水戸みと)” の例文
また下士の内に少しく和学を研究し水戸みとの学流をよろこぶ者あれども、田舎いなかの和学、田舎の水戸流にして、日本活世界の有様を知らず。
旧藩情 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
天保てんぽう四年はみずのと巳年みどしで、その夏四月の出来事である。水戸みと在城ざいじょう水戸侯みとこうから領内一般の住民に対して、次のやうな触渡ふれわたしがあつた。
梟娘の話 (新字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
わるへば傲慢がうまんな、下手へたいた、奧州あうしうめぐりの水戸みと黄門くわうもんつた、はなたかい、ひげしろい、や七十ばかりの老人らうじんでした。
雪霊記事 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
一度は水戸みとの姫君さまのお輿入こしいれの時。一度は尾州の先の殿様が江戸でおくなりになって、その御遺骸ごいがいがこの街道を通った時。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
案内者は水戸みとの者であつた。五十そこらの氣輕さうな男。早くから北海道に渡つて、近年白糠に來て、小料理屋をやつて居る。
熊の足跡 (旧字旧仮名) / 徳冨蘆花(著)
案内者は水戸みとの者であった。五十そこらの気軽きがるそうな男。早くから北海道に渡って、近年白糠に来て、小料理屋をやって居る。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
それからまた湯島の下のがけっぱなにもね、その先の水戸みとさまのお屋敷めえにもぽつねんと置き忘れてあるというんでね。
しみじみ云いました通り、私が以前に水戸みと藤田ふじた先生の御存命中に承わった処では、今に世の中がどんでん返しをして、吃驚びっくりする程変ってくる。
死剣と生縄 (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
脇坂わきざかの部屋を振りだしに榎坂えのきざか山口周防守やまぐちすおうのかみの大部屋、馬場先門ばばさきもん土井大炊頭どいおおいのかみ、水道橋の水戸みとさまの部屋というぐあいに順々にまわって、十日ほど前から
顎十郎捕物帳:07 紙凧 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
神田川にそそぐお茶の水の堀割は、両岸の土手が高く、樹木が鬱蒼うっそうとして、水戸みと家がへいした朱舜水しゅしゅんすいが、小赤壁しょうせきへきの名を附したほど、茗渓めいけい幽邃ゆうすいの地だった。
田沢稲船 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
それからまたもう一つは、水戸みとのときにも話したと思いますが、魚の頭が落ちていた。そこへハエがたかっている。それを見たときにやはり実相感を感じました。
生活と一枚の宗教 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
その小さな路地の奥には、ただ、四軒ばかり、小ぢんまりした家があるきりなのである。ちょうど水戸みと様の下屋敷の裏になっていて、いたって物静かなところである。
三つの挿話 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
渡りこえ水戸みと樣前を左りになし壹岐殿坂いきどのざかを打上り本郷通りを横に見てゆけども先の目的めあてなき目盲めくら長屋ながや
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
つまり水戸みとの先の太田おほたまで軌道で行つて、それから磐城の棚倉の方へと出て行く途中にあるのである。帰りに、白河しらかは古関址こくわんしなどを探るのもまた一つの面白い旅の行程である。
行つて見たいところ (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
何うもこりゃア水戸みと笠間かさま辺までもあらすから助けて置いては成らぬと云うので、城中の者が評議をした、ところが何うも八州は役に立たぬから早川様が押えようという事になって
敵討札所の霊験 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
それに、女番頭格のお高と、それだけの一家だ。朝は、水道下の水戸みと様の屋根が太陽を吹き上げる。西には、牛込うしごめ赤城あかぎ明神が見える。そこの森が夕陽ゆうひを飲み込む。それだけの毎日だ。
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
水戸みととかでお座敷に出ていた人だそうですが、倉地さんに落籍ひかされてからもう七八年にもなりましょうか、それは穏当ないい奥さんで、とても商売をしていた人のようではありません。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
即ち経籍の古版本こはんぼん、古抄本をさぐもとめて、そのテクストをけみし、比較考勘する学派、クリチックをする学派である。この学は源を水戸みと吉田篁墩よしだこうとんに発し、棭斎がそののちけて発展させた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
このとしの三がつ三日みっかには、桜田門外さくらだもんがいで、水戸みと浪士ろうし主人しゅじんをもたないさむらい)が、幕府ばくふ開国かいこくしたことをおこって、そのせきにんしゃである大老たいろう井伊直弼いいなおすけをおそうというじけんまでありました。
雑炊の上から煎茶せんちゃのうまいのをかけて食べるのもよい。通人つうじんの仕事である。水戸みと方面の小粒納豆があれば、さらに申し分ないが、普通の納豆でも結構いただけることを、私は太鼓判たいこばんして保証する。
〔評〕南洲守庭吏しゆていりと爲る。島津齊彬なりあきら公其の眼光がんくわう烱々けい/\として人をるを見てぼん人に非ずと以爲おもひ、拔擢ばつてきして之を用ふ。公かつて書をつくり、南洲に命じて之を水戸みとれつ公に致さしめ、初めより封緘ふうかんを加へず。
日本橋から三里、新宿にいじゅくとなる。新宿から一里、松戸となる。松戸から三里、小金こがねの宿。小金から三里、我孫子あびことなる。ずっと行けば、水戸みとへ出る。これすなわち水戸街道。今日の里程とはだいぶ違う。
剣侠受難 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
水戸みとのさきの方から参りました」
女の首 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
半九郎は水戸みとの藩士である。
梟谷物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
水戸みとの百姓侍だそうだ」
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
こないだも、水戸みと浪人ろうにんだなんていう人が吾家うちへやって来て、さんざん文句を並べたあげくに、何か書くから紙と筆を貸せと言い出しました。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
をどれ、をどれ、とをどまはつて、水戸みと大洗節おほあらひぶしれるのが、のこらず、銀座ぎんざのバーからた、大女おほをんな一人藝ひとりげいで。……つた、つた、うたつた、をどつた。
木菟俗見 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
今年の五月、菊五郎一座が水戸みとへ乗込んだとき。一座の鼻升びしょう、菊太郎、市勝いちかつ五名は下市しもいち某旅店ぼうりょてん(名ははばかつてしるさぬ)に泊つて、下座敷したざしきの六畳のに陣取る。
雨夜の怪談 (新字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
水戸みとの武田耕雲斎に思われ、大川の涼み船の中で白刃はくじんにとりまかれたという挿話そうわももっている。
明治大正美人追憶 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
例えば宇和島うわじま藩、五島ごとう藩、佐賀さが藩、水戸みと藩などの人々が来て、あるい出島でじま和蘭オランダ屋敷にいって見たいとか、或は大砲をるから図を見せてれとか、そんな世話をするのが山本家の仕事で
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
濃い影を地面におとして、お高の乗った駕籠は、上水とお槍組やりぐみのなまこべいのあいだを、水戸みと様のお屋敷のほうへくだって行った。磯五が、顔を光らせて、駕籠のそばにぶらぶらついて行った。
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
それが小梅のおばさんの家に浜之助のきた最初であり、また最後であった。夕方、ようやく薫さんの癪もおさまり、浜之助が連れもどることになって、皆して水戸みとさまの前まで送っていった。
花を持てる女 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
彼はあの源敬公の仕事を水戸みと義公ぎこうに結びつけて想像し、『大日本史』の大業を成就したのもそういう義公であり
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
水戸みとの学問が興ったころから、その運動もまたはなやかであったころから、それと並んで復古の事業にたずさわり
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
あの水戸みと浪士の同勢がおのおの手にして来た鋭い抜き身のやりや抜刀をも恐れずにひとりで本陣の玄関のところへ応接に出たような、その気象はまだ失わずにある。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
昨日は将軍家が江戸東叡山とうえいざんの寛永寺を出て二百人ばかりの従臣と共に水戸みとの方へ落ちて行かれたとか
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
水戸みと浪士の時のことを考えて見たまえ。幹部の目を盗んで民家を掠奪りゃくだつした土佐の浪人があると言うんで、三五沢で天誅てんちゅうさ。軍規のやかましい水戸浪士ですら、それですよ。」
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
いったん時代から沈んで行った水戸みとのことが、またしきりに彼の胸に浮かぶ。彼はあの水戸の苦しい党派争いがほとんど宗教戦争に似ていて、成敗利害の外にあったことを思い出した。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)