あて)” の例文
ようやく三ヶ月計り前に倫敦ロンドンへ来た坂口さかぐちはガランとした家の中で、たったひとり食事を済すと、何処というあてもなく戸外へ出た。
P丘の殺人事件 (新字新仮名) / 松本泰(著)
湯村は酔うた頭を前後にフラ/\させながら、「女の云ふ事情なんてあてになるものか。」と、でも思出しては手酌でガブ/\あふつて居る。
茗荷畠 (新字旧仮名) / 真山青果(著)
どこへ行こうというあてがある訳ではなかった。眼をそ向ける場所すらない病室が耐えられなかったから飛び出して来たのだった。
いのちの初夜 (新字新仮名) / 北条民雄(著)
山西はふと小女こむすめはべつに往く処はないが、人のいる処が恥かしいので、それで人通りのない方へあてもなく歩くのではあるまいかと思った。
水魔 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
他の二人も心得て、何処をあてともなしにドンドン鉄砲を撃つこと二三発、それから再び釜を覗いて見るとモウ何物なんにも見えない。
そこらの芸妓屋や、劇場の居周いまわりも静かであった。お庄は暗い町をすごすごと歩いていたが、どこへ行くというあてもなかった。
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
とも二人ふたりでブラリといへた。もとより何處どこかうといふ、あてもないのだが、はなしにもきがたので、所在なさに散歩さんぽ出掛でかけたのであツた。
虚弱 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
半年許りして、或事情の下に北海道に行つたとまで知つてゐるが、生きてゐるとも死んだとも、消息を受けた人もなければ、尋ねるあてもない。
二筋の血 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
朱実は、まっしぐらに、あてもなく闇の中へ駈け去った。髪についていたかんな屑が一ひら、闇の中にひらひら動いて行った。
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「いつの世にも殉教者の氣慨がなけりやア駄目ですな。」自分はあてもなく書生の慷慨を漏すと、高佐君は突然首をかしげて
新帰朝者日記 (旧字旧仮名) / 永井荷風(著)
あてもないのに盲滅法に歩きとばして脚の疲れた儘に、とある倉庫の空地をみつけて、つい小半日もへタバッテいる間に偶然この女を見付けた訳だ。
苦力頭の表情 (新字新仮名) / 里村欣三(著)
まだ朝早いので、通る人が少い処へ、純一が通り掛かったのだから、道の両側から純一一人をあてにして勧めるのである。
青年 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
「そう万事あてにならなくっちゃ駄目だ。僕だけ君の結婚問題を真面目まじめに考えるのは馬鹿馬鹿しい訳だ。断っちまおう」
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
彼等は今日もあてもなく街で出逢ふと、二口三口言葉を交へて、的もなく散歩に来たのだった。彼等は二十五歳になった。そしてその響は空虚であった。
三人 (新字旧仮名) / 原民喜(著)
さて万作はうちを出てどこへ行くといふあてもなく、ずん/\と東の方へ行きましたが、そこに大きな山がありました。
蚊帳の釣手 (新字旧仮名) / 沖野岩三郎(著)
鼠のつばをぐったりとしながら、我慢に、吾妻橋の方も、本願寺の方も見返らないで、ここをあてに来たように、素直まっすぐに広小路を切って、仁王門を真正面まっしょうめん
妖術 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
此を譲つて何時また五重塔の建つといふあてのあるではなし、一生到底とても此十兵衞は世に出ることのならぬ身か、嗚呼情無い恨めしい、天道様が恨めしい
五重塔 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
貴方が屹度きっと殺したということが分りもしない、こんなあてもないのに敵を討つといったっても仕方がない訳だから、いっ敵討かたきうちという事はめてしまおう
真景累ヶ淵 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
何を便たよりに尋ぬべき、ともしびの光をあてに、かずもなき在家ざいけ彼方あなた此方こなた彷徨さまよひて問ひけれども、絶えて知るものなきに、愈〻心惑ひて只〻茫然と野中のなかたゝずみける。
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
引合せてやる縁者えんじゃがあるとか、思い合う男に添わせてやるとかいうあてがあるならば、張合いがあるべきところだけれども、これを伯母のお滝に返してやろうか
ただ雲の間を潜って、へさきに据えた羅針盤を頼りに、どこをそれというあてもなく昇って行くのである。
月世界競争探検 (新字新仮名) / 押川春浪(著)
「私しなんか、三カ日のうちにお客のあてがまだ一人もないんだもの、本統にくさくさしッちまうよ」
今戸心中 (新字新仮名) / 広津柳浪(著)
日ぐれころになると、あてもなくぶらりと街路へでかけて、いつまででも歩きつづけるのであった。
幻影の都市 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
言い捨てると、さてまた退屈じゃが何処へ参ろうかなと言わぬばかりに、ぶらりぶらりとあてもなく更け静まった都大路を、しっとり降りた夜霧のかなたへ消え去りました。
これが命の竹の杖で、おぼつかなさそうに足もとをさぐり、あてなしに彷徨さまよっているのであった。
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
で、とにかく何の用事もなく、何のあてもなく、新橋の方から銀座通の左側の舗道をぶらぶら歩いて行った。そして尾張町の四辻より一つ手前の四辻に差しかかった時である。
(新字新仮名) / 渡辺温(著)
建てるものともあてのない家の図面の、而も実用的といふやうな分子などは一つも無いものを何枚も何十枚も、それは細かく細かく描いて居るかと思ふと、不意に庭へ飛び出して
偏屈の源因げんいんであるから、たちまち青筋を立てて了って、あてにしていた貴所あなた挙動ふるまいすらも疳癪かんしゃくの種となり、ついに自分で立てた目的を自分で打壊たたきこわして帰国かえって了われたものと拙者は信ずる
富岡先生 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
その泰平はあてにならない気がした頃のことだ、色の白い、骨細の優男やさおとこの宮内より、たくましい体をもって、力も人並以上あり、起居たちいも雄々しい慎九郎の方が、治部太夫の娘の気に入った。
討たせてやらぬ敵討 (新字新仮名) / 長谷川伸(著)
と女ははなやかなる声の優しくまずとい懸けたり。されど仙太は応答こたえもなさで、首をたれたるまま、時々思い出したらんように苫屋の方を振返りつつ、あてもなく真砂まさごの間をざくざくとふみ行きぬ。
片男波 (新字新仮名) / 小栗風葉(著)
兎もあれ一双揃わねば意味をなさぬ、そのあてにしていた片双が、電報で外国あちらに問い合せたりして貰った結果どうやら間にあいかねる様子の知れたのが、もう十二月になってからのことです。
それでいてまだ何処というあてもないでいると言ったような自然の中を、こうしてさ迷いながら、あちこちの灌木の枝には注意さえすれば無数のつぼみが認められ、それ等はやがてき出すだろうが
美しい村 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
あてもなしに、戸外に出たかった。暗い道を何処どこまでも何処までも、歩いて行きたいような心持になっていた。が、母に対して、散歩に出ないと云った以上、ホテルの外へ出ることは出来なかった。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
ついに総てが闇に包まれる時が来た。急傾斜な谷を余程下りなければ水を得られるあてもなかった三人は、寂しい夜道を辿って一つの小山の登りに懸った。飢渇に疲れた体には夫を越すのが容易でない。
奥秩父の山旅日記 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
大王すっかりあてが外れたというような風でありました。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
東京に来て見たものの——生活くらせあてはない
都会と田園 (新字旧仮名) / 野口雨情(著)
おせいは誰にたよるあてもないのを感じた。
星座 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
どこというあてもないが、ともかくもその場所をよく見とどけて置く必要があるので、半七はまず柳原の堤の方へ足をむけた。
半七捕物帳:43 柳原堤の女 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
半年許りして、或事情の下に北海道に行つたとまで知つてゐるが、生きてゐるとも死んだとも、消息を受けた人もなければ、尋ねるあてもない。
二筋の血 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
お通さんが、武蔵様と行き会えないのは、そういう風に、何かちらと、噂でも、影でもさすと、直ぐ一途に、それをあてに行くからじゃないかな。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それでもこちらから借りに行った呉梅村詩ごばいそんしという四文字よもじあてに、書棚をあっちこっちと探してくれたのであった。父はあつく彼の好意を感謝した。……
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
今更自動車の後を追ったところで、あてがない訳だ。広くもないマーゲートの事であるから、明日あすになってから彼女の住居すまいを突止める事にしようと思った。
緑衣の女 (新字新仮名) / 松本泰(著)
ちょうどこの小さな散際ちりぎわの柳をあてに、柳屋へ音信おとずれたので、葉が一斉になびくと思うと、やがて軍鶏の威毛おどしげおののゆらいで、それから鶏を手から落した咄嗟とっさ
三枚続 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
これを譲っていつまた五重塔の建つというあてのあるではなし、一生とてもこの十兵衛は世に出ることのならぬ身か、ああ情ない恨めしい、天道様が恨めしい
五重塔 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
合同資本と謂ツても、其のじつ田舍から出たての叔父と綾さんの父とが幾らか金を持ツてゐたゞけて、あとひと懐中ふところあての、ヤマを打當ぶちあてやうといふ連中の仕事だ。
昔の女 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
叔父のところへ行けないとすると、さしあたりどこへ行くというあてもない。お作はただフラフラと歩いた。
新世帯 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
「貴方のその内はあてにならないから、その内/\つて最う二月になりますもの。」とねばつた調子である。
茗荷畠 (新字旧仮名) / 真山青果(著)
その日彼は山手の方へあてもなくブラブラ歩いて行った。茂みで鳥が啼いていた。野茨のいばらの赤い実が珠をつづり草の間では虫がすだいていた。ひどく気持ちのよい日和ひよりであった。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
「そんなに獲れてくれると好いが、どうだか」と、女房はあてにしていないらしい。
鮭の祟 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
忠太郎 (あてもなく、母探しにまた歩き出す)
瞼の母 (新字新仮名) / 長谷川伸(著)