不憫ふびん)” の例文
いねはいねでろくに菓子も買ってやれない時代に育つクニ子への不憫ふびんさから、我身をけずる結果を知りながらいつまでも乳を与えた。
(新字新仮名) / 壺井栄(著)
「ああ! 拙者は、ただそなたが不憫ふびん、そなたが気の毒——それだけだ、それだけじゃ、唯それだけにこのはらわたを掻きむしられる……」
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
三度おとずれたが、三度とも同じ憂目うきめに逢った。もういまでは、草田氏も覚悟をきめている。それにしても、玻璃子が不憫ふびんである。
水仙 (新字新仮名) / 太宰治(著)
しかし予は衷心ちゅうしん不憫ふびんにたえないのであった。ふたりの子どもはこくりこくり居眠いねむりをしてる。お光さんもさすがに心を取り直して
紅黄録 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
あをぐろくやつれた顔にひげがばうばうと生えてゐたが、しかし眉毛は相変らず薄かつた。さすがに不憫ふびんになつて、飯でも食はうといふと
六白金星 (新字旧仮名) / 織田作之助(著)
巨男おおおとこ不憫ふびんに思って、こっそりと白鳥をってやることにしました。昼間は野原へ放ってやって、夜は自分のベッドの中でねさせました。
巨男の話 (新字新仮名) / 新美南吉(著)
また、小姓織田於菊の持ち来れる首「これは私の弟彦六と申すものにて候」と申す。信長、「さてさて不憫ふびんの次第なり、汝の心底さぞや」
姉川合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
だが笑うまゆがちょっぴり下ると親の身としては何かこの子に足らぬ性分があるのではないかと、不憫ふびん可愛かわゆさが増すのだった。
母子叙情 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
「あくまでも執念く付きまとうて来ますれば、もう是非がござまりませぬ。不憫ふびんながら討ち果たすまでのことでござりまする。」
小坂部姫 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
また別段に不憫ふびんがるというのでもなく、万事を心得て、あたりまえに附合っていられるほど、お雪は素直な気質を持ち合わせていました。
大菩薩峠:23 他生の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
それにしても和主おぬし不憫ふびんなが、何にも知らずこんな山へ迷い込んで来たばかりに、のがれることも出来ない呪いの網にかかってしまったのだ。
道成寺(一幕劇) (新字新仮名) / 郡虎彦(著)
「骨があるのかないのか、まるで海月くらげのようなことを言う奴じゃな。——不憫ふびんな気がしないでもない。望みならば、一杯呑ましてやろうか」
山県有朋の靴 (新字新仮名) / 佐々木味津三(著)
無論蓋はして有るが徃来わうらいへ飛出されても難義至極なり、それ等を思ふと入院させやうとも思ふが何か不憫ふびんらしくて心一つには定めかねるて
うつせみ (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
「うぐいすさん。そのは、どうでございますか。」と、すみれはききました。うぐいすは、不憫ふびんそうに、すみれをながら
すみれとうぐいすの話 (新字新仮名) / 小川未明(著)
そして庄造は、今考へても、いゝことをした、いゝ気味だつたと思ふばかりで、不憫ふびんと云ふ感じは少しも起らないのであつた。
猫と庄造と二人のをんな (新字旧仮名) / 谷崎潤一郎(著)
もらおうというだけのことだ。だが、彼奴きゃつがどうしても壺を渡さんという時は、不憫ふびんながら命をもらうかも知れぬからそう思え
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
かかる人を父とした者は真に不憫ふびんなものであり、また父たるその人もゆるりとくつろぐ場所も時間もなく、さなきだに重荷おもにになう人生において
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
不憫ふびんなほどやつれきった父の死にぎわの面影が眼に刻まれていたが、汽車に乗りこんで私たちはややホッとした気持になった。
父の葬式 (新字新仮名) / 葛西善蔵(著)
父が死ぬときに……芳夫は一層低い声でことばをつづけた——わしは人を殺した——みなし子になった君子さんが不憫ふびんだ——と言ったのです。
抱茗荷の説 (新字新仮名) / 山本禾太郎(著)
家に帰ってみてどれほど驚きもし悲みもするだろうと思うと、母が不憫ふびんでもあり残される自分がこの上もなくみじめだった。
星座 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
やがて、ゆき子が、炭のほかにも、色々な買物をして、顔をまつかにして戻つて来た。一升びんもさげてゐた。富岡は、ゆき子を不憫ふびんだと思つた。
浮雲 (新字旧仮名) / 林芙美子(著)
「不和、不穏のもといに相成るから、不憫ふびんであっても、厳重に処置する方策をもって臨んでもらいい——と、いう相談じゃ」
大岡越前の独立 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
他は犬われは狐、とてもかなはぬ処なれば、復讐あだがえしも思ひとどまりて、意恨うらみのんで過ごせしが。大王、やつがれ不憫ふびん思召おぼしめさば、わがためにあだを返してたべ。
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)
とお町の手を取って小屋の内に一休み、言わず語らず涙にくれている、互いの心のうちは思いやられて不憫ふびんでござりまする。
後の業平文治 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
雪之丞は、ひたむきに、恋にこがれ、ひとすじに、父親の愛情にすがろうとする、浅はかな女の心根が、不憫ふびんにも思われる。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
奉修の事へて帰るさ、行脚あんぎゃついでに此のあたりに立ちまはり給ひしが、此の仔細を聞き及ばれて不憫ふびんの事とやおぼされけむ。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
雨のそぼ降る日など、さみしき家に幸助一人をのこしおくは不憫ふびんなりとて、客とともに舟に乗せゆけば、人々哀れがりぬ。
源おじ (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
妾の生んだ子っていうのは、親にしてみれば、一しお不憫ふびんなものだろうな。それに妾の子っていうのはいいじゃないか。
メフィスト (新字新仮名) / 小山清(著)
一片いつぺんのパンも一塊いつくわいにくもなきこのみじめな艇中ていちう見廻みまわして、ふたゝわたくしかほながめた姿すがたは、不憫ふびんともなんともはれなかつた。
不憫ふびんにも帽子屋ばうしやは、茶腕ちやわん牛酪麺麭バターぱんとをおとしてしまひ、片膝かたひざついて、『おたすくださいませ、陛下へいかよ』とはじめました。
愛ちやんの夢物語 (旧字旧仮名) / ルイス・キャロル(著)
そして呆れたことに、分れば分るほど不憫ふびんなのである。私は桂子とともに情死することさえ不自然でない気がする。
野狐 (新字新仮名) / 田中英光(著)
もし犠牲を不憫ふびんだと思ったら、勝手に苦しむのがいいのさ……全体に苦悶くもんと悩みは、遠大な自覚と深い心情の持主にとって、常に必然的なものなんだ。
一人の三吉を不憫ふびんがっていますけれど、あすこから電話線をつたって行ったもう一つの端の東京には、三吉みたいな可愛いい子供さんが何十万人と居て
空襲葬送曲 (新字新仮名) / 海野十三(著)
幼くして母を失った不憫ふびんな子じゃ、この子の母は産後の体が思わしくなく、間もなく逝いたのじゃが、死ぬ前に
不憫ふびんではあるが、生きて恥辱をこうむるより、この私にとっても、どれほど嬉しいことか判らない、——かたじけないぞ
一度脳をわずらったりなどしてから、気に引立ひったちがなくなって、温順おとなしい一方なのが、彼女かれには不憫ふびんでならなかった。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
途端わたくし敏雄を抱きあげて袂で顏をおほひました、不憫ふびんぢやありませぬか。お兄さまもよく/\罪の深い方ぢやありませんか。それでも人間と言へますか。
業苦 (旧字旧仮名) / 嘉村礒多(著)
なれども、切支丹宗門の教にて、一度ころび候上は、私たましひむくろとも、生々世々しやうじやうせせ亡び申す可く候。何卒なにとぞ、私心根を不憫ふびん思召おぼしめされ、此儀のみは、御容赦下され度候。
尾形了斎覚え書 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
それにしてもこの利かぬ気の姉が、夫にだまされて、彼が宅へ帰らない以上、きっと会社へ泊っているに違いないと信じ切っているのが妙に不憫ふびんに思われて来た。
道草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
こんなに若くてこんな死にかたをする! 彼らは私を不憫ふびんに思ってくれてるようだった。それほど彼らは私の枕頭で親切をつくしてくれた。なに、好奇心からだ。
死刑囚最後の日 (新字新仮名) / ヴィクトル・ユゴー(著)
この自分の恋がいかにも不憫ふびんでならず、その不憫さのあまりいきなり手放しでおいおい泣き出すか、さもなければ蝙蝠傘こうもりがさでもってパンテレイモンの幅びろな肩を
イオーヌィチ (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
親の心にはまして不憫ふびんで、もったいないほど美しいこの人を、その価値にふさわしい結婚がさせたいと思う心から、二条の院でのできごとのようなことがうわさになり
源氏物語:52 東屋 (新字新仮名) / 紫式部(著)
何かしら自分というものが限りなく不憫ふびんでならなかったのだ。自分をかばっていてくれるものが、この広い広い世界に誰一人ないように思われてさびしかったのである。
六月 (新字新仮名) / 相馬泰三(著)
富之助は自身の姉を不憫ふびんに思つた。何にも知らない故に自分に害意を有してゐる人の爲めに、あつたらの骨折をする。さう思ふと自分の男らしくないことが腹立しくなつた。
少年の死 (旧字旧仮名) / 木下杢太郎(著)
……誓って、手前が盗ったのではありませんから、かならず疑いはとけると思います、誠意を披瀝ひれきし、一日も早くもどってまいりますから、なにとぞ、不憫ふびんとおぼしめして……。
顎十郎捕物帳:08 氷献上 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
無籍者とは生れていて生れていないことなんだよ。だから学校なんかへ行けないんだよ。行っても人に馬鹿にされるんだよ。それをわしが不憫ふびんと思って籍を入れてやったんだよ。
「そうだども、不憫ふびんでねいか、けだものにでも見つかったら、食われてしまうでねいか?」
三人の百姓 (新字新仮名) / 秋田雨雀(著)
それに肺をわずらっておるということだし、一時は不憫ふびんと思い、杉山の願いもあったから、住まわしてやったが、邸のめに衛生上もよくないから、あの小僧は出て行かせなければならんの
(新字新仮名) / 富田常雄(著)
愛児の不憫ふびんさ、探りなれたる母の乳房に離れて、にわかに牛乳を与えらるるさえあるに、哺乳器のふくみがたくて、今頃は如何いかに泣き悲しみてやあらん、なれが恋うる乳房はここにあるものを
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
心あたり漏れなく問合せ候ても一向に相知れ申さず候につき、殺され候、または神隠しにでもひ候歟、いずれにも致せ、不憫ふびんの事なりとて、雲石師うんせきしは愚僧が出奔しゅっぽんの日を命日と相定め
榎物語 (新字新仮名) / 永井荷風(著)