錦絵にしきえ)” の例文
旧字:錦繪
このあたりには今も明治時代の異国情調が漂っていて、ときによると彼自身が古い錦絵にしきえの人物であるような錯覚さっかくさえ起るのであった。
人造人間事件 (新字新仮名) / 海野十三(著)
だがその芝居は、重吉の経験した戦争ではなく、その頃錦絵にしきえに描いて売り出していた「原田重吉玄武門破りの図」をそっくり演じた。
いったいひとり荒岩に限らず、国見山でも逆鉾さかほこでもどこか錦絵にしきえの相撲に近い、男ぶりの人にすぐれた相撲はことごとく僕の贔屓ひいきだった。
追憶 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
故郷の家で、お祖母様ばあさまのお部屋に、錦絵にしきえ屏風びょうぶがあった。その絵に、どこの神社であったか知らぬが、こんな瑞垣たまがきがあったと思う。
青年 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
錦絵にしきえから飛んで出たような囃子はやしの子たちの百羽の銀鳩ぎんばとが一斉に鳴くように自由に生きいきと声をそろえた ほう いや のかけ声
小品四つ (新字新仮名) / 中勘助(著)
有夫の女郎、素人の女郎! 人に飢えた船のりはもう有頂天にされてしまったのであった。それはまるで錦絵にしきえの情緒じゃないか。
海に生くる人々 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
自分の買ってもらう玩具おもちゃを喜んだり、錦絵にしきえを飽かず眺めたりする彼は、かえってそれらを買ってくれる人をうれしがらなくなった。
道草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
節子の手箱の底には二枚続きの古い錦絵にしきえも入れてあった。三代豊国とよくにの筆としてあって、田舎源氏いなかげんじの男女の姿をあらわしたものだ。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
ルツェルンには戦争と平和の博物館というのがあって、日露戦争の部には俗悪な錦絵にしきえがたくさん陳列してあったので少しいやになりました。
先生への通信 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
ぼくはその上に書く、あなたへの、愛の手紙など空想して、コオルドビイフでもんでいるのです。メニュウには、ほとん錦絵にしきええがかれています。
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
文政年間葛飾北斎かつしかほくさい『富嶽三十六景』の錦絵にしきええがくや、そのうち江戸市中より富士を望み得る処の景色けいしょくおよそ十数個所を択んだ。
それを見たとき疲労も何も忘れてしまった。私は日清戦争の錦絵にしきえは見ていても本物を見るのはその時が初めてであった。
三筋町界隈 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
家へ持って帰ってながめて見るになかなか味があるのです、その絵は人形を抱いた娘の肖像で、錦絵にしきえとしてはかなり末期の画風のものでありましたが
楢重雑筆 (新字新仮名) / 小出楢重(著)
稲葉家のあるじ、お千世の姉さん、暮から煩って引いている。が、錦絵にしきえのお孝とて、人の知った、素足を伊達だておんなである。
日本橋 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
きんは思い出して、紅の網を張ったと云う、その錦絵にしきえのような美しさが、いまの自分にはもう遠い過去の事になり果てたような気がしてならなかった。
晩菊 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
細面の顔に三日月形の眉毛がいかにも婀娜あだっぽく、一重瞼ひとえまぶたの情をふくんだ目附は、彼に錦絵にしきえの枕草紙をすぐ思い出させ、赤瀬春吉は既にこのほどから
糞尿譚 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
そのころは、まだ写真術が幼稚だったし、新聞の号外もまだ早く出なかったから、私たちに目から教えたものは、やはり木版ずり三枚つづきの錦絵にしきえだった。
もう、あの美しい錦絵にしきえのような人形町の夜のちまたをうろつく事は出来ないのか。水天宮すいてんぐうの縁日にも、茅場町かやばちょうの薬師様にも、もう遊びに行く事は出来ないのか。
母を恋うる記 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
これは江戸の頃、秋山正三郎という者がこしらえたもので、上野の広小路で売っていたのである。その頃この広小路のすが凧売りの錦絵にしきえが出来ていたと思った。
凧の話 (新字新仮名) / 淡島寒月(著)
そして、蒲団ふとんの上に帰ったところで、お高の手にした書物が目の前へ来た。それは極彩色の錦絵にしきえであった。
春心 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
外のものは兎に角と致して日本一お江戸の名物と唐天竺からてんじくまで名の響いた錦絵にしきえまで御差止めに成るなぞは
三月三十日 (新字新仮名) / 太宰治(著)
三年まえにも金箔きんぱくが御停止になったでしょ、色刷りの錦絵にしきえが御停止になったり、縮緬ちりめん下布したのが御停止になったり、そのときどきでお上からいろいろ御禁制が出たわ
枡落し (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
あたかも錦絵にしきえを見るようなもので、その色彩は人の眼を射るにかかわらず、その背後には何物もない。
俳句の作りよう (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
歌麿の脳裡のうりからは、亀吉の影はうに消し飛んで、十年前に、ふとしたことから馴染なじみになったのを縁に、錦絵にしきえにまで描いて売り出した、どぶ裏の局女郎つぼねじょろう茗荷屋みょうがや若鶴わかづる
歌麿懺悔:江戸名人伝 (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
そんな物のなかから、むしばんだ古い錦絵にしきえが出たり、妙な読本よみほんが現われたりした。母親は叔母が嫁入り当時の結納の目録のような汚点しみだらけの紙などを拡げて眺めていた。
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
細き枝に蝋燭ろうそくほのおほどの火燃え移りてかわるがわる消えつ燃えつす。燃ゆる時は一間ひとまのうちしばらくあかし。翁の影太く壁に映りて動き、すすけし壁に浮かびいずるは錦絵にしきえなり。
源おじ (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
おそらく晴天の日には遠く富士も見えたような気もするが、はっきり記憶には残っていない。低い土地であったから、むかしの錦絵にしきえに見るようなわけには行かなかったかも知れない。
桜林 (新字新仮名) / 小山清(著)
したがって、絵双紙の方が主であるから、どこの店にも一枚絵、二枚続き、または三枚続きの錦絵にしきえを始めとして、子供のおもちゃ絵や千代紙のたぐいが店一ぱいに懸けられてあった。
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
ナニ、同じようなもので。わしどもは江戸のは錦絵にしきえで見ましたが、あちらの方が何を
太田道灌の「富士の高根を軒端にぞ見る」という歌は、余りに言い古されているとしても、江戸から富士を切り捨てた絵本や、錦絵にしきえや、名所図会ずえが、いまだかつて存在したであろうか。
不尽の高根 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
古い錦絵にしきえの滝夜叉姫と踊り屋台に立ったお鶴とは全く同一おんなじだったように思われて
山の手の子 (新字新仮名) / 水上滝太郎(著)
大工の卯太郎うたろううさぎの刺青をれば牛右衞門うしえもんは牛を刺り、寅右衞門とらえもんは虎を刺り、皆紅差べにざしの錦絵にしきえのような刺青を刺り、亥太郎は猪の刺青を刺りましたが、此の亥太郎は十二人のうちでも一番強く
業平文治漂流奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
細君はうれしさのあまり長い白いすねをちょっとあらわして、束になってくずれている錦絵にしきえをまたぎ、安心とうらめしさとがいっしょになって堅くなった表情を向けながら一枚の絵をおっとに渡した。
その艶気つやけのある勇肌いさみはだがトンと国貞あたりの錦絵にしきえにありそうであった。眉山の容貌、風采、及び生活は洋画は勿論院派の日本画にもならないので、五渡亭ごとてい国貞あたりの錦絵から抜け出したようだった。
武者絵むしゃえ錦絵にしきえ、二枚つづき三枚つづきの絵も彼のいうがままに買ってくれた。彼は自分の身体からだにあう緋縅ひおどしのよろい竜頭たつがしらかぶとさえ持っていた。
道草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
そこにも変わり者の隠居がいて、江戸の時代から残った俳書、浮世草紙うきよぞうしから古いあずま錦絵にしきえの類を店にそろえて置いている。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
両国の「大平だいへい」に売っている月耕げっこう年方としかた錦絵にしきえをはじめ、当時流行の石版画せきばんえの海はいずれも同じようにまっさおだった。
少年 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
また湯島の酒楼松琴楼は松金屋のことで、広重ひろしげ錦絵にしきえ「江戸高名会席づくし」に不忍池を見渡す楼上の図が描かれている。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
ほしいのは——もしか出来たら——偐紫にせむらさき源氏雛げんじびな、姿も国貞くにさだ錦絵にしきえぐらいな、花桐はなぎりを第一に、ふじかた、紫、黄昏たそがれ桂木かつらぎ、桂木は人も知った朧月夜おぼろづきよの事である。
雛がたり (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
古い錦絵にしきえ——芝居の絵を沢山に張った折本おりほんを、幾冊かだしてくれた。私の家にもそれらはいくらかあった。だが、ここのように系統だって集めたものではない。
当時の両国は、江戸錦絵にしきえなどに残っているように大したもので、当時今の両国公園になっている辺は西両国といって、ここに村右衛門という役者が芝居をしていた。
江戸か東京か (新字新仮名) / 淡島寒月(著)
殊に豊国橋から見ると、その両岸に、まだ錦絵にしきえ時代の倉と家があり、一本の松が右岸の家の庭から丁度ちょうど円屋根の右手へそびえ立ちはなはだよき構図を作っているのである。
めでたき風景 (新字新仮名) / 小出楢重(著)
大榎の女はさながらの錦絵にしきえになって、火照ほてったようなその唇は、その晩のことばを口にするのであった。
春心 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
うつつともなく夢見ゆめみ風情ふぜいは、近頃ちかごろ評判ひょうばん浮世絵師うきよえし鈴木晴信すずきはるのぶ錦絵にしきえをそのままのうつくしさ。
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
みんな妙によごれくすんでいるが、それがまたなんとも言われないように美しい絵になっている。それは絵はがきや錦絵にしきえの美しさではなくて、どうしても油絵の美しさである。……
旅日記から (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
そこで僕もおおいによろこんで彼の帰国を送った。彼は二年間の貯蓄の三分の二を平気でなげうって、錦絵にしきえを買い、反物たんものを買い、母やおととや、親戚の女子供を喜ばすべく、欣々然きんきんぜんとして新橋を立出った。
非凡なる凡人 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
なかにも忘れられないのは古い錦絵にしきえで、誰の筆か滝夜叉姫たきやしゃひめの一枚絵。
山の手の子 (新字新仮名) / 水上滝太郎(著)
しかしそう云えば、私は錦絵にしきえいた御殿女中の羽織っているような華美はでな総模様の着物を宅の蔵の中で見た事がある。
硝子戸の中 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
しめやかなランプの光の下に、私は母と乳母とを相手に、暖い炬燵こたつにあたりながら絵草紙えぞうし錦絵にしきえを繰りひろげて遊ぶ。
(新字新仮名) / 永井荷風(著)
暦や錦絵にしきえはり付けた古壁の側には、六歳むっつに成るお房と、四歳よっつに成るお菊とが、お手玉の音をさせながら遊んでいた。そこいらには、首のちぎれた人形も投出してあった。
芽生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)