しきみ)” の例文
し鴉片の煙の匂に近い匂を求めるとすれば、それは人気のない墓地の隅に寺男か何かの掃き集めたしきみの葉を焚いてゐる匂であらう。
鴉片 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
老人は北枕に寝かされ、逆さにした枕屏風まくらびょうぶと、貧しいしきみの壺と、細い線香の煙にまもられていた。……お留伊は顔の布をとってみた。
鼓くらべ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
そんな町の中に、珍しい商売のしきみ問屋があったりして、この山の手の高台の背を走る、狭い町筋の左右に、寺の多いことを語って居る。
寺町 (新字新仮名) / 岩本素白(著)
ところがもっと不思議な事には、翌朝、関白の家の格子こうしをあけると、今、山からとれたばかりとしか思えないしきみが、一枝置かれていた。
死ぬのを忘れ、知慧を忘れた老婆が眼をつぶり指を組んで其処に坐っている様であった。或る窪地では思いがけないしきみの密生林に出会った。
みなかみ紀行 (新字新仮名) / 若山牧水(著)
明ければ八月二十七日という前の夜、城中の大広間にすえて、香炉、しきみの花など供え、生前の葬式というものをり行った。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
もりしたこみちけば、つちれ、落葉おちばしめれり。白張しらはり提灯ちやうちんに、うす日影ひかげさすも物淋ものさびし。こけし、しきみれたるはかに、もんのみいかめしきもはかなしや。
弥次行 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
寺の上さんが、手桶に水を汲んで来て呉れたり、しきみを持つて来て呉れたり、香炉を持つて来て呉れたりした。私は長い間墓の前に立つて手を合せた。
大阪で (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
遠くも無い寺まいりして御先祖様の墓にしきみ一束手向たむくやすさより孫娘に友禅ゆうぜんかっきせる苦しい方がかえっ仕易しやすいから不思議だ、損徳を算盤そろばんではじき出したら
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
濃いにび色の紙に書かれて、しきみの枝につけてあるのは、そうした人のだれもすることであっても、達筆で書かれた字に今も十分のおもしろみがあった。
源氏物語:35 若菜(下) (新字新仮名) / 紫式部(著)
私は台所口で寺男が内職に売っているしきみを四五本買って、井戸へ掛って、釣瓶縄つるべなわが腐って切れそうになっているのを心配しながら、漸く水を汲上げた。
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
盆前で参詣が多いとみえて、花屋の小さい店先には足も踏み立てられないほどにしきみの葉が青く積まれてあった。
半七捕物帳:05 お化け師匠 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
それを待ってでもいたように誰かが末期まつごの水を汲んだ茶碗をクニ子のそばへ置いた。しきみの葉が一枚浮いていた。
(新字新仮名) / 壺井栄(著)
墓地のしきみの木にさわるので、若い洋服の医師が手を添えて枝をもたげたりして、棺は掘られた墓の前に据えられた。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
在りし日と姿かわった司馬先生は、経かたびら、頭巾、さらし木綿の手甲てっこう脚絆をまとい、六文銭を入れたふくろを首に、珠数を手に、しきみの葉に埋まっている。
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
門のかたわらでしきみなどをひさいでいる爺は、もう八十を越していそうなほどの老人で、それに聞いてみたら私の生父のことなどもよく覚えていそうな気がした。
花を持てる女 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
周囲まはりを白い布で巻いて、前には新しい位牌ゐはいを置き、水、団子、外には菊、しきみ緑葉みどりばなぞを供へてあつた。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
お袖は山刀を持ってせっせとしきみの根をまわしていた。其処は深川法乗院ふかがわほうじょういん門前で俗に三角屋敷と云う処であった。お袖は直助といて線香を売っているところであった。
南北の東海道四谷怪談 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
それがしきみであるという説も幾つかの例では知られているものの、これのみですべて前代の榊が樒であったという証拠にはならず、むしろ神を祭る者の選択によって
故郷七十年 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
墓にまいる人にしきみ綫香せんこうを売り、また足を休めさせて茶をも飲ませる家で、三十ばかりの怜悧かしこそうなおかみさんがいた。わたくしはこの女の口から絶望の答を聞いた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
腰ごろもの觀音さま濡れ佛にておはします御肩のあたり膝のあたり、はら/\と花散りこぼれて前に供へししきみの枝につもれるもをかしく、下ゆく子守りが鉢卷の
ゆく雲 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
平次は黙礼したまま、家の中へ入ると、何よりまず仏間へ入って、まだ小さい床の上に寝かして、枕許にしきみと線香だけ立てたままの、富太郎の死体を見せて貰いました。
母親と幸さんとは、壺の前に時々線香を立てたり、しきみ湿うるおいをくれたりしていたが、お庄はただれた頭顱あたまを見てから、気味が悪いようで、傍へ寄って行く気になれなかった。
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
……その間の、人けのない、一すじ石のいろの白くしずんだ細道のうえに、しきみをもったり線香を煙らしたりした弟子師匠の、五つのそのもつれて行く影がしずかに濃く落ちた。
春泥 (新字新仮名) / 久保田万太郎(著)
二三町も行きますとやぶになっていて、土手の両方にはしきみの赤い実が鈴生すずなりになっている、かやの繁って、白い尾花のそよいでいるだらだら坂になりますが、そのだらだら坂を下りますと
嵐の夜 (新字新仮名) / 小川未明(著)
余は柑子のころげた音を聞いてその光景を想像して居たのをかう作つたのであるが、それは無理ぢや。かつて蕪村の「しきみはみこぼす鼠かな」につきて同じやうな論があつたと思ふ。
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
片手にお線香と番傘を、片手にしきみを五、六本浮かべた手桶を重そうに持ちながら。
小説 円朝 (新字新仮名) / 正岡容(著)
新墓しんばかには光岸浄達信士という卒塔婆そとばが立ってしきみあがって、茶碗に手向たむけの水がありますから、あゝ私ゃア何うして此処こゝまで来たことか、私の事を案じて忠平が迷って私を救い出すことか
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
住職は頷付うなずいて折から手桶ておけしきみと線香とを持って来た寺男に掃除すべき墓石を教え示して静に立ち去った。わたくしは墓地一面に鳴きしきるせみの声を聞きながらおもむろに六基の古墳を展した。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
それがちっとも陰気でなくて、角の花屋の軒下においてある線香の赤い紙の色も、陽を浴びて艶々している手桶のしきみの青葉とともに、却ってそのあたりに一種静かな賑やかさをかもしている。
日々の映り (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
と、有り合はせのならとちと桐としきみと柿と椎と松と杉とと桑とを詠み込んで見せたものだ。すると、大名はぜんまい仕掛の玩具おもちやでも見せられたやうに首をひねつて感心してしまつたといふことだ。
器用な言葉の洒落 (新字旧仮名) / 薄田泣菫(著)
巫女は心得て、しきみの葉に水を手向たむけて、あずさの弓を鳴らし
大菩薩峠:22 白骨の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
人にそひてしきみささぐるこもりづま母なる君を御墓みはかに泣きぬ
みだれ髪 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
山ゆくと山のしきみの黄の花のよにつつましき春も見にけり
風隠集 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
パイナップルと青香しきみの雄大な山脈。
家土産いえづとしきみに附し笹粽ささちまき 鶴声
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
暗くじめじめした、かなり広い土間に、茣蓙ござを敷いた腰掛が並び、壁によせて、しおれた菊や、しきみや、阿迦桶あかおけなどが見える。
夕靄の中 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
しきみの香も室に満ちている所であったから、だれよりも求道ぐどう心の深い薫にとっては不浄な思いは現わすべくもなく
源氏物語:49 総角 (新字新仮名) / 紫式部(著)
それぞれに、しきみ、線香を手向けたのがあって、十三塚と云う……一揆いっきの頭目でもなし、戦死をした勇士でもない。
怨霊借用 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
寺では二三日前から日傭ひよう取りを入れて掃除をしておいたので、墓地はきれいになっていて、いつものようにしきみの枯葉や犬のくそなどが散らかっていなかった。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
この時の事はのちになっても、和尚贔屓おしょうびいきの門番が、しきみや線香を売る片手間かたでまに、よく参詣人へ話しました。
捨児 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
腰ごろもの観音さまれ仏にておはしますおん肩のあたりひざのあたり、はらはらと花散りこぼれて前に供へししきみの枝につもれるもをかしく、下ゆく子守りが鉢巻の
ゆく雲 (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
それは願行寺のしきみ売の翁媼おううんの事である。えいの事をわたくしの問うたこの翁媼は今や亡き人である。
細木香以 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
植えた木には、しきみや寒中から咲く赤椿など。百年以上の百日紅さるすべりがあったのは、村の飲代のみしろに植木屋に売られ、植木屋から粕谷の墓守に売られた。余は在来の雑木である。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
平次は默禮したまゝ、家の中へはひると、何より先づ佛間へ入つて、まだ小さい、床の上に寢かして、枕許にしきみと線香だけ立てたまゝの、富太郎の死體を見せて貰ひました。
小さい寺ではあるが、門内の掃除は綺麗に行きとどいて、白い百日紅さるすべりの大樹が眼についた。入口の花屋で要りもしない線香としきみを買って、半七はそこの小娘にそっと訊いた。
半七捕物帳:21 蝶合戦 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
手桶片手に、しきみげて、本堂をグルリとまわって、うしろの墓地へ来て見ると、新仏しんぼとけが有ったと見えて、地尻じしりに高い杉の木のしたに、白張しらはりの提灯が二張ふたはりハタハタと風にゆらいでいる。
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
瞳を凝らしてなおも窺えば、枕に近い小机にしきみが立ち、香を焚き、傍には守刀まもりがたなさえ置いてあり、すこし離れて、これは真新しい早桶、紙で作った六道銭形どうせんがたまで揃っている工合い。
僕の好きな山椿やまつばきの花も追々盛りになるであろう。十日ばかり前から山茱黄やまぐみしきみの花が咲いている。いずれも寂しい花である。ことに樒の花は臘梅ろうばいもどきで、韵致いんちの高い花である。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
彼等は谷川のふちに毒流しをしてうおるために、朝早くからしもの村から登って来て山椒さんしょうの樹の皮を剥ぎ、しきみの実やたでなどといっしょに潰して毒流しの材料を作っているところであった。
岩魚の怪 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)