家柄いへがら)” の例文
包金を封のまゝに通用させる家柄いへがらですから、その樽屋の持つて來た千兩箱を、引つくり返して、一々勘定したわけでは御座いません
銭形平次捕物控:274 贋金 (旧字旧仮名) / 野村胡堂(著)
パリス いづれも名譽めいよ家柄いへがらであらせらるゝに、ひさしう確執なかたがひをなされたはおどくでござった。ときに、吾等われら申入まうしいれたこと御返答ごへんたふは?
私は、彼女の地位、縁故えんこ等が彼に合つてゐる故を以て、家柄いへがらや、恐らくは政略的な理由の爲めに彼が彼女と結婚しようとしてゐるのだと思つた。
○そも/\時平公は大職冠九代の孫照そんせうぜん公の嫡男ちやくなんにて、代々□臣の家柄いへがらなり。しかのみならず延喜帝の皇后きさきあになり。このゆゑに若年にして□臣の貴重きちやうしよくししなり。
大事になされよ我れ又江戸より歸りの時は再びたづまゐらせん名を聞ばやと云ければ父は森田屋銀五郎我が身はせんよばれつゝ所に久しき家柄いへがらなれどもかく成果なりはてしと嘆息の外なかりけり
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
ねんねんゆめぎ、未亡人びぼうじん操行さうかうくわんして誰一人たれひとり陰口かげぐちものもなかつた。まづしくはあつたけれど彼女かのぢよ家柄いへがらもよかつたので、多少たせう尊敬そんけい心持こゝろもちもくはへて人々ひと/″\彼女かのぢよ信用しんようした。
(旧字旧仮名) / 水野仙子(著)
うですかえ、十王様わうさまは。婆「十王様わうさま宮様みやさま同様どうやうなお家柄いへがらでございますから、なに御用ごようはないのでございませう。岩「銭札ぜにふだけるやつなどはうして。婆「あれ書記官しよきくわんつてります。 ...
明治の地獄 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
それ其筈そのはづ実家さと生計向くらしむきゆたかに、家柄いへがら相当さうたうたかく、今年ことし五十幾許いくつかのちゝ去年きよねんまで農商務省のうしやうむしやう官吏くわんりつとめ、嫡子ちやくし海軍かいぐん大尉たいゐで、いま朝日艦あさひかん乗組のりくんでり、光子みつこたつ一人ひとり其妹そのいまうととして
背負揚 (新字旧仮名) / 徳田秋声(著)
眞田家さなだけ領地りやうち信州しんしう川中島かはなかじまは、列國れつこくまれなる損場そんばにて、年々とし/″\損毛そんまう大方おほかたならざるに、歴世れきせいこの家柄いへがらとて、殖産しよくさんみち發達はつたつせず、貯藏ちよざう如何いかんかへりみざりしかば、當時たうじ不如意ふによいはむかたかりし。
十万石 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
きつはなして急催促きふさいそく言譯いひわけすべきほどもなくたちま表向おもてむきの訴訟沙汰そしようざたとはれりけるもと松澤まつざは數代すだい家柄いへがら信用しんようあつければ僅々きん/\せん二千にせんかね何方いづかたにても調達てうたつ出來得できうべしと世人せじんおもふは反對うらうへにて玉子たまご四角しかくまだ萬國博覽曾ばんこくはくらんくわいにも陳列ちんれつ沙汰さた
別れ霜 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
「十二そうの近所に、楢井ならゐ山左衞門といふ大名主があるが、苗字めうじ帶刀たいたうまで許された家柄いへがらで、主人の山左衞門は三月ばかり前にポツクリ亡くなつた——」
○そも/\時平公は大職冠九代の孫照そんせうぜん公の嫡男ちやくなんにて、代々□臣の家柄いへがらなり。しかのみならず延喜帝の皇后きさきあになり。このゆゑに若年にして□臣の貴重きちやうしよくししなり。
五十人位御婦人や殿方とのがたがゐらしたと思ひますが——皆さまのうちでも第一流のお家柄いへがらでしてね。そしてイングラム孃はその晩の第一のお美しい方とされてゐらしたのですよ。
はかるに非ず五六年もくるしみなば元の田畑でんばた取戻とりもどすことも出來左すれば村長にも成る家柄いへがらゆゑ先祖せんぞへの孝養かうやうと思ひかねて心がけ置たる錢十貫文之をのこおかば當時の暮し方は澤山たくさんあらん來年は給金のなかば
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
調べる氣で出かけると、二軒目でわけもなくわかつた。流派は遠慮するが、あの鈴川主水といふのは、家柄いへがらは低いが、大層な藝達者で、中國筋のさる大名のお抱へになつてゐた
りやう豐臣家とよとみけの御代には老中の一人にして生駒雅樂頭と號し天晴あつぱれ武功ぶこう家柄いへがらなり其後徳川家にしたがひ四代目にして家中に騷動さうどうおこり既に家名斷絶だんぜつすべきの處親類藤堂和泉守殿歎願により羽州由利郡矢島において高八千石を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)