温気うんき)” の例文
楯彦氏はそこらの明いてゐた椅子に腰を下して美しい花嫁の笑顔など幻に描いてゐるうち、四辺あたり温気うんきでついうと/\と居睡ゐねむりを始めた。
(よした、よした、大餒おおすえに餒えている。この温気うんきだと、命仕事だ。)(あなたや……私はもう我慢が出来ない、お酒はどう。)
開扉一妖帖 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
そこからはいってみると、バスと洗面所トイレットとの間の廊下で、空家らしい気持の悪い温気うんきをたたえて、壁や天井が薄白く光っている。
貞操問答 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
戸が細めに開いて、一陣の生温かい温気うんきが、婦人部屋に特有な好い匂いの中にエーテルのらしい臭気をまじえて、むっと彼の顔へ吹きつけた。
犬舎 (新字新仮名) / モーリス・ルヴェル(著)
二人が食堂へはいると、台所の温気うんきでうだって緋の衣みたいな顔色をしたサモイレンコが、ぷりぷりしながら立っている。
決闘 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
何処かに温気うんきを含んだ静かな大気と軒燈の光りとが、遠くへ人の心を誘った。壮助は誘わるるままに明るい通りを人込みに交って流れていった。
生あらば (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
道庵は、お通夜と朝参りの群衆の中へ坐り込んで、人の温気うんきでいい心持になり、前後も知らず居眠りの熟睡をはじめる。
大菩薩峠:24 流転の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
蝋燭のほのほと炭火の熱と多人数たにんず熱蒸いきれと混じたる一種の温気うんきほとんど凝りて動かざる一間の内を、たばこけふり燈火ともしびの油煙とはたがひもつれて渦巻きつつ立迷へり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
溶けた雪水の溜りは一日々々と大きく、いたる所に沼をつくった。粉のような羽虫がその上にかれた。汚れはてた雪が、陽と土の温気うんき翻弄ほんろうされた。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
灰色の薄琥珀タフェタの室内服をゆるやかに着こなし、いささか熟し過ぎたるだいだいのごとき頬の色をしているのは、室内の温気うんきに上気したためであろうと見受けられた。
窓外の風景が何かしら妙に明るくしらばくれ、その上に妙な温気うんきさえも天上地下にたちこめているらしいのを私は感じる、風景に限らず、乗客全体の話声からしてが
めでたき風景 (新字新仮名) / 小出楢重(著)
「早いどころか、これは晩種おくでございます。早種わせは正月から出始めます。寒の中でもあの通り石垣に日が当りますから苺は石の温気うんきを夏だと思って途轍とてつもない時に熟します」
ぐうたら道中記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
この頃の温気うんきてられたせいか、地上に近い大気は、晴れながら、どんよりと濁つて、その所々に、あられ炮烙ほうろくで煎つたやうな、形ばかりの雲の峰が、つぶつぶと浮かんでゐる。
酒虫 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
そうかと思うと、夏になってみんなが家を留守るすにするときなんか、松を座敷へ入れたまんま雨戸をたてて錠をおろしてしまう。帰ってみると、松が温気うんきでむれてまっ赤になっている。
三四郎 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
うち這入はいると足場あしばの悪い梯子段はしごだんが立つてゐて、中程なかほどからまがるあたりはもう薄暗うすぐらく、くさ生暖なまあたゝか人込ひとごみ温気うんき猶更なほさら暗い上のはうから吹きりて来る。しきりに役者の名を呼ぶ掛声かけごゑきこえる。
すみだ川 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
蒼空あおぞら培養硝子ばいようガラスを上からかぶせたように張り切ったまま、温気うんきこもらせ、界隈かいわい一面の青蘆あおあしはところどころ弱々しくおののいている。ほんの局部的な風である。大たい鬱結うっけつした暑気の天地だ。
渾沌未分 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
大府おおぶあたりから雨が降って来たのに、それも知らないで眠っているので、妙子が立って窓硝子まどガラスを締めてやったが、彼方此方でにわかに窓を締めたので、車室の中はひとしお蒸し暑い温気うんきこも
細雪:03 下巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
室内の温気うんきの耐へ難きに、吾はそつと此処を滑り出でゝ喫煙室の方に行きぬ。婦人室の前を過ぐる時、不図ふと室内を見入れたれば、寂々せき/\たる室の一隅の暖炉をようし首をあつめて物語る二人の美人。
燕尾服着初めの記 (新字旧仮名) / 徳冨蘆花(著)
冷たいものが近づく時に温気うんきが失われるように、一般に軽蔑されてる人物を近づける時には尊敬が減ずるのである。しかし古い上流社会は、他の法則と同じくこの法則をも意に介しなかった。
温気うんきのうのにおいが、むっと部屋中にたてこめる。その中で栄介は黙々と手を動かしている。——昨日自分のギプスを眺めた時、彼の体を通り抜けた衝動と戦慄は、まさしくその記憶であった。
狂い凧 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
ゴム底の靴で猫のやうに足音も無くのこのこ歩いてゐるうちに春の温気うんきにあてられ、何だか頭がぼんやりして来て、木造警察署の看板を、木造もくざう警察署と読んで、なるほど木造もくざうの建築物、と首肯き
津軽 (新字旧仮名) / 太宰治(著)
彼の前面には何かしら温気うんきのあるもやに包まれたやうな、不確かな、だが一歩ごとに物の形の明かになつて来る、汗ばみながらその方へ突進したい気を起させる、あの漠とした未知の世界があつた。
医師高間房一氏 (新字旧仮名) / 田畑修一郎(著)
暖炉のめぐりの、あのあかるい温気うんき
(新字旧仮名) / 高祖保(著)
腐肉ふにくにまとふ温気うんきのみ。
ねたみ (新字旧仮名) / 末吉安持(著)
「この温気うんきにか?」
温気うんきを混ぜた南風みなみかぜ
晶子詩篇全集 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
時ならぬ温気うんきのためか、それか、あらぬか、その頃熱海一町ひとまち、三人寄れば、風説うわさをする、不思議な出来事というのがあった。
わか紫 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
舌の焼けるようなキャベツ汁と室内の温気うんきのため、私は顔がかっかとほてった。イヷン・イヷーヌィチとソーボリもやはり真赤な顔をしていた。
(新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
さしも息苦き温気うんきも、むせばさるるけふりの渦も、皆狂して知らざる如く、むしろ喜びてののしわめく声、笑頽わらひくづるる声、捩合ねぢあひ、踏破ふみしだひしめき、一斉に揚ぐる響動どよみなど
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
病室の淡い薬の香の籠った温気うんきが、壮助の心をはかないもののうちにさそい込んでいった。彼は苦しくなった。
生あらば (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
うち這入はいると足場の悪い梯子段はしごだんが立っていて、そのなかほどから曲るあたりはもう薄暗く、臭い生暖なまあたたか人込ひとごみ温気うんきがなお更暗い上の方から吹き下りて来る。しきりに役者の名を呼ぶ掛声かけごえが聞える。
すみだ川 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
かわうそえりをつけた重いとんびをまとった父も、少し厚手の外套がいとうを着た自分も、先刻さっきからの運動で、少し温気うんきされる気味であった。その春の半日を自分は父の御蔭おかげで、珍らしく方々引っ張り廻された。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
曇りたる日の温気うんき
晶子詩篇全集 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
この温気うんきに何と、薄いものにしろ襦袢じゅばんと合して三枚もかさねている、うだった阿魔女あまっちょを煽がせられようとは思やしません、私はじめ夢のようでさ、胸気むねきじゃアありませんか。
三枚続 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
上衣をとったサモイレンコが、台所の温気うんきに顔をかっかと火照らせて、汗だくではいって来た。
決闘 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
階下したも二階もこの温気うんきに、夕凪のうしおを避け、南うけに座を移して、伊勢三郎いせのさぶろう物見松ものみのまつに、月もあらば盗むべく、神路山かみじやま朝熊嶽あさまがたけ、五十鈴川、宮川の風にこがれているらしい。
浮舟 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
それからがくがくして歩行あるくのが少し難渋なんじゅうになったけれども、ここでたおれては温気うんき蒸殺むしころされるばかりじゃと、我身で我身をはげまして首筋を取って引立てるようにして峠の方へ。
高野聖 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
それからがく/″\して歩行あるくのがすこ難渋なんじふになつたけれども、此処こゝたふれては温気うんき蒸殺むしころされるばかりぢやと、我身わがみ我身わがみはげまして首筋くびすぢつて引立ひきたてるやうにしてたうげはうへ。
高野聖 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
あたかもこの時であった。居る処の縁を横にして、振返ればななめ向合むかいあう、そのまま居れば、うしろさがりに並ぶ位置に、帯も袖も、四五人の女づれ、中には、人いきれと、温気うんきにぐったりとしたのもある。
露萩 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)