倦怠けんたい)” の例文
然し一時間前の倦怠けんたいではもうありませんでした。私はそのきぬずれのようなまた小人国の汽車のような可愛いリズムに聴き入りました。
橡の花 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
なんのしめくくりもアクセントもないものでは到底進行の感じはなくただ倦怠けんたいと疲労のほか何物をも生ずることはできないであろう。
映画芸術 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
豪奢ごうしゃな町人趣味の饗宴は、ようやく、伯をして、少々倦怠けんたいを催させて来たし、たえず、その顔いろを見ている高瀬理平にもわかった。
かんかん虫は唄う (新字新仮名) / 吉川英治(著)
私は美に関するその章において、よもや読者を倦怠けんたいの情に誘うことはないであろう。また忙しき読者のために最後に「概要」を添えた。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
わたくしはこのときはじめて、ひやうのない疲勞ひらう倦怠けんたいとを、さうしてまた不可解ふかかいな、下等かとうな、退屈たいくつ人生じんせいわづかわすれること出來できたのである。
蜜柑 (旧字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
……悪? それは一つの悪だろうか? 倦怠けんたい、陶酔、快い苦悶くもんが、彼のうちにしみ込んでいた。もはや自分が自分のものではなかった。
紋三はこの数日、長い間の倦怠けんたいをのがれて、可なり緊張した気持を味うことが出来た。彼はやっとこの世にいきがいを見出した様に思った。
一寸法師 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
これは芝居でもあるまいし、さりとて、もうこの倦怠けんたいしきった身体からだのやり場と、えぐりつけられた顔の傷のさらし場とては無い。
大菩薩峠:26 めいろの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
苦悩がなければ倦怠けんたいするかもしれないのであったが、それにしても彼はここいらで、どうか青い空に息づきたいという思いにかわいていた。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
それはわたしの家の接ぎ目を割ったので、そのための空気洩れをとめるためにその後多くの倦怠けんたいをもってめられなければならなかった。
僕の生活は相変らずくうな生活で始終している。そして当然僕の生涯のげんの上には倦怠けんたいと懶惰が灰色の手を置いているのである。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
生活に懐疑と倦怠けんたいと疲労と無力さとをばかり与える日常性をのみ撰択せんたくして、これこそリアリズムだと、レッテルを張りめぐらして来たのである。
純粋小説論 (新字新仮名) / 横光利一(著)
社長はそれがお互いを尊重する文化的な寝方であり、同時に倦怠けんたいの生ずるのをふせぐ合理的な手段だというふうに自慢していたもんだった。
陽気な客 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
二人同棲どうせいして後の倦怠けんたい、疲労、冷酷を自己の経験に照らしてみた。そして一たび男子に身を任せて後の女子の境遇のあわれむべきを思いった。
蒲団 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
(その疲労感に抵抗しようとして私は一層木村さんに接触する。午後の倦怠けんたいを忘れるためにはぜひとも木村さんが必要である)
(新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
そのかん、彼はあらゆる角度から、妻君という女を味わってしまった。そのあとに来たものは、かねてとなえられている窒息ちっそくしそうな倦怠けんたいだった。
(新字新仮名) / 海野十三(著)
倦怠けんたい彼等かれら意識いしきねむりやうまくけて、二人ふたりあいをうつとりかすますことはあつた。けれどもさゝら神經しんけいあらはれる不安ふあんけつしておこなかつた。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
また試験実地に臨んでは、先生いつに必ずその理とその法とを丁寧に講じました。先生つねに倦怠けんたいの色は少しも見えませぬ。
禾花媒助法之説 (新字新仮名) / 津田仙(著)
「どうだ、種馬になったら」と、波田が混ぜっかえして、そのまま、死のような倦怠けんたいへと、一切は吸い込まれてしまった。
海に生くる人々 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
その人ばかりを見ている目の倦怠けんたいさで、父君が異なった幾人の夫人を集めておいでになる六条院の生活がうらやましくて
源氏物語:34 若菜(上) (新字新仮名) / 紫式部(著)
しからざるかぎり、芸術は、静的なものとなって、時としては倦怠けんたいした存在にしかすぎないことがあるでありましょう。
時代・児童・作品 (新字新仮名) / 小川未明(著)
お互いが白っちゃけた眼で観察しだす一時的倦怠けんたいの時代に、夫が妻の丹精になる晩餐ばんさんの席で、デザアトのプディングをまずそうに口へ運びながら
字で書いた漫画 (新字新仮名) / 谷譲次(著)
夜になると、温度はいくぶん下がるけれど、その倦怠けんたいさと発汗の気味わるさ。湿気のかさが電灯の灯をとりまいている。
人外魔境:01 有尾人 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
堕落、荒廃、倦怠けんたい、疲労——僕は、デカダンという分野に放浪するのを、むしろ僕の誇りとしようという気が起った。
耽溺 (新字新仮名) / 岩野泡鳴(著)
音楽は最も官能的な芸術である代り、いかなる傑作でも、反復聴くことによっていつかは倦怠けんたいを感じさせる。が、ブラームスにはそれがはなはだ少ない。
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
落胆や倦怠けんたいや美と理想との趣味や無謀な寛大や理想郷や空想や憤怒や虚栄や恐怖などを少しも知らなかった。個人的のあらゆる勇敢さをそなえていた。
自分の乱雑な生き方のおかげで、扁理はその徴候をば単なる倦怠けんたいのそれと間違えながら、それを女達の硬い性質と自分の弱い性質との差異のせいにした。
聖家族 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
外の世界は今雑沓ざつたふ喧騒けんさうとにたされてゐる。併しこゝの事務所はひつそりして倦怠けんたいと無為とが漂つてゐる。
手品師 (新字旧仮名) / 久米正雄(著)
それからこの事柄のもう一つの、しかも同様にありがたくない側はといえば、それはもちろん、一切の真理に対する無感激と無関心と皮肉な倦怠けんたいとなのです。
晴れた日と鮮かな三色旗と腕に抱えている老美人との刺戟に慣れて来ると新吉は少し倦怠けんたいを感じ出した。
巴里祭 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
然るにこの語数律は、韻文として最も単調のものであり、千篇一律なる同韻の反復にすぎないから、その少しく長篇にわたるものは、到底倦怠けんたいしてくに堪えない。
詩の原理 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
嘔吐おうとを催すような肉体の苦痛と、しいて自分を忘我に誘おうともがきながら、それが裏切られて無益に終わった、その後に襲って来る唾棄だきすべき倦怠けんたいばかりだった。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
うして凝然ぢつとしてることをも勘次かんじ僂麻質斯レウマチスなやましてるのだとはらないで、むし老人らうじん通有つういう倦怠けんたいともな睡眠すゐみんむさぼつてるのだらうぐらゐるのであつた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
生活の倦怠けんたいかこったり、その荒涼の現実のなかで思うさま懊悩おうのう呻吟しんぎんすることを覚えたわけである。
猿面冠者 (新字新仮名) / 太宰治(著)
思うにかくのごとき事実は列挙しきたらばおそらく際限はあるまい、しかし私は読者の倦怠けんたいを防ぐため、もはやこの上同じような統計的数字を列挙するを控えるであろう。
貧乏物語 (新字新仮名) / 河上肇(著)
若し彼が一時間でも部屋を留守にすると、目に付く程の倦怠けんたいがお客の心にしのび込むやうに思はれた。そして彼が歸つて來ると、確かに新鮮な刺㦸を與へて話をいきほひづけた。
ゆるみ切った倦怠けんたいが彼を領する数分、数時間、いや、あるいは数日さえもあったように覚えている——それはある種の瀕死ひんしの病人に起こる、病的な無関心状態に似た倦怠だった。
事実、三分とはたたないうちに、沈黙に倦怠けんたいを感じたらしい視線が塾生たちの間にとりかわされはじめた。すると、その視線にはげまされたように、ひとりの塾生が口をきった。
次郎物語:05 第五部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
喬介は直ちに手袋をはめると、比較的あたらしい鉄屑のそばへ腰をかがめて、ごそごそとさばき始めた。暫く一面にき廻していたが、んの変化も見られない。追々おいおい私は倦怠けんたいを覚え始めた。
カンカン虫殺人事件 (新字新仮名) / 大阪圭吉(著)
我々の身の廻りを見るがよい。絶えざる変転、不安、懊悩おうのう、恐怖、幻滅、闘争、倦怠けんたい。まさに昏々昧々こんこんまいまい紛々若々ふんぷんじゃくじゃくとしてするところを知らぬ。我々は現在という瞬間の上にだけ立って生きている。
悟浄出世 (新字新仮名) / 中島敦(著)
俄然、張り詰めた心に思ひもそめない、重い/\倦怠けんたいが、一時にどつと襲ひかゝつた。あたかもバネが外れて運動を止めたもののやうに、私は凡てを投げ出し無届欠席をした。有らゆる判断を除外した。
途上 (新字旧仮名) / 嘉村礒多(著)
喜びにつけ、悲しみにつけ、私は私の人生に倦怠けんたいを感じはじめた。
新版 放浪記 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
倦怠けんたい沙漠さばくに坐せる黄金こがね怪獣シメール
倦怠けんたいすさまじさやいかに。
倦怠けんたいうれひが重なる。
畑の祭 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
だからその時間中、倦怠けんたいに倦怠を重ねた自分たちの中には、無遠慮な欠伸あくびの声を洩らしたものさえ、自分のほかにも少くはない。
毛利先生 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
ただ現在のビンボー類似の作品はあまりに荒唐無稽こうとうむけいな刺激を求め過ぎて遠からず観客の倦怠けんたいを来たすおそれがありはしないかと思われる。
映画芸術 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
次には、説得によらずとも少なくとも倦怠けんたいによって、彼を思うとおりにしてしまいたいと、人々はやはり望んでいたからである。
折角せっかく下宿屋を替えて、新しい人達に接して見ても、一週間たつかたたない内に、彼は又しても底知れぬ倦怠けんたいの中に沈み込んで了うのでした。
屋根裏の散歩者 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)