暖簾のれん)” の例文
毎夕私は、父の肩車に乗せられて父の頭に抱きついて銭湯の暖簾のれんをくぐった。床屋に行くときも父が必ず、私をつれて行ってくれた。
(新字新仮名) / 金子ふみ子(著)
「備前屋は古い暖簾のれんだ。そこのひとり娘が熊にられるところを助けて貰ったんだから、向うじゃあどんなに恩にてもいいわけだ」
半七捕物帳:29 熊の死骸 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
「子飼ひでございます。先代の櫻屋の暖簾のれんを買つて、私がこの商賣を始めてからもう十二年になりますが、その頃から店に居ります」
浜納屋はまなやづくりのいろは茶屋が、軒並のきなみの水引暖簾のれんに、白粉おしろいの香を競わせている中に、ここの川長かわちょうだけは、奥行のある川魚料理の門構え。
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
暖簾のれんくぐると、茶室のように静かな家の内には読経どきょうする若主人の声が聞える。それを聞きながら、二人は表二階の方へ上って行った。
家:02 (下) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「やはり吉を大阪へやる方が好い。十五年も辛抱しんぼうしたなら、暖簾のれんが分けてもらえるし、そうすりゃあそこだから直ぐに金ももうかるし。」
笑われた子 (新字新仮名) / 横光利一(著)
(秋になるとその溝に黄ばんだ柳の葉のわびしく散りしいたものである)どこをみても、もう、紺の香の褪めた暖簾のれんのかげはささない。
浅草風土記 (新字新仮名) / 久保田万太郎(著)
九曜星の紋のある中仕切りの暖簾のれんを分けて、たもとを口角に当てて、出て来た娘を私はあまりの美しさにまじまじと見詰めてしまった。
河明り (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
源氏車げんじぐるまに散らし桜を染め抜いた備前屋の暖簾のれんの前に、お玉とムク犬とが尋ねて来た前から、この家では伊勢音頭が始まっておりました。
大菩薩峠:06 間の山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
彼自身いまだ質屋の暖簾のれんくぐった事のない彼は、自分より貧苦の経験に乏しい彼女が、平気でそんな所へ出入でいりするはずがないと考えた。
道草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
山下へ出た時は、手も足も寒さにこごえて千断ちぎれそうな気がしたので、とある居酒屋が見つかったのを幸い、そっと暖簾のれんをくぐった。
四十八人目 (新字新仮名) / 森田草平(著)
と、一人の職人ふうの男が、暖簾のれんを分けて顔を出したが、皮肉めいたことをいったかと思うと、顔を引っ込ませて行ってしまった。
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
相模屋は江戸時代から四代も続いた古い暖簾のれんで五六人の職人を使っていたが、末娘の安子が生れた頃は、そろそろひっそくしかけていた。
妖婦 (新字新仮名) / 織田作之助(著)
暖簾のれんをくぐったところをズブ六になった中間体が無暗にポンポンいうのを、亭主がおさえておいて、取ってつけたような揉手もみで
素通りした人の多かったのも無理はありませんが、実はその暖簾のれんの陰にこそ、紅紫こうしとりどりの女の歴史が、画かれてあったのであります。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
荒物やの正面向う角が両替屋で、奇麗な暖簾のれんがかかっていて、黒ぬりの※こういう看板に金字で両替と書いたのが下げてあった。
旧聞日本橋:02 町の構成 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
御承知の通り、寿座の楽屋口は隣接の曙館あけぼのかんの薄暗い塀に面して居りまして、はすかいに三好野みよしの暖簾のれんが向い合いに垂れて居ります。
陳情書 (新字新仮名) / 西尾正(著)
その足で、僕は築地よりの河岸ぶちに出て、そこに屋台を出している「錦斗寿司」の暖簾のれんをくぐった。僕は寿司に眼がなかった。
深夜の市長 (新字新仮名) / 海野十三(著)
さかりと咲亂さきみだれ晝と雖も花明はなあかりまばゆきまでの別世界べつせかい兩側りやうがはの引手茶屋も水道尻すゐだうじりまで花染はなぞめ暖簾のれん提灯ちやうちん軒を揃へて掛列かけつらね萬客の出入袖を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
まだ若かった私は、酒場の堅い腰掛の端にかけて、暖簾のれんの隙間から、街頭に紅塵こうじんを上げて走る風に眼を遣りながら独り杯を含んでいました。
春風遍し (新字新仮名) / 小川未明(著)
二人はなおもささやきあったが、町木戸のところで引返し、こんどは百姓ふうの男が、「灘久」の繩暖簾のれんを分けてはいっていった。
あすなろう (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
日本に特有なこの有難い公共設備の入口の暖簾のれんを潜って中へはいると、先ず番台からかけられる声からが既によほどゆるやかなものである。
電車と風呂 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
いつか故参になった自分は、女房を持たせて、暖簾のれんを分けて貰うことになっていると、先代の穂積の主人が卒中して、六十五歳で頓死とんしした。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
が、一向に張合なし……対手あいては待てと云われたまま、破れた暖簾のれんに、ソヨとの風も無いように、ぶら下ったてい立停たちどまって待つのであるから。
菎蒻本 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
元気のよいお文を先きに立てて、源太郎は太い腰を曲げながら、ヨタヨタと店の暖簾のれんくゞつて、賑やかな道頓堀の通りへ出た。
鱧の皮 (新字旧仮名) / 上司小剣(著)
泉鏡花さんや鏑木かぶらぎ清方さんなどは今でも贔屓ひいきにしておられるそうで、鏡花の句、清方の絵、両氏合作の暖簾のれんが室内屋台の上に吊るされている。
早稲田神楽坂 (新字新仮名) / 加能作次郎(著)
二人はいつの間にか制帽をふところの中にたくしこんでいた。昼間見たら垢光あかびかりがしているだろうと思われるような、厚織りの紺の暖簾のれんくぐった。
星座 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
煙草屋たばこやかどったまま、つめうわさをしていたまつろうは、あわてて八五ろうくばせをすると、暖簾のれんのかげにいた。
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
夏の空は底翳そこひの眼の様にドンヨリと曇っていた。そよとの風もなく、家々の暖簾のれんや日除けは、彫刻の様にじっとしていた。
恐ろしき錯誤 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
お母様は、「それで思い出しました。亀井戸かめいどの葛餅屋は暖簾のれんに川崎屋と染めてありました。柔いからお祖母ばあ様も召上れ。」
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
あるかなしかのさわやかな風が伊呂波いろはずしと染め抜いた柿色の暖簾のれんをなぶって、どうやら暑くさえなりそうな陽のにおい。
つづれ烏羽玉 (新字新仮名) / 林不忘(著)
駅前にあった古着屋の暖簾のれんをくぐり、交渉したが、古着屋のあるじは私の方を胡散臭うさんくさそうに見て、買うわけにはいかないということを大阪弁で云った。
遁走 (新字新仮名) / 小山清(著)
柿色の暖簾のれんに、造花の桜の出しが軒に懸けつらねられ、観客の子女や、食物を運ぶ男衆が絡繹らくえきとしていたのを、学校の往復ゆきかえりに見たものであった。
挿話 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
ほんによ、さうなつた日にやこいつの御蔭で、街道筋の旅籠屋はたごやが、みんな暖簾のれんきずがつくわな。その事を思や今の内に、ぶつ殺した方が人助けよ。
鼠小僧次郎吉 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
加うるに艶妻がたたりをなして二人の娘を挙げると間もなく歿ぼっしたが、若い美くしい寡婦は賢にしてく婦道を守って淡島屋の暖簾のれんを傷つけなかった。
「ゆかし」は「暖簾のれんの奥ものゆかし」とか、「御子良子おこらごの一もとゆかし」とかいうのと同じで、傘の内の人は誰だか知りたい、という意味である。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
改めて穿鑿せんさくもせられで、やがては、暖簾のれんを分けてきつとしたる後見うしろみは為てくれんと、鰐淵は常におろそかならず彼が身をおもひぬ。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
私が寝てえると焼芋の皮なんぞをわざと置いて、そうしてお内儀さんが朝暖簾のれんとこから顔を出して、さ、みんな起きなよと仰しゃる時に新どんの意地悪が
闇夜の梅 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
商家で大切な暖簾のれん、今でも見られぬわけではないが、大抵は洋風の店構えに、硝子ガラスのドアーへ金文字の屋号店名と入れ代って、暖簾の影は大分薄い。
明治世相百話 (新字新仮名) / 山本笑月(著)
長吉ちやうきちは外へ出ると急いで歩いた。あたりはまだあかるいけれどもう日はあたつてない。ごた/\した千束町せんぞくまち小売店こうりみせ暖簾のれんや旗なぞがはげしくひるがへつてる。
すみだ川 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
先生の「う、………あゝ」に釣り込まれて、此処まで暖簾のれんと腕押しをしてしまった記者は、此の時急に気が付いて
蘿洞先生 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
そして『遠眼鏡スパイグラース屋』は借地権も暖簾のれんも道具一式もすっかり売り払って、かかあどんは己と逢うためにそこを出ているよ。
あはれ、ここに染出す新暖簾のれん、本家再興の大望を達して、子々孫々までも巻をかさねて栄へよかしといのるものは
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)
隣字の温泉へ行くつもりのものが生憎あいにくと行暮れて、この字では唯一軒の旅籠はたご兼居酒屋の暖簾のれんをくぐったのである。
禅僧 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
町の中程にある「竹永米屋」も、彼が小僧していた頃の面影おもかげはなくて、土蔵の壁は落ち、低い軒先にシオたれた暖簾のれんの文字が読めないほど古ぼけていた。
冬枯れ (新字新仮名) / 徳永直(著)
先ず東京市内の大商店の広告をいろいろ見比べて見ると、第一に信用戦で暖簾のれんを守り、次第に流行戦に移って他を圧倒してやろうという気合いが見える。
どんなに明々白々な論拠をって臨んでも、まるで暖簾のれんと腕押しをすると同じで、さっぱり手ごたえがないのだ。
その唐風の暖簾のれんのようなものの一番端に、吹抜亭さんへ、ひいきより——という文字を、アリアリと幻に見た。
小説 円朝 (新字新仮名) / 正岡容(著)
その夜M氏に誘われて、三造がおでん屋の暖簾のれんをくぐったのは、考えて見ると、誠に不思議な出来事であった。
狼疾記 (新字新仮名) / 中島敦(著)
直という女は、何処からどう押しても押しようのない女、丸で暖簾のれんのように抵抗たわいないかと思うと、突然変なところへ強い力を見せる性格として描かれている。
漱石の「行人」について (新字新仮名) / 宮本百合子(著)