生憎あいにく)” の例文
かう云ふ問題が出たのですが、実を云ふと、わたし生憎あいにくこの問題に大分だいぶ関係のありさうな岩野泡鳴いはのはうめい氏の論文なるものを読んでゐません。
河原沢から望見した所では、其鞍部の西に在る尖峰が竜頭山に当るらしいが、其時生憎あいにく密雲に閉ざされて確かむることを得なかった。
二、三の山名について (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
それが今日は生憎あいにく早暁そうぎょうからの曇りとなった。四方よもの雨と霧と微々たるしずくとはしきりに私の旅情をそそった。宿酔しゅくすいの疲れも湿って来た。
木曾川 (新字新仮名) / 北原白秋(著)
「アイヨ……知っているよ。それ位の事は……ホホホホホ。けれどそれはホントにお生憎あいにくだったネエ。そんな用なら黙ってお帰り!」
いなか、の、じけん (新字新仮名) / 夢野久作(著)
幸「もう治りました、早く帰って休んだ方が宜しい……これは親方生憎あいにくな事で、とんだ御厄介になりました、又其の内に出ましょう」
名人長二 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
私は生憎あいにくその日は学校の図書館から借出した重い書物の包を抱えていた上に、片手には例の蝙蝠傘こうもりがさを持っていた。そればかりでない。
生憎あいにく鼻子夫人の鼻がこっちを向いて池越しに吾輩の額の上を正面からにらめ付けている。鼻に睨まれたのは生れて今日が始めてである。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
不都合なことにも花魁太夫おいらんだゆう達に、ひとりもお茶を引いているのがいないと見えて、そのお定まりの留め女すらも現れない生憎あいにくさでした。
生憎あいにくかかあがいねえので、碌なお肴もありませんが、まあ一杯飲んでから出かけることに致しましょう。(台所に向いて。)おい、亀。
勘平の死 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
生憎あいにくそんなものは持合せていないので、まあ我慢することにして——足袋たび穿き、手袋をはめ——天井裏は、皆荒削あらけずりの木材ばかりで
屋根裏の散歩者 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
生憎あいにく、うちの良人ひとも、小荷駄衆のお侍から出頭しろといわれて、夕方、酒匂のお役所まで行きましたが、もう間もなく戻りましょう』
篝火の女 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
が、生憎あいにくとそれは、機関の響きで妨げられたけれど、絶えずその物音は狂喚と入れ交じって、隣室からひっきりなしに響いてくるのだ。
潜航艇「鷹の城」 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
「これは昨日大阪の方からまゐりました奈良漬でございますけど、いかゞでございますか。生憎あいにく何にもお茶受けがございません。」
桑の実 (新字旧仮名) / 鈴木三重吉(著)
今や竜虎りゅうこの闘いである。悪竜あくりゅうが勝つか、それとも侠虎きょうこが勝つか。生憎あいにくと場所は敵の密室中である。部屋の入口には鍵が懸っていた。
蠅男 (新字新仮名) / 海野十三(著)
ひさしぶりで懇意にしてゐる家へ訪ねていつたのに、生憎あいにく留守だつたので、もういく先のあてもなく、ぶらりぶらりと歩いてゐた。
良寛物語 手毬と鉢の子 (新字旧仮名) / 新美南吉(著)
彼は其足で更にお馨さんの父母を訪うことにした。銀座で手土産てみやげの浅草海苔を買ったら、生憎あいにく御結納おんゆいのう一式調進仕候」の札が眼につく。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
それから早速さっそくひとたのんで、だんだん先方せんぽう身元みもとしらべてると、生憎あいにくおとこほう一人ひとり息子むすこで、とても養子ようしにはかれない身分みぶんなのでした。
生憎あいにく其方そなたよろめける酔客すいかくよわごしあたり一衝撞ひとあてあてたりければ、彼は郤含はずみを打つて二間も彼方そなた撥飛はねとばさるるとひとしく、大地に横面擦よこづらすつてたふれたり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
生憎あいにくだな! と思つた。あたりの田舎の景色はあるが、沼や林や大河の眺めもあるが、それ以上にかれは自分の恋人をSに見せたかつた。
ひとつのパラソル (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
「バンガローの鍵を持っている管理人は、今日は吉田へ行っているはずだ。売店なんかもやっていないだろうし、生憎あいにくだったね」
肌色の月 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
大庭 家内かない生憎あいにく留守でどうも……さあ、まあお上り下さい。おい、かな、かなはゐないのか。(女中現はれる)座布団を……。
五月晴れ (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
「僕のところに何かあれば、喜んで交換してやるのだが、生憎あいにくで気の毒だな。ところで、君はちょいちょい買いだしに歩くかね」
食べもの (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
便所は女中達の寝る二階からは、生憎あいにく遠い処にある。梯子を降りてから、長い、狭い廊下を通って行く。その行き留まりにあるのである。
心中 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
信孝の方でも、逸早いちはやく救援を勝家に乞うたけれども、生憎あいにくの雪である。勝家、猿面冠者に出し抜かれたと地駄太踏むが及ばない。
賤ヶ岳合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
「飛んだことになりました、生憎あいにく相談相手もなく、肝腎の岡さんは三日前から、足柄あしがらへ用事があって出かけ、明日でなければ戻りません」
私は生憎あいにくある友達が精神異状で行方ゆくえ不明になりさがまわらねばならなかったりして松の内も終る頃ようやく地平さんの所へ行った。
篠笹の陰の顔 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
『何あに、もう一時間も早けや彼の子供はようく眠つてたんでさあ。時間が後れたばかりで生憎あいにくとこんな事になつたんですよ。』
監獄挿話 面会人控所 (新字旧仮名) / 伊藤野枝(著)
平中は、餘り醜態にならないように冷静を装ったつもりであったが、生憎あいにく自分でも可笑しいくらい声がふるえているのであった。
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
一体あの白熊のうちのどれかが怒り出すと好いのだが、生憎あいにく怒らない。山の坑の中では、いつ爆発があるやら分からないのだ。
防火栓 (新字旧仮名) / ゲオルヒ・ヒルシュフェルド(著)
お名札をと申しますと、生憎あいにく所持せぬ、とかようにおっしゃいまする、もっともな、あなた様おつきおそうござりましたで、かれこれ十二時。
伊勢之巻 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
生憎あいにく日が未だ暮れ切らないで、通行人も相当あったし、疑われないようにするには余程骨が折れた。と云って四辺あたりに身を隠す蔭もなかった。
支倉事件 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
、叩き倒したのはえらいもんだ。よう花村やあ——と、讃め言葉がほしいねえ——生憎あいにくと、田圃たんぼ外じゃあ、おいら一人の見物で、物足りねえ
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
『丑松の奴がいろ/\御世話様に成りますさうで——昨日さくじつはまた御出下すつたさうでしたが、生憎あいにくと留守にいたしやして。』
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
ただ連中饅頭まんじゅうが食いたくなって、しきりに饅頭屋を探したのだが、生憎あいにく一軒も無くって大悄気しょげ。渋川からは吾妻川あがつまがわの流れに沿うて行くのである。
アノ人が自分の世界から態々わざわざ出掛けて来て、私達の世界へ一寸入れて貰はうとするのだが、生憎あいにく唯人の目を向けさせるだけで、一向効力ききめが無い。
菊池君 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
ラネーフスカヤ 楽隊の来たのも折が悪かったし、舞踏会も生憎あいにくの時に開いたものだわ。……まあ、いいさ。……(腰かけて、そっと口ずさむ)
桜の園 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
何しろ新材料はやみみと云うとこで、近所の年寄や仲間に話して聞かせると辰公は物識ものしりだとてられる。迚も重宝ちょうほうな物だが、生憎あいにく、今夜は余り材料たねが無い。
越後獅子 (新字新仮名) / 羽志主水(著)
生憎あいにくよるからつてそらにははげしい西風にしかぜつて、それにさからつてくおしな自分じぶんひど足下あしもとのふらつくのをかんじた。ぞく/\と身體からだえた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
生憎あいにく人もごたごたしていたので、息もろくにつけずに、胸に手を置いたような、重くろしい気もちでその夜は明かした。
かげろうの日記 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
生憎あいにくのことか、幸いか、七兵衛の眼は、暗中で物を見得るように慣らされていますから、今しも塀を乗越えて来る曲者くせもの
大菩薩峠:25 みちりやの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
此話が発展したら、如何どんな面白い話になるのだか分らんのだけれど、其様そんな時に限って生憎あいにくと、茶の間あたりで伯母さんの奥さんの意地悪が私を呼ぶ
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
怪談の目星を打たれる我々も我々であるが、部署を定めて東奔西走も得難いね。生憎あいにく持合もちあわせが無いとだけでは美術村の体面にかかわる。一つ始めよう。
不吉の音と学士会院の鐘 (新字新仮名) / 岩村透(著)
村人らは自分のけた火を消し出したが、生憎あいにくの追風にはもう手の尽しようもなく拡がった火の手は、四方から暗い煙と、粉を吹く火の手にかわり
野に臥す者 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
用人の白木重兵衛しらきじゅうべえが参るべきところであるが、生憎あいにくいろいろと用事が多いので、きょうは拙者が用人代りに来たのだ。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
私は生憎あいにく加減が悪くて寝ていたのですが、ちょっとで済む御話でしたら、と断って床から抜け出し、どてらの上に羽織を羽織って、面会いたしました。
心の王者 (新字新仮名) / 太宰治(著)
生憎あいにくただ今爺が御邸おやしきへまいっていてはっきり分りませんが——賄は一々指図していただくことにしませんと……」
明るい海浜 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
「済まないが、けふはこらへてくれ。女房のリイケが産をし掛けてゐる。生憎あいにく己の命が己の物でなくなつてゐる。」
引き寄せて見ると生憎あいにく、煙草盆の埋火うずみびが消えてゐたので、行燈あんどんの方へひざを向けた——自然、まつすぐに離れ家の方を彼は向いてしまつたのである。——
老主の一時期 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
一里近く歩んで池田村に入りましたが、生憎あいにく小宮山氏は不在でした。止むなく近き湯村に一夜を送り、九日の朝早く私たちは再び同氏を訪れたのです。
民芸四十年 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
……それはそうとようおいで、せめてお茶でも、オヤいけない、生憎あいにく切れておりましてね、あのそれでは白湯さゆなりと。と云って珍らしいものではなし。
任侠二刀流 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)