いつわ)” の例文
旧字:
おりおりまち生活せいかつもしたくなるが、うそといつわりでまるめているとおもうと、この正直しょうじきうみうえのほうが、どれほどいいかしれなくなる。
船の破片に残る話 (新字新仮名) / 小川未明(著)
そういったこの男の言葉は、いつわりがなかった。自分でげこんで置いて、自分で助けたんだから、礼をされる筋合すじあいはない筈だった。
東京要塞 (新字新仮名) / 海野十三(著)
男は怪しきえくぼのなかにき込まれたままちょっと途方に暮れている。肯定すればいつわりになる。ただ否定するのは、あまりに平凡である。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
こう言って涙を流して若い番頭が申し述べるものですから、さすがのお内儀さんも、よもやいつわりとは疑うことができませんでした。
大菩薩峠:36 新月の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
こう申し上げましただけでも、あなた様には私の申しますことがいつわりで御座いませぬ証拠を、たやすくお気づき遊ばすで御座いましょう。
押絵の奇蹟 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
「人相はともかく、問答に事よせて、顔色がんしょくうかがいにまいった。御落胤か、いつわり者か、問答しながら、顔色を見ようと——うまうまはまった」
大岡越前の独立 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
初三句は極めてつたなき句なれどもその一直線に言い下して拙きところかえってその真率しんそついつわりなきを示して祈晴きせいの歌などには最も適当致居いたしおり候。
歌よみに与ふる書 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
君は罪を犯したりいつわりを言ったり人の血を流したりして暮して来たんだ。今だって君の殺した人間が君の足許にころがっている。
天慶てんぎょうのむかし、この東国で平将門たいらのまさかどが乱を起した時、人のわるい藤原秀郷ひでさとは、わざと彼の人物を視てやろうと、加勢といつわって会いに行った。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼はあまりに悲しみ過ぎた、が故に、彼はそのもろもろの苦しみと悲しみとを最早いつわりの事実としてみなくてはならなかった。
花園の思想 (新字新仮名) / 横光利一(著)
そこで、一時、真鍮の煙管を金といつわって、斉広をあざむいた三人の忠臣は、評議の末再び、住吉屋七兵衛に命じて、金無垢の煙管を調製させた。
煙管 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
そこで、最後に言っておきたいのは、おたがいに結果をいそいで自分をいつわるようなことをしてはならないということである。
次郎物語:05 第五部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
何にしてもその原書にって見なければこの経文のいずれが真実でいずれがいつわりであるかは分らない。これは原書を得るに限ると考えたのです。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
また、公務の上にどんな間違いがあっても、借りたものは借りたものであるから日限にいつわりはない、と固く契約している。
増上寺物語 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
売僧まいす、その袖の首は、何としたものじゃ、僧侶の身にあるまじき曲事くせごと有体ありていに申せばよし、いつわり申すとためにならぬぞ」
轆轤首 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
からかわれながら、彼等は、おたがいに、その渾名が決していつわりではないことを、みずから認めない訳には行かなかったのです。
パノラマ島綺譚 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
寡頭政かとうせいの鉄則や、政治家に多少ともふくまれる悪魔的性格などを、いつわることなしに認識することは、科学としての政治学の要請であるのみならず
政治学入門 (新字新仮名) / 矢部貞治(著)
イヤ疑いは人間にあり、天にいつわりなきものをと。この句ほど高遠雄大にして光風霽月せいげつの如きものが滅多めったにありましょうか。
食道楽:冬の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
なるほど、女の身であって見れば、命を助かりたい一心で、親の仇を討つ身じゃなどと、この場に臨んでいつわりを云うも決して無理とは思われない。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
正直しょうじきにほんとうのせいを名のっている者は、その手がどうにもなりませんが、いつわりを申し立てているものは、たちまち手が焼けただれてしまうので
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
下戸げことはいつわり実は大酒飲おおざけのみだと白状して、飲んだも飲んだか、恐ろしく飲んで、先生夫婦を驚かした事を覚えて居ます。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
彼のおおきい真赤な顔は、何処どこにもいつわりの影がないように、真面目に緊張していた。彼は大きい眼をきながら、瑠璃子の顔を、じっと見詰めていた。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
次官は、この言葉にいよいよ激昂げっこうして、「わが下役に県の姓を名のる者はかつていたことがないわ。このうえいつわりをいうとは、ますます罪が大きいぞ」
「ハッハヽヽ。いつかは失敬した。しかしあれがあの時のいつわらざる感情だから、こんな競争はするものじゃないよ」
求婚三銃士 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
いつわりも似つきてぞするうつしくもまこと吾妹子われに恋ひめや」(巻四・七七一)、「高山と海こそは、山ながらかくもうつしく」(巻十三・三三三二)
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
哲学者となろうとする私が自分の中に燃え上る情熱をいつわることができない強さをもって感じたときの寂しさは
語られざる哲学 (新字新仮名) / 三木清(著)
ひとこころさからわぬような優しい語気ではあるが、微塵みじんいつわは無い調子で、しみじみと心のうちを語った。
雁坂越 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
自分にしっくりと合った生活を求めて、どこかにそうした生活があると信じて、私は私のいつわりの家を捨てた。
人の情けをいつわることのできない彼女は、元旦の前の日、朝早く裏戸からひそかに貞時の家を出て行った。
津の国人 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
上月記こうつきき、赤松記等の記す所では、あらかじめいつわって南帝にくだっていた間嶋まじま彦太郎以下三十人の赤松家の残党は、長禄元年十二月二日、大雪に乗じて不意に事を起し
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
お前は堤家の重要人物となることの期待の為に、お前自身の心さえいつわったことがありゃしないかい。
女の一生 (新字新仮名) / 森本薫(著)
文麻呂 (次第に懺悔ざんげするもののごとく)なよたけ、……許しておくれ。僕は自分の心をいつわっていたんだ。不純な虚栄に心をうばわれていたんだ。僕の心はにごっていた。
なよたけ (新字新仮名) / 加藤道夫(著)
「ガラッ八は名乗らなくたって解っているよ、その長いあごが物を言わア、看板にいつわりのねえつらだ」
今の自分のいつわりに喜ばされている親達が少々情無くも思われる。こまかい心理分析家ぶんせきかではないけれども、極めて正直な人間だったので、こんな事にも気が付くのである。
弟子 (新字新仮名) / 中島敦(著)
朧月おぼろづきの夜、葛城家の使者といつわる彼は、房総線ぼうそうせんの一駅で下りて、車に乗ってお馨さんの家に往った。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
「わしの叔母御のところへ来て烏帽子を折り習いたいというたは嘘か。お前はわしにいつわったか」
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
ありもしないいつわりの証言をしてるのかも知れないから、是が非でも徹底的に調べ上げて、あわよくば裁判を逆の結果に導こうと、ま、そう云う悲壮な決心をされたんですよ。
あやつり裁判 (新字新仮名) / 大阪圭吉(著)
心をまげ精神を傷つけ一時を弥縫びほうした窮策は、ついに道徳上の罪悪を犯すにいたった。いつわりをもって始まったことは、偽りをもって続く。どこまでも公明に帰ることはできない。
去年 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
こうなってみると毛のあたいもなかなか馬鹿ばかにできぬもので、毛頭もうとうその事実にいつわりはない。
植物知識 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
このいつわりに汚された生活に、堪えしのぶことは出来ないような気がされるのだった。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
解らないところに出遇でっくわしたように装った(おお何という悪いことだろう、私はこのごろ人様の前で自分をいつわらねばいられないようになってきた、とおぬいは心の中で嘆息するのだった)
星座 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
あなたにだけお打ち開けしたこのいつわらない告白をあなたがどういう風に所置なさろうと、それはあなたの御自由ですが、一人の娘の幸福を守ってやるために、苦しい二年をやっと過して
消えた霊媒女 (新字新仮名) / 大倉燁子(著)
それはぬぐわれた鏡にも等しい。一切が新しく鮮かに映る。善きものも悪しきものも、その前には姿をいつわることが出来ぬ。いずれのものが美しいか。それを見分くべきよき時期は来たのである。
民芸四十年 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
天真爛漫てんしんらんまんともいい、「天にいつわりはなきものを」ともいうて、天には偽りはないものと、すでに相場が定まっているようであるが、その天の字をかむらせた天然界はいかにと見渡すと、ここには詐欺
自然界の虚偽 (新字新仮名) / 丘浅次郎(著)
僕は自分の感情をいつわって書いてはいない。よく読んで見給え。僕の位は天位なのだ。君のは人爵じんしゃくに過ぎぬ。許す、なんて芝居の台詞せりふがかった言葉は、君みたいの人は、僕に向って使えないのだよ。
虚構の春 (新字新仮名) / 太宰治(著)
わしをなぐさめようと思っていつわりのあかしをたてないでください。わしはきょうも熊野権現くまのごんげん日参にっさんして祈りました。しかしだめです。わしはほんとうに信じていないのですから。祈りの心はすぐにかれます。
俊寛 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
別に何うもしません、左様さ投捨て仕舞いました、外へ出てから目「では誰か拾た者があろう、好し/\わしく探させて見よう」読者よ目科は奥の奥まで探り詰ん為めことさらかゝいつわりの問を設けて
血の文字 (新字新仮名) / 黒岩涙香(著)
津田の言葉にいつわりはなかった。お延にはそれを認めるだけの眼があった。けれどもそうすれば事の矛盾はなおつのるばかりであった。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
それは椋島むくじま技師が陸軍大臣と打合わせた手筈てはずにより、投獄と世間をいつわって実はひそかに某所ぼうしょで作りあげたフォルデリヒト解毒げどく瓦斯であった。
国際殺人団の崩壊 (新字新仮名) / 海野十三(著)
いつわって婚礼と号し、玄徳をわが国へ呼び入れて、これを殺せば、荊州は難なく呉のものとなる。それゆえに、呂範をやって……
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)