ひげ)” の例文
そう言うのは、五十に近かろうと思われる見る蔭もない男、涙と鼻水と一緒にかなぐり上げて、一生懸命さが無精ひげの面に溢れます。
住職は四十前後で、色の白い、ひげのあとの青い人であった。客の一人は侍、一人は御用聞きというので、住職も疎略に扱わなかった。
半七捕物帳:01 お文の魂 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
ひげある者、腕車くるまを走らす者、外套がいとうを着たものなどを、同一おなじ世に住むとは思わず、同胞はらからであることなどは忘れてしまって、憂きことを
葛飾砂子 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
しかし我我は同じ言葉にひげの長い西洋人を髣髴している。これはひとり神に限らず、何ごとにも起り得るものと思わなければならぬ。
侏儒の言葉 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
ひげの中の一握りの束をしごき、絨毯じゅうたんの上に眼差まなざしを投げていたが、どうもちょうどKがレーニといっしょにころがった場所らしかった。
審判 (新字新仮名) / フランツ・カフカ(著)
原口さんは無論ゐる。一番さきて、世話をいたり、愛嬌を振りいたり、仏蘭西式のひげつまんで見たり、万事いそがしさうである。
三四郎 (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
何事ならんと頭をもたげて見れば前の肥えたる曹長にはあらでひげのむさくるしき一人の曹長が余ら一行の居場を縮めよと命ずるなり。
従軍紀事 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
ガンダーラの浮き彫り彫刻などで見ると、一つの構図の端の方にはギリシアの神様がいたり、哲学者らしいひげの多い老人がいたりする。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
「ねえ、私たちの前を、へんな自動車が走って行くわよ。ひげもじゃの紳士が、のっていて、反射鏡はんしゃきょうで、しきりに、こっちをみているわ」
人造人間の秘密 (新字新仮名) / 海野十三(著)
ひげだらけの男がふたり、ボウトの上から野獣のような眼をして警官を見返していた。夕方のことである。相互から同時に発砲していた。
チャアリイは何処にいる (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
何事かと思って覗いてみると勿体らしい衣冠束帯をした櫛田神社の宮司が、拝殿の上に立って長いひげを撫でながら演説をしている。
近世快人伝 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
俺は近ごろ足軽あしがるというもののひげづらを眺めていて恍惚こうこつとすることがある。あの無智な力の美しさはどうだ。宗湛そうたんもよい蛇足じゃそくもよい。
雪の宿り (新字新仮名) / 神西清(著)
彼は何度もそういう一片で朝飯にありついたことがあった。彼はそういう仕事に得意で、そのことを「床屋のひげをそる」と称していた。
ひげの白い老主人が立っている。——それにたいして七、八名の若い者をうしろに連れた背のたかい壮漢が、なにかがんがん言っていた。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし折々、従容と歩を運ぶ教諭のウォオタンのような帽子とユピテルのようなひげを見ると、みんな神妙な眼つきでさっと帽を脱いだ……
彼は中年を過ぎていて、髪は半白で、やはり半白の薄いひげを生やしていたが、その顔には知識と教養のあとがいちじるしく目立っていた。
その道ばたに、白いひげのあるおぢいさんが一人かがみこんで、パイプの煙草たばこをふかしてゐました。エミリアンは近よつていつて、尋ねました。
エミリアンの旅 (新字旧仮名) / 豊島与志雄(著)
名を忘れてしまってすまないが何とかいう黒いあごひげを生やした、声の大きい熱心な牧師さんがいていつも獅子吼ししくしていられた。
新古細句銀座通 (新字新仮名) / 岸田劉生(著)
自分は今、ひげをはやし、洋服を着ている。電気鉄道に乗って、鉄で出来た永代橋を渡るのだ。時代の激変をどうして感ぜずにいられよう。
深川の唄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
クララの前にはアグネスを従えて白いひげを長く胸に垂れた盛装の僧正そうじょうが立っている。クララが顔を上げると彼れは慈悲深げにほほえんだ。
クララの出家 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
ひげらずにいた私は、剃刀かみそりをあてて、顔を洗って、セイセイとした心持になり、浜田と一緒に戸外へ出たのはかれこれ二時半頃でした。
痴人の愛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
ひげがないからお髯のちりを払うことは出来ないけれども、ご機嫌を伺うということはなかなかつとめたもので実に哀れなものです。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
つやつや光るりゅうひげのいちめん生えた少しのなだらに来たとき諒安はからだをげるようにしてとろとろねむってしまいました。
マグノリアの木 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
咽喉のどしめしておいてから……」と、山西は一口飲んで、隣の食卓テーブル正宗まさむねびんを二三本並べているひげの黒い男を気にしながら
水魔 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
三田はその前に立つて、これが一生の面倒に思はれる無類の濃いひげを剃つてゐた。安全かみそりの齒の音が、心地惡く響いた。
大阪の宿 (旧字旧仮名) / 水上滝太郎(著)
そしてそのひげうなぎのそれの如く両端遙かに頤の方向に垂下して居る、恐らく向上といふ事を忘却した精神の象徴はこれであらう。
雲は天才である (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
そういう間、ジャン・ミシェル老人は、雨の中に、霧にひげを濡らして、家の前で待っていた。みじめな息子の帰宅を待っていた。
その辺はりゅうひげなぞの深い草叢くさむらをなして、青い中に点々とした濃い緑が一層あたりを憂鬱ゆううつなくらいに見せているところである。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
マリヤ物言わず、イエスも無言、ナルドの香油はイエスのひげに流れ、衣の裾にまでしたたり、芳香馥郁ふくいくとしてへやに満ちました。
あががまちに仁王立ちになった蒲生泰軒は、左右の手に、チョビ安とお美夜ちゃんの頭をなでながら、ひげがものを言うような声で
丹下左膳:03 日光の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
「ほう、おおまかにやァがったな。はなしをしたなァおれなんだぜ。くんなら、せめておれのひげだけでもあたッてッてくんねえ」
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
雨がっぱにくるまったひげの交通巡査が、学校がよいの子供を自動車や電車から守り、子供たちの敬礼ににこにこしてみせた。
白い壁 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
また、インド人が己のひげ毛抜器けぬきをもっていちいち抜き取るのを見た。これも彼らの迷信で、顔面にかみそりをあてることを嫌うとのことだ。
迷信と宗教 (新字新仮名) / 井上円了(著)
竜土軒の主人は八字ひげを生やした品の好い男で、耳が少し遠かった。細君は赤坂の八百勘で女中をしていた人で、始終粋な丸髷まるまげに結っていた。
芝、麻布 (新字新仮名) / 小山内薫(著)
ステッキをついて猩々しょうじょうのようにひげをはやしたばかに鼻の高い「おろしゃ人」が虎よりは見物人の方を見ながらのどかにパイプをふかしている。
「でも、先生も、ちっともお変りなさいません——それは、おぐしや、おひげは、めッきり白うお成りなさいましたけれど——」
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
すると白いひげの生えた老人が玄關に出て來た。青年は少し意外に感じて、はつとしたらしい態度を示した。そして一禮した。
少年の死 (旧字旧仮名) / 木下杢太郎(著)
同じ色のひげが隙もなく伸びているあいだに、きみの悪いくらい赤く厚い唇と、大きな、黄色い歯のき出されるのが見えた。
ちくしょう谷 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
ところが、あの人はどういうわけか、この二等大尉に腹を立てて、大ぜいのいる前で相手のひげを引っつかんだのだそうです。
五十を越した篤学者で、強度の近眼鏡をかけた、せて半白のひげやした寮長は、懐中から厚ぼつたい銀側時計を出して時間を見計つてゐた。
朧夜 (新字旧仮名) / 犬養健(著)
頭髪もひげ胡麻白ごまじろにてちりにまみれ、鼻の先のみ赤く、ほおは土色せり。哀れいずくの誰ぞや、してゆくさきはいずくぞ、行衛ゆくえ定めぬ旅なるかも。
たき火 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
見ると、涙が眼から頬を流れて、彼の白いひげをしめらせています。彼は行儀よくかしらをふりながら、悲しそうに叫びました。
病後のやつれた顔にひげを蓄え、それにヘルメット形の帽子を被った居士の風采は今までとは全然異った印象を余に与えた。
子規居士と余 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
我々——二人ともひげをはやし、而も一人は大男である——の顔へ提灯を差し上げた態度を、決して忘れることが出来ない。
御用商人は頬からあごにかけて、一面にひげを持っていた。そして、自分では高く止っているような四角ばった声を出した。
(新字新仮名) / 黒島伝治(著)
その「おひげの伯父」(おいたちはそう呼んでいた。)の物静かさに対して、上の伯父の狂躁性を帯びた峻厳が、彼には、大人げなく見えたのである。
斗南先生 (新字新仮名) / 中島敦(著)
何日雨に打たれてどこを彷徨さまようていたのか、あの大きな男の頬もけ身体もせてひげぼうぼうと、そして全身はふやけて見るも無残な姿であった。
令嬢エミーラの日記 (新字新仮名) / 橘外男(著)
権九郎の方は四十過ぎらしく、肥えたひげだらけの丸顔はやはり赤く色付いているが、これも負けずに喋舌るのであった。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
此の島へあがってから最早もう一年余になりますから、着物は切れ、ひげはぼう/\として、う見ても人間とは思われませぬ。
後の業平文治 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
ふと文三等に物理を教えた外国教師の立派なひげの生えた顔を憶い出すと、それと同時にまた木目の事は忘れてしまった。
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)