くぬぎ)” の例文
雪こそは降り出さなかったが、その灰色をした雪雲の下に、骨を削ったようなくぬぎかしの木立は、寒い木枯こがらしに物凄い叫びをあげていた。
不幸 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
アパートのどの窓からも殆んどうかがう事の出来ない程に鬱蒼たるくぬぎ赤樫あかがしの雑木林にむっちりと包まれ、そしてその古屋敷の周囲は
石塀幽霊 (新字新仮名) / 大阪圭吉(著)
池袋雜司ヶ谷戸山ヶ原板橋附近の郊外は總じて平地で、其處に茂つてゐるものはくぬぎであつた。そしてその下草には芒が輝いてゐた。
北側にもう一段高くなって、ちらばらに武家の別墅べっしょがある他は、丘から向うの葉島谷にかけて、多く松やくぬぎの林と畑つづきである。
柘榴 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
くぬぎからならと眼をつけ、がさ/\と吾がみ分くる足下あしもとの落葉にも気をつけ、木を掘ったあとのくぼみを注視し、時々立止って耳を澄ました。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
千駄谷せんだがや田畝たんぼを越して、くぬぎの並木の向こうを通って、新建ちのりっぱな邸宅の門をつらねている間を抜けて、牛の鳴き声の聞こえる牧場
少女病 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
葉の落ちつくしたくぬぎの林が、東から南にかけて、晴れた空にてついている。日の出がせまって、雲が金色に燃えあがっていた。
次郎物語:05 第五部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
勘次かんじ開墾かいこん手間賃てまちん比較的ひかくてき餘計よけいあたへられるかはりにはくぬぎは一つもはこばないはずであつた。彼等かれら伴侶なかまはさういふことをもつてた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
丹左が、顔を上げると、葉の落ちているくぬぎばやしのこずえから、その顔の上へ、灰色の小禽ことりの毛が、綿を舞わしたように飛んで来た。
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
『俺はもう、子供のために生きてるんだ。若芽のためにくぬぎの切株が生きてるように』って、それさえ忘れなきゃいいじゃないの
田無たなしと云う処まで来ると、赤土へ自動車がこね上ってしまって、雨の降るくぬぎ林の小道に、自動車はピタリと止ってしまった。
新版 放浪記 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
そして四辺あたりの杉木立や、ならくぬぎかえで、栗等の雑木のもりが、静かな池の面にその姿を落として、池一杯に緑を溶かしている。
首を失った蜻蛉 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
関東で賞味している椎茸は、実は椎の木にできたものではなく、くぬぎの木にできたものだから本当にうまいとはいえない。
椎茸の話 (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
沢のむこうのくぬぎ林がうす蒼く輝いてかすんでいる風のない月夜に、ボーと赤く燃え上ったとしか思えないのであった。
昔の火事 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
ならくぬぎの若葉が、風に裏がへるころになれば、そこに山蚕やまこが生れて、道の上に黒く小さいふんを沢山おとすのであつた。
念珠集 (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
柞の字は『新撰字鏡しんせんじきょう』には「くぬぎなり」とあり「草を除くをさんい木を除くをさくと曰う」とあるけれども、訓は「ナラの木」または「シイ」である。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
南に向いている弥之助の眼の前は畑を通して一帯の雑木林が続いて、くぬぎならを主とする林木が赤に黄に彩られている、色彩美しいと云わなければならぬ。
火葬場の女松や枯くぬぎや、通り過ぎると、青い杉や小松の長い長いトンネルになる。肥桶積んだ赤馬が後ろから来る。
蜜柑山散策 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
黒石でつつまれた高みの上に、りっぱな赤松あかまつが四、五本森をなして、黄葉したくぬぎがほどよくそれにまじわっている。
河口湖 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
庭先を流れてゆく溝にはめだかや蝦が泳ぎ、畦道にはひよろひよろとくぬぎの若木がならび、青田の末はをかになつてまつ黒な森がどこまでもつづいてゆく。
銀の匙 (新字旧仮名) / 中勘助(著)
山が次第に深まるにれて秋はいよいよたけなわになる。われわれはしばしばくぬぎ林の中に這入はいって、一面に散り敷く落葉の上をかさかさ音を立てながら行った。
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
寄宿舎の二階の窓近く大きな花を豊かに開いた木蘭もくらんにおいまでがそこいらに漂っているようだった。国分寺こくぶんじ跡の、武蔵野むさしのの一角らしいくぬぎの林も現われた。
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
夕月がして虫が鳴いていた。益雄ますおはその虫の声に耳を傾けながら跫音あしおとをささないようにと脚下あしもとに注意して歩いていた。そこにはすすきの穂がありくぬぎの枝があった。
草藪の中 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
前の山のくぬぎ林ももう赤つ茶けた色になつて、半分許り落葉した木の間には汚ない山の地膚を見せてをる。
落葉降る下にて (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
くぬぎはしばみなどの落葉がからからにからびて、一歩一歩踏んで行く草鞋をややもするとすべらせようとする。
茸をたずねる (新字新仮名) / 飯田蛇笏(著)
片側はくぬぎ林で、片側は土手。熊笹くまざさが風にゆらいでいるばかり。闇をすかして見たが、人影など見えない。
やがて炉辺へドッカと座り、ぶすぶす煙る雑木を大火箸おおひばしであらけ、ぱっと燃え付いたところへくぬぎの枝を折りくべた。火勢が盛んに成ると、皆なの顔も赤々と見えた。
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
げに木には望あり。そは復活しまた復活す、らるるともまた芽を出し枝をひろげる。桑の如きくぬぎの如き、わざと砍りてその生命を永久に新鮮ならしむる者さえある。
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
荘子はそういう雑沓ざっとうには頓着とんちゃくなく櫟社の傍からぬっと空に生えているくぬぎの大木を眺め入って居た。
荘子 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
数匹の蝦蟇がまが腹這ってい、少し離れた枯れ草の中に、山猫が二匹金の眼を光らせ、黙然と焚火を見詰めてい、その側に立っているくぬぎの枝に、ふくろうが止まって眠っているのは
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
そうして若葉の美しいくぬぎ林のなかや穂を出しかけた麦畑の間を、汗をふきふき歩いて行った。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
くぬぎは古い葉をすつかり振り落して新芽から延びた緑の葉がほゝにうつつてほてるやうである。
筑波ねのほとり (旧字旧仮名) / 横瀬夜雨(著)
昔、鷹匠が住んでいた所で、古い庭園など荒果てて残って居り、あたりは孟宗竹もうそうちくやぶや茶畑、桜やくぬぎの林が一面で、父の家はその竹藪に囲まれた中にあった。だからいたちや狐も居た。
回想録 (新字新仮名) / 高村光太郎(著)
氣が付くと彼は何時か、解剖室の入口から少し外れて傍の方へ——其のまゝ眞ツ直に進むだら、ならくぬぎの雜木林へ入ツて了ふ方向に、フラ/\と、まるで氣拔でもした人のやうに歩いて行く。
解剖室 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
お民は松葉束を流しもとへ投げ出し、それから泥だらけの草鞋わらぢも脱がずに、大きい炉側ろばたあがりこんだ。炉の中にはくぬぎの根つこが一つ、赤あかと炎を動かしてゐた。お住はすぐに立ち上らうとした。
一塊の土 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
一度百尺近くもあるくぬぎの大木に攀じ上ったまではよかったが、下を覗くと木の周りにいる仲間の子供は小さい頭だけとなり、頭から手が出、頭が歩いているように見えたので、変な気持に襲われ
登山談義 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
太いくぬぎの幹である。
晶子詩篇全集 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
見れば成程、路から一寸離れたくぬぎや小松の雜木林の中に立ててある眞新しい電柱の上に登つて彼は何やら爲しつゝある所であつた。
梅雨紀行 (旧字旧仮名) / 若山牧水(著)
ならくぬぎを切りたおして椎茸のぼた木を作る。山葵や椎茸にはどんな水や空気や光線が必要か彼らよりよく知っているものはないのだ。
温泉 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
帰って家近くなると、天狗犬はデカを恐れて、最早もういて来なかった。ピンの主人を見送って、悄然しょうぜんくぬぎの下のこみちに立て居った。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
わからなくなるとまた梟の鳴声をまねた、——そんなことを三、四回くりかえすうちに、いつかくぬぎ林のなかへ入ったと思うと
梟谷物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
おつぎは自分じぶん毎日まいにちつてたので開墾地かいこんちからはこんだくぬぎみなつてる。おつぎはくぬぎひとりでひそかした。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
武蔵野のなごりのくぬぎの大並木の間からちらちらと画のように見えるころであったが、そのくぬぎの並木のかなたに、貸家建ての家屋が五、六軒並んであるというから
少女病 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
五日の晩、大きい牡丹雪が降り出した景色は好くて、寿江子と二人で北窓から並んで首を出し、くぬぎの並木の梢が次第に雪にとけこんで行く景色をやや暫く眺めました。
木部との恋に酔いふけって、国分寺こくぶんじくぬぎの林の中で、その胸に自分の頭を託して、木部のいう一語一語を美酒のように飲みほしたあの少女はやはり自分なのだろうか。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
先ず、端山の楢やくぬぎなどの生い茂った林からはいり始める。林にはどこにも見るような萓や女郎花、桔梗、萩などの秋草が乱れ咲いて朝露が粒だって葉末にとまっている。
茸をたずねる (新字新仮名) / 飯田蛇笏(著)
炉にはかしくぬぎくわなどをくべたが、桑が一番火のちがよく、熱もやわらかだと云うので、その切り株をおびただしく燃やして、とても都会では思い及ばぬ贅沢ぜいたくさにおどろかされたこと。
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
間もなく雀は力強い羽音をたて、澄みきった冬空にりのように静まりかえっているくぬぎ疎林そりんをぬけて、遠くに飛び去った。そして、すべてはまたもとの静寂にかえった。
次郎物語:05 第五部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
どんぐりやくぬぎや柏によって形成かたちづくられている雑木林には、今は陽があたっていて、初葉さえ附けていない裸体はだかの幹や枝が、紫ばんだかば色に立ち並んでいたが、紙帳は釣ってなかった。
血曼陀羅紙帳武士 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
南下りになったくぬぎ林の中を行くと、はるかむこうの芝生の端に、マンサルドのついた宏壮な洋館の屋根が見え、それを見おろすような位置に、のきの低い、暗ぼったい柾屋まさやがたっていた。
西林図 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)