さきだ)” の例文
明和五年八月二十八日に父信政にさきだつて歿し、長谷寺に葬られた。法諡はふしを万昌軒久山常栄信士と云ふ。信政は時に年五十七であつた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
吾人ごじんは時勢の概括的観察を為さざるべからず。しこうしてこれにさきだちて、さらにその淵原来歴をつまびらかにせざるべからざるの必要を感ず。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
おん身若し我にさきだちて妻を持たば、婚禮の日に三鞭酒シヤンパニエ二瓶を飮ませ給へ。われ。もつとも好し、その酒をば君こそ我に飮ましめ給はめ。
日本における文学発生——必しも、我が国に限らぬことだが——は尠くとも、文学意識の発生よりは、さきだつてゐる事は、事実だ。
日本文学の発生 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
コロムウェルありしが故に英国民は他欧洲国民にさきだつ百年すでに健全なる憲法的自由を有せり、コロムウェルは実に英国を愛せし人なり。
基督信徒のなぐさめ (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
早大附近の有ゆる道路は小刻みに走る観衆織るが如く、定刻にさきだつ一時間、既に早くグラウンドの周囲は逆捲く人浪を以て囲繞ゐねうせられて了つた。
父在りし日さへ月謝の支出の血を絞るばかりにくるし痩世帯やせじよたいなりけるを、当時彼なほ十五歳ながら間の戸主は学ぶにさきだちてくらふべき急に迫られぬ。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
忘れようとして忘られず、思い起して死んだ者、さきだった物の為に流す涙、溜息は、男のでもかなり好もしいものです。
対話 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
大声に叫びて幹事松本常吉はち上がりつ「本員は議事に入るにさきだちて、一個の緊急動議を提起せねばなりませぬ」
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
前に武士にさきだって武士道の大義が存在したと述べたと同じ理由によりて、僕は政治的民本主義が実施さるるに先って道徳的といわんか社会的といわんか
平民道 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
今ここに向象賢しょうじょうけん蔡温さいおん宜湾朝保ぎわんちょうほの如き琉球の代表的人物を紹介するにさきだちて、沖縄人が他府県人と祖先を同じうするという事を述べる必要がありますが
琉球史の趨勢 (新字新仮名) / 伊波普猷(著)
暁鴉にさきだちて寝床を出で、池頭に立ちて蓮女第一回の新粧を拝せんとするの志あるもの、既に俗物を以て指目するに忍びず、れども佳人何すれぞ無情なる
心機妙変を論ず (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
苗代なわしろに種をくにさきだって、籾種を水に浸して置く。普通に「種浸」とか「種かし」とかいうのがそれで、浸す場所によって「種井たない」とも「種池たないけ」とも呼ばれている。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
而して其晩年の著述たる政記を完成せんことを欲して死する迄眼鏡を着けて潤刪じゆんさんに怠らざりき。彼が通議の内庭篇は実に死するにさきだつ三日蓐を蹴て起ち草せし所なりき。
頼襄を論ず (新字旧仮名) / 山路愛山(著)
プシキンはさきだって非常ひじょう苦痛くつうかんじ、不幸ふこうなるハイネは数年間すうねんかん中風ちゅうぶかかってしていた。
六号室 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
他人に対してかゝる不敬の称号を呈するにさきだつて、己等おのれらかつて狂気せる事あるを自認せざるからず、又何時いつにても狂気し得る資格を有する動物なる事を承知せざるべからず
人生 (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
ゴンクウルはそが愛好する歌麿の伝を著したるのち四年を経て(千八百九十五年十二月即明治二十八年)更に葛飾北斎の詳伝をおおやけにしたり。これ著者の死にさきだつことわずかに一年なり。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
お政は児をうて彼にさきだち、お露は彼に残されて児を負う。いずれか不幸、いずれか悲惨。
酒中日記 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
未だ新声の美を味ひ功を収めざるにさきだちて、早くその弊竇へいとう戦慄せんりつするものは誰ぞ。
海潮音 (新字旧仮名) / 上田敏(著)
第一の叔は遠く奥州の雪ふかき山にうずまれ給いしかば、その当時まだ幼稚いとけなき我は送葬の列に加わらざりしも、他の三人の叔はおくさきだちて、いずれもこの青山の草露そうろしげき塚のぬしとなり給いつ
父の墓 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
四国ならびに中国方面の山林中に自生して樹林の一をなし直幹聳立しょうりつして多くの枝椏をわかち、葉にさきだちて帯白あるいは微紅色の五弁花を満開し、花後に細毛ある葉をべ小核果を結ぶのである。
植物記 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
筋論者、抽象論者は、その論をするにさきだつて、先づ実際の人間の生活に触れて見るが好い。また、それほど大きな自信があるならば、乞ふくわいより始めよで、忠実にドシドシやつて行つて見るが好い。
スケツチ (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
昨日きのうまではともかく紳士として通っていた私の醜悪極まる正体はこれによって今日完全に暴露されるのだ。しかしこの暴露にさきだって私は私の破廉恥はれんち極まる存在を宇宙間に無くしておかねばならない。
秘密 (新字新仮名) / 平林初之輔(著)
またこれにさきだつこと一年に、森枳園きえんが江戸に帰った時も、五百はこの支度の他の一部を贈って、枳園の妻をして面目を保たしめた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
文献時代の誤写か、其にさきだつ伝承時代の聞き違へ、聯想の錯誤かとも思はれるが、古典研究に大切な準拠をなくする事になる。
日琉語族論 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
彼は知己の感を以て、その子弟を陶冶とうやせり、激励せり、彼は活ける模範となりて、子弟にさきだちて難にじゅんぜり。否な、子弟のために難にじゅんぜり。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
我が意を得つとはんやうに荒尾はうなづきて、なほも思に沈みゐたり。佐分利と甘糟の二人はその頃一級さきだちてありければ、間とは相識らざるなりき。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
世才せさいある風の任意まにまにただよい行く意味にあらずして、世界の大勢に応じ、なお個人性を失わず、しこうして世界の潮流にさきだちて進むを以て教育の最大目的とせねばならぬ。
教育の最大目的 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
ゆふべの風にさきだちてすだれを越え来るものは、ひぐらしの声、寂々として心神をとかす、之を聴く時おのづから山あり、自から水あり。家にありて自から景致の裡にあり。
客居偶録 (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
世界にさきだって生じ、世界に後れて残るべき人間の本体に近づくものであります
創作家の態度 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
公判は控訴院第三号大法廷にひらかれぬ、堺兄にさきだちて一青年の召集不応の故を以て審問せらるゝあり、今村力三郎君弁護士の制服をまとひて来り、余の肩を叩いて笑つて曰く、君近日しきりに法廷に立つ
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
プシキンはさきだつて非常ひじやう苦痛くつうかんじ、不幸ふかうなるハイネは數年間すうねんかん中風ちゆうぶかゝつてしてゐた。してれば原始蟲げんしちゆうごと我々われ/\に、せめ苦難くなんてふものがかつたならば、まつた含蓄がんちく生活せいくわつとなつてしまふ。
六号室 (旧字旧仮名) / アントン・チェーホフ(著)
人の歩みにさきだちて足音の反響は
しかし敬が嚢里の家の落成にさきだつて来てゐたことは、移居の詩に「家人駆我懶」と云ひ、「団欒対妻孥」と云つてあるを見て知られる。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
彼の頭脳は、時勢と共に廻転を始めたり、しこうして時勢にさきだってはしれり。彼は最初よりの顛覆てんぷく党にあらざりき、しかれども一たび顛覆党となるや、その急先鋒となれり。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
其にさきだつて言はねばならぬことは、「祝詞」又は略して「祝」の字面を以て、のりとに宛てるのは、大体平安朝以後の慣例と見てよく、さうして、さう言ふ字面が用ゐられ
日本文学の発生 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
未だ何の形をも成さゞるの故か、借問す、没却理想の論陣をきながら理想詩人、ドラマチストにさきだちて出でんと預言し玉ひし逍遙子は、如何なる理想の活如来いきによらいをや待つらむ。
徳川氏時代の平民的理想 (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
甘糟の答ふるにさきだちて、背広の風早かざはやは若きに似合はぬ皺嗄声しわがれごゑ振搾ふりしぼりて
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
至善院は抽斎の曾祖父為隣いりんで、終事院は抽斎が五十歳の時父にさきだって死んだ長男恒善つねよしである。その三には五人の法諡が並べて刻してある。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
ともかくも初夢が、元朝目の覚めるにさきだつて、見られたものをした事は疑ひがない。
古代生活の研究:常世の国 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
世を厭ふものをて世を厭ふとするは非なり。世を罵る者を以て世を罵るとするは非なり。世を厭ふ者は世を厭ふにさきだちて、己れを厭ふなり。世を罵る者は世を罵るに先だちて、己れを罵るなり。
文二の外に六人の子を生んだ文晁の後妻阿佐あさは、もう五年前に夫にさきだって死んでいたのである。この年抽斎は三十六歳であった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
この二要素を論ずるにさきだちて吾人は
しかし忠同は十年三月廿九日に父にさきだつて歿した。鶴岡氏の記する所に従へば、樸忠は我郷わがきやうの大国隆正、福羽美静よししづと相識つてゐたと云ふ。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
品にさきだつて綱宗に仕へた初子は、其世系せいけいが立派である。六孫王経基つねもとの四子陸奥守満快むつのかみまんくわいの八世の孫飯島三郎広忠ひろたゞ出雲いづもの三沢を領して、其曾孫が三沢六郎為長ためなが名告なのつた。
椙原品 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
依田竹谷よだちくこく、名はきんあざなは子長、盈科齋えいくわさい、三谷庵こくあん、又凌寒齋りようかんさいと號した。文晁ぶんてうの門人である。此上被うはおほひに畫いた天保五年は竹谷が四十五歳の時で、後九年にして此人は壽阿彌にさきだつて歿した。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
この代替だいがはりさきだつて、清休の家は大いなる事件に遭遇した。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)