“周(しう)” の例文
此後(こののち)、杉村氏(すぎむらし)は、東京朝日(とうきやうあさひ)の世界(せかい)一周(しう)會員(くわいゐん)と共(とも)に、米國(べいこく)に渡(わた)り、ボストンにて圖(はか)らずモールス氏(し)に面會(めんくわい)し、余等(よら)と共(とも)に大森貝塚發掘(おほもりかひづかはつくつ)の事(こと)を語(かた)り
水上(すゐじやう)バスへ御乗(おの)りのお客(きやく)さまはお急(いそ)ぎ下(くだ)さいませ。水上(すゐじやう)バスは言問(こととひ)から柳橋(やなぎばし)、両国橋(りやうごくばし)、浜町河岸(はまちやうがし)を一周(しう)して時間(じかん)は一時間(じかん)、料金(れうきん)は御(ご)一人(にん)五十円(ゑん)で御在(ござい)ます。
吾妻橋 (新字旧仮名) / 永井荷風、永井壮吉(著)
而(しか)るに伯夷(はくい)・叔齊(しゆくせい)之(これ)を恥(は)ぢ、義(ぎ)、周(しう)の(三四)粟(ぞく)を食(くら)はず、首陽山(しゆやうざん)に隱(かく)れ、薇(び)を采(と)つて之(これ)を食(くら)ふ。餓(う)ゑて且(まさ)に死(し)せんとするに及(およ)んで歌(うた)を作(つく)る。其(そ)の辭(じ)に曰(いは)く
立らるゝ事天晴(あつぱれ)器量(きりやう)といひ其上唐土(もろこし)にも周(しう)の文王民(たみ)百姓の罪(つみ)あるものを金銀を出させて其罪(そのつみ)を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
然るに安政中より維新に至るまでの間に、狩谷従之と云ふものがあつて、文雅人名録の類に載せられてゐる。従之は字(あざな)を善卿(ぜんけい)と云ひ、通称を三右衛門と云ひ、融々(ゆう/\)又周(しう)二と号した。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
周(しう)の成王(せいわう)の時、倭人(やまとびと)が暢草(やうさう)を献じたと「論衡(ろんかう)」といふ書に見えて居り、この暢草は香ひ草で、祭祀に当り、酒に和して地に注ぐと、気を高遠に達して神を降すの効ありと言はれて居た。
毒と迷信 (新字旧仮名) / 小酒井不木(著)
虞舜(ぐしゆん)の孳孳(じじ)として善を爲し、大禹(う)の日に孜孜せんことを思ひ、成湯(せいたう)の苟(まこと)に日に新にせる、文王の遑(いとま)あき暇(いとま)あらざる、周(しう)公の坐(ざ)して以て旦(たん)を待(ま)つ、孔子の憤(いきどほ)りを發して食を忘るゝ如きは、皆是なり。
六一臣として君を伐(う)つすら、天に応じ民の望(のぞみ)にしたがへば、六二周(しう)八百年の創業(さうげふ)となるものを、まして六三しるべき位(くらゐ)ある身にて、六四牝鶏(ひんけい)の晨(あした)する代(よ)を取つて代(かは)らんに、道を失ふといふべからず。
「大膳坊をつれ込んだ、上州屋の周(しう)太郎、あれも變な男ですね」
老子(らうし)は楚(そ)の苦縣(こけん)の厲郷(らいきやう)、曲仁里(きよくじんり)の人(ひと)也(なり)。姓(せい)は李氏(りし)、名(な)は耳(じ)、字(あざな)は伯陽(はくやう)、諡(おくりな)を聃(たん)と曰(い)ふ。周(しう)の(一)守藏室(しゆざうしつ)の史(し)也(なり)。孔子(こうし)、周(しう)に適(ゆ)き、將(まさ)に禮(れい)を老子(らうし)に問(と)はんとす。
〔譯〕物我(ぶつが)一體(たい)は即ち是れ仁なり。我れ公情(こうじやう)を執(と)つて以て公事を行ふ、天下服せざる無し。治亂(ちらん)の機(き)は公と不公とに在り。周(しう)子曰ふ、己(おのれ)に公なる者は人に公なりと。伊川(いせん)又公理(こうり)を以て仁の字を釋(しやく)す。
老子(らうし)、(一一)道徳(だうとく)を修(をさ)む、其學(そのがく)は自(みづか)ら隱(かく)して名(な)無(な)きを以(もつ)て務(つとめ)と爲(な)せり。周(しう)に居(を)ること之(これ)を久(ひさ)しうして、周(しう)の衰(おとろ)ふるを見(み)、廼(すなは)ち遂(つひ)に去(さ)つて、(一二)關(くわん)に至(いた)る。
「始(はじ)め秦(しん)、周(しう)と合(がつ)して離(はな)れ、離(はな)れて五百歳(さい)にして復(ま)た合(がつ)し、合(がつ)して七十歳(さい)にして霸王(はわう)たる者(もの)出(い)でん」と曰(い)ふ
... 臣(しん)を以(もつ)て君(きみ)を弑(し)す、仁(じん)と謂(い)ふ可(べ)けんや』と。(三〇)左右(さいう)(三一)之(これ)を兵(へい)せんと欲(ほつ)す。(三二)太公(たいこう)曰(いは)く、『此(こ)れ義人(ぎじん)也(なり)』と。扶(たす)けて去(さ)らしむ。武王(ぶわう)已(すで)に殷(いん)の亂(らん)を平(たひら)げ、天下(てんか)、周(しう)を(三三)宗(そう)とす。