゅうとの間に甲武鉄道こうぶてつどうの線路をさかいにして荒草こうそう萋々せいせいたる火避地ひよけちがある。
人の心には底の知れない暗黒のさかいがある。不断一段自分より上のものにばかり交るのを喜んでいる自分が、ふいとこの青年に逢ってから、余所よそまじわりを疎んじて、ここへばかり来る。
青年 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
もっと積荷つみにが多いゆえ、はかきませんから、井生森は船中で一泊して、翌日はさかいから栗橋くりはし古河こがへ着いたのは昼の十二時頃で、古河の船渡ふなとへ荷をげて、其処そこ井上いのうえと申す出船宿でふねやど
一めん波が菱立ひしだって来た放水路の水面を川上へ目をさかのぼらせて行くと、中川筋と荒川筋のさかいつつみの両端をやくしている塔橋型とうきょうがたの大水門の辺に競走のような張りを見せて舟々はを上げている。
渾沌未分 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
わたしはその時声もかけずに、さかいふすまを明けたのですから。——しかもわたしの身なりと云えば、雲水うんすいに姿をやつした上、網代あじろの笠を脱いだ代りに、南蛮頭巾なんばんずきんをかぶっていたのですから。
報恩記 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
さきの日帰りのみち戍亥いぬいにとって、彼の記憶に彫っておいた山の容貌ようぼうである。そこがさかいであった。地の勢いはあちらとこちらに区分され、その分水嶺を超えたらもうこちらのものである。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
(ニ)さかい本(元亀げんき元年の奥書きあり。伝宸翰本はこれと同系統のもの)の系統
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
しかしその酔いがさめたあとの苦痛は、精神の疲弊と一緒に働いて、葉子を半死半生のさかいに打ちのめした。葉子は自分の妄想もうそう嘔吐おうとを催しながら、倉地といわずすべての男をのろいに呪った。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
さかい町の中村座の茶屋で「ゆき」と云ってくださればわかるようにしてある。
屏風はたたまれた (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
泉州せんしゅうさかいだったよ」
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
さかい
鬼桃太郎 (新字新仮名) / 尾崎紅葉(著)
この男は、以前は、肥前の唐津、さかい、長崎などにも出店を持ち、相応にやっていた木綿問屋でござりますが、どうした心の狂いか、酒を
牢獄の花嫁 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この以外にも、『初懐紙はつかいし』その他一二の例外はあるが、大体にまず『冬の日』の出た頃をさかいとして、それからはもっぱらこの形にろうとしている。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
その日の昼過ぎには、通禧は五代、中井らの人たちと共にさかいあさひ茶屋に出張していた。済んだあとで何事もわからない。土佐の藩士らは知らん顔をして見ている。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「ホー。」高く返事がひびいて来ます。そして二人はどっちからもかけ寄って、ちょうど畑のさかいで会いました。善コの家の畑も、茶色外套の豆の木の兵隊で一杯です。
十月の末 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
首に鉄をめられ、罪人の乗る車に乗せられて、大坂へ着くと町を引き廻された上、今度はさかいへ送られて、そこでも町を引き廻された、そうしていずれ明日あたりは
聞書抄:第二盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
自分が「純潔」を貴ぶ所からさかいまちの男女の風俗のふしだらな事を見聞きしてそれをいとい、また読書を好む所から文学書の中の客観的な恋愛にあこがれて、自分の感情を満足させていたのが
私の貞操観 (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
これから富山とやまへ掛ってけば道順なれども、富山へ行くまでには追分おいわけからさかいに関所がございますから、あれから道をはすに切れて立山たてやまを北に見て、だん/″\といすの宮から大沓川おおくつがわへ掛って
敵討札所の霊験 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
が、そこと書斎とのさかいには、さっきまでひつぎの後ろに立ててあった、白い屏風びょうぶが立っている。どうしたのかと思って、書斎の方へ行くと、入口の所に和辻わつじさんや何かが二、三人かたまっていた。
葬儀記 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
どこをどうあるき迷ったあげくか、その翌日には、お蝶は相州そうしゅう津久井県つくいけんさかいを出て、甲州の郡内に一歩足をふみ入れておりました。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ただそこが神様の領分のさかいであるために、いよいよ厳重に身をつつしみ、また堺を守る神を拝んだようであります。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
むこうの海が孔雀石くじゃくいしいろとくらあいいろとしまになっているそのさかいのあたりでどうもすきとおった風どもが波のために少しゆれながらぐるっとあつまって私からとって行ったきれぎれのことば
サガレンと八月 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
当時、京都は兵乱のあとをけて、殺気もまだ全く消えうせない。ことに、神戸さかいの暴動、およびその処刑の始末等はひどく攘夷の党派に影響を及ぼし、人心の激昂げきこうもはなはだしい。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
隆達どのも元はさかいのくすりあきうどでござりましたのに、うたが上手なればこそ太こう殿下のお召しにもあずかり、ゆうさい公につゞみを打たせていちだいの面目をほどこされました。
盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
阿媽港日記あまかわにっきと云う本を書いた、大村おおむらあたりの通辞つうじの名前も、甚内と云うのではなかったでしょうか? そのほか三条河原さんじょうがわらの喧嘩に、甲比丹カピタン「まるどなど」を救った虚無僧こむそうさかい妙国寺みょうこくじ門前に
報恩記 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
当今馬車道になりましたが、其の頃は女は手形がなければ通られぬとて、久下村くげむらより中瀬なかせに出て、渡しを越えて、漸々さかいという所まで来ますと、七つさがりになりまして、足が疲れて歩かれません。
塩原多助一代記 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
さかいの街のあきびとの
晶子詩篇全集 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
梅雪入道は、家康にかたくちかって、そこそこにさかいへ立ちもどった。にわかに家来一同をまとめて、領土へ帰国のむね布令ふれだした。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これはさかいということを意味する古い言葉である。これがいつの間にか何々ヒョウと言うような音読になった。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
京、伏見ふしみさかい、大阪、——わたしの知らない土地はありません。わたしは一日に十五里歩きます。力も四斗俵しとびょうは片手にあがります。人も二三人は殺して見ました。どうかわたしを使って下さい。
報恩記 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
そして虔十はまるでこらえ切れないようににこにこ笑って兄さんに教えられたように今度は北の方のさかいから杉苗の穴を掘りはじめました。実にまっすぐに実に間隔かんかく正しくそれを掘ったのでした。
虔十公園林 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
さかいの街の妙国寺
晶子詩篇全集 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
「おまえなどは知らないでもいいことだが、お使いをする褒美ほうびとして聞かしてやろう。ここは甲斐かい信濃しなの駿河するがさかい、山の名は小太郎山こたろうざん
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
また著しく美観を欠き、或いはこのあたりが石類との交替のさかいであったようにも考えられる。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
仮令たとえば人間の一生は連続している、嬰児えいじ期幼児期少年少女期青年処女期壮年期老年期とまあ斯うでしょう、ところが実はこれは便宜べんぎ上勝手に分類したので実は連続しているはっきりしたさかいはない
ビジテリアン大祭 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
「大坂石山の本願寺を中心とする圏内けんないとわしはておる。寺にはかなわん。財力がある。また、さかいに接し、地の利を得ている」
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この事実は、今日の大都会の旧家の歴史を尋ぬれば、容易たやすく証明せらるるのである。京でも大阪でもさかいでも、江戸時代の初期に名をなした大商人は、いずれも浪人の転業であった。
家の話 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
へいの面影はあるが塀のさかいは雑草でまっています。その関の屋敷のなかへ、今こういいながら玄関をのぞいて裏へ廻ったひとりの男がある。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
阪戸さかと阪手さかて阪梨さかなし(阪足)などとともに、中古以前からの郷の名・里の名にありますが、今日の境の村と村とのさかいかくするに反して、昔は山地と平野との境、すなわち国つ神の領土と
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
都より開港場かいこうじょうのほうに、なにかの手がかりが多かろうと、目星をつけて、京都からさかいへいりこんでいたのは、鞍馬くらまを下山した小幡民部こばたみんぶである。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
関の姥神はもちろん、上総と安房あわとのさかいばかりにあったのではありません。一番有名なものは京都から近江おうみへ越える逢阪おうさかの関に、百歳堂ももとせどうといってあったのも姥神らしいという話であります。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)