行脚あんぎゃ)” の例文
行脚あんぎゃというものが生易しいものでないことを雄弁に物語っていた。私の坐禅が三日坊主に終ったことは、これは云うまでもない。
西隣塾記 (新字新仮名) / 小山清(著)
「豊干とおっしゃいますか。それはさきころまで、本堂の背後うしろの僧院におられましたが、行脚あんぎゃに出られたきり、帰られませぬ」
寒山拾得 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
「先生は、これからは、全国行脚あんぎゃだそうじゃありませんか。いいですね。ぼく、もしお許しが出たら、ついて行きたいと思ってるんです。」
次郎物語:05 第五部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
七十の声を聞いたならばその時こそは全国行脚あんぎゃをこころざし、一本の錫杖しゃくじょうを力に、風雲に身を任せ、古聖も何人なんぴとぞと発憤して
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
行脚あんぎゃの身の上で、しかし葬式でもあった時には困ろうから、後住ごじゅうきまるまで暫くいて上げようと云うんで、其の寺に居りました
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
総体に北国を行脚あんぎゃする人々は、冬のまだ深くならぬうちに、何とかして身をれるだけの隠れがを見つけて、そこに平穏に一季を送ろうとした。
雪国の春 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
奉修の事へて帰るさ、行脚あんぎゃついでに此のあたりに立ちまはり給ひしが、此の仔細を聞き及ばれて不憫ふびんの事とやおぼされけむ。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
「廻国行脚あんぎゃの途次で通りかけた者。といって乞食坊主でもない。ほうら銀子ぎんすもある。それ、そこの大碗おおわんで早くよこせ」
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
趙州観音院じょうしゅうかんのんいんの和尚は、六十一歳にして、はじめて発心求道ほっしんぐどうの心を起して諸方に行脚あんぎゃし、七歳の童子なりとも我にまさらん者には我すなわちこれに問わん
大菩薩峠:21 無明の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
それから一時いっときばかりたったころです。あの怪しい行脚あんぎゃ坊主ぼうずは、ちょうど雪の止んだのを幸い、小川通おがわどおりをくだって行きました。これが阿媽港甚内あまかわじんないなのです。
報恩記 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
そのときも彼はその負傷が、昨夜の梯子酒はしござけ行脚あんぎゃのときにどこかで受けたものであろうとばかり考えていた。
地球発狂事件 (新字新仮名) / 海野十三丘丘十郎(著)
田舎へ行脚あんぎゃに出掛けた時なども、普通の旅籠はたごの外に酒一本も飲まぬから金はいらぬはずであるが、時々路傍ろぼうの茶店に休んで、梨や柿をくうのがくせであるから
くだもの (新字新仮名) / 正岡子規(著)
そのたよりのあったのは上野こうずけの国を行脚あんぎゃしている時でしたがね。お師匠様は道に倒れて泣き入られましたよ。
出家とその弟子 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
昔、快庵禅師かいあんぜんじという仏徳高い聖僧がいらっしゃった。幼少より禅宗の本旨をあきらかにされて、つねにその身を諸国行脚あんぎゃの修行にゆだねて暮らしておられた。
それから地球を経めぐり、スタニスラウスキーの研究所を手始めにして、凡ゆる劇団を行脚あんぎゃしたのだった。
オフェリヤ殺し (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
見なさる通り、行脚あんぎゃとは言いながら、気散じの旅の面白さ。蝶々蜻蛉とんぼ道連みちづれには墨染の法衣ころもの袖の、発心の涙が乾いて、おのずから果敢はかない浮世の露も忘れる。
草迷宮 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
後諸国行脚あんぎゃもしたが、大体は為世の門に学んだ都住みの歌僧で、為世の薨じた暦応りゃくおう元年(延元四年)は五十歳であるが、師の亡き後は京都歌壇の元老であった。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
盛岡の中学では杜陵吟とりょうぎん社と称して行脚あんぎゃまでやったり、一高に入ってからは、俳句会の幹事も勤めたほどだから、私の俳句熱も、生涯で最高潮の頃だったのだろう。
胡堂百話 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
非常に尊いラマであって、つまり世間がいろいろの事に迷うて居るのをさとらせようというので、一休和尚のような具合に行脚あんぎゃしていろいろの面白い事をやったのです。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
芭蕉はほとんど雲水うんすいの僧同様日本国中を行脚あんぎゃしてまわった人で、この句もその旅行の句であります。
俳句とはどんなものか (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
文展ぶんてんで評判の好かった不折ふせつの「陶器つくり」の油絵、三千里の行脚あんぎゃして此処にも滞留たいりゅうした碧梧桐「花林檎」の額、子規、碧、虚の短冊、与謝野夫妻、竹柏園社中の短冊など見た。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
あれ程ありし雪も大抵はきえ仕舞しまいました、此頃このごろの天気のさ、旅路もさのみ苦しゅうはなし其道そのみち勉強のために諸国行脚あんぎゃなさるゝ身で、今の時候にくすぶりてばかり居らるるは損という者
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
金は刀を懐にして行脚あんぎゃの僧に化けて広陵にいこうとした。女はそれを止めていった。
庚娘 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
殿上に桐火桶きりびおけすだれを隔てて世俗に対したのでは俳人芭蕉は大成されなかったに相違ない。連歌と俳諧の分水嶺ぶんすいれいに立った宗祇そうぎがまた行脚あんぎゃの人であったことも意味の深い事実である。
俳諧の本質的概論 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
田圃たんぼと、小さい町と、川とにいろどられた、かつて、田山花袋氏の全国行脚あんぎゃ集に、日本で一等「田舎いなからしい田舎」と言われた、私の故郷が、だんだんに都会化しつつあることを想像させていた。
あまり者 (新字新仮名) / 徳永直(著)
行脚あんぎゃ僧の旅行記なんかも一通り眼を通す必要があるね。ああいう連中の中には、立派な人種誌学者や東洋語の大家がいるからね。で、彼らの遣り口に親しむと、ずっと仕事がやりよくなる。
決闘 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
秩父ちちぶの山ふところ、武田の残党として近郷にきこえた豪族ごうぞくのひとりが、あてもない諸国行脚あんぎゃの旅に出でて五十鈴いすず川の流れも清い伊勢の国は度会わたらい郡山田の町へたどりついたのは、ちょうど今ごろ
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
……と云ってお前の身になってみれば、安心してはおられまい。山尼の何者かを知りたかろう。では簡単に話してやろう。山岳行脚あんぎゃの尼僧の群だ。と云って尋常な尼僧ではない。一種特別の放浪者だ。
神秘昆虫館 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
衆生済度しゅじょうさいどのために、諸国を行脚あんぎゃせられています」
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
薙髪ちはつして行脚あんぎゃに出た姿も新聞社会面をにぎわした。
一世お鯉 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
あれは雨のふる日で、六年の長い月日を行脚あんぎゃの旅に送って来た松雲がかさ草鞋わらじもぬれながら、西からあの峠に着いた時であったことを思い出した。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
快くうなずいて、北陸地方を行脚あんぎゃの節はいつでもつえを休める香取屋かとりやというのがある、もとは一けん旅店りょてんであったが、一人女ひとりむすめの評判なのがなくなってからは看板をはずした
高野聖 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
逢坂山おおさかやま関守せきもりに通行を許されて東国にむかってから、秋をむかえた山のもみじの美景も見捨てがたく、そのまま諸国行脚あんぎゃの旅をつづけることにして東海道をくだったが
が、予に談議を致させるよりは、その方どもの話を聞かせてくれい。次は行脚あんぎゃの法師の番じゃな。
(新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
今では、時代劇の大部屋ででもなければ見られない糸ダテというものを着て、高慢ちきな中学生五人が、盛岡の町をあとに、秋田県下を四週間にわたって俳句行脚あんぎゃした。
胡堂百話 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
今ここに寛政の末頃であるか、諸国を行脚あんぎゃして俳人に句を書いてもらふたといふその帳面を見るに
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
俳聖芭蕉の行脚あんぎゃをしていた頃までは、田舎いなかの秋にはまだこういう情趣が普通に見られたのである。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
「ああ、この間うちは、主人あるじの詩歌のお友達が、行脚あんぎゃの途中、しばらく泊っていたからですよ」
旗岡巡査 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と云う声はこだまに響きます、うしろ三峰堂みみねどうの中に雨止あまやみをしていた行脚あんぎゃ旅僧たびそう、今一人は供と見えてすげの深い三度笠さんどうがさに廻し合羽で、柄前つかまえへ皮を巻いて、鉄拵てつごしらえの胴金どうがねに手を掛け
敵討札所の霊験 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
お兼 大事ありません、行脚あんぎゃすれば、このような事はたびたびありますとおっしゃいました。
出家とその弟子 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
我翁わがおう行脚あんぎゃの頃伊賀越いがごえしける山中にて猿に小蓑を着せてはいかいのしんいれたまひければ……」
俳句とはどんなものか (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
考えるところではないんでしょう。ぼく、それがおもしろいと思うんです。くやしがったりしちゃあ、塾の精神が台なしになるじゃありませんか。やっぱり愉快ゆかい行脚あんぎゃしましょうよ。
次郎物語:05 第五部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
かわら錫杖しゃくじょう立てて歌よむ行脚あんぎゃなど廻り燈籠のように眼前に浮ぶ心地せらる。
東上記 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
最早もはや三月みつき近くなるにも心つかねば、まして奈良へと日課十里の行脚あんぎゃどころか家内やうちをあるく勇気さえなく、昼は転寝うたたねがちに時々しからぬ囈語うわごとしながら、人の顔見ては戯談じょうだんトつ云わず、にやりともせず
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
「東大寺勧進、諸国行脚あんぎゃ、寄進奉謝、茨組」
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
かつて松雲がまだ僧智現ちげんと言ったころから一方ならぬ世話になり、六年行脚あんぎゃの旅の途中で京都にわずらった時にも着物や路銀を送ってもらったことがあり
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
(現世に利益、未来に冥福めいふくあれ、)と手にした数珠をんで、別れて帰るその後影を拝んだという……宗匠と、行脚あんぎゃの坊さんと、容子ようすがそっくりだった事も分りますし
河伯令嬢 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
国府津こうづ小田原は一生懸命にかけぬけてはや箱根路へかかれば何となく行脚あんぎゃの心の中うれしく秋の短き日は全く暮れながら谷川の音、耳を洗うて煙霧模糊の間に白露光あり。
旅の旅の旅 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
行脚あんぎゃ雲水うんすいよりひどいのもあるし、また、塚原卜伝の如きは、道中、常に六、七十人の供人を連れ、家来にこぶしに鷹をすえさせ、侍臣には、乗換馬のりかえうまを曳かせて、威風堂々と
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
麻の法衣ころもに鼠の頭陀ずだ行脚あんぎゃの支度を取揃えまして、唯今山をくだりまする、その改心の様子を御覧に供えましたら石井氏はさぞかしお悦びであろうと其れのみ申して居りまする