京師けいし)” の例文
あねご、あいつは関東方で」「そうかい、それじゃア引っこ抜いてやろう」「おっとおっと今度はいけない、あのお侍さんは京師けいし方で」
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
京師けいしの地子銭を免除したり相当政治的なことをやった以上、信長を殺せば後は野となれ山となれ的な棄鉢でやった事ではない。
山崎合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
詩の作者頼三樹三郎らいみきさぶろうのことで、旧臘きゅうろう廿五日、頼は梅田雲浜うめたうんぴん老女村岡ら三十余人とともに京師けいしから護送されて、正月九日江戸着
つづれ烏羽玉 (新字新仮名) / 林不忘(著)
過日京師けいしへ差出し下され候由これまた謝し奉候。さて阿波へもつかわく先にこれり候五、六部も拙方へ御遣しの程ねがひ申上候云々。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
「皆死んだよ。城中の男女数百人をやぐらに置いて自ら火をかけ、党類三十余人はちゅうせられて首を京師けいしに送った——とある」
去る程にその折ふし、筑前太宰府、観世音寺かんぜおんじの仏体奉修の為め、京師けいしより罷下まかりくだり候ひし、勝空しょうくうとなん呼ばるゝ客僧かくそうあり。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
しかも大石自身は、後を清くして立つためには何かと用事もあって、そうきゅうに京師けいしを引払うわけにも行かない。
四十八人目 (新字新仮名) / 森田草平(著)
僕もと京師けいしの産、先年他国へ参り夜とともに身の上ばなしを致せしが、物語りの続きに、その時は私も、ちゃっちゃむちゃくでござりました、といいたれば
伯州はくしゅう雲州うんしゅう、人狐と呼ぶもの、漢名いまだつまびらかならず。先年、松江侯この獣を京師けいしに上せ、漢名をたずねさせたまえども、知る者なかりしと伝え聞く。
迷信と宗教 (新字新仮名) / 井上円了(著)
「貴公たちは、木曾義仲の幕下ばっかとして、京師けいしに入り、われらは、頼朝公の東国兵と共に、平家の本拠をついて都へなだれ入った。——たしかあの年だったかなあ」
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いまいくほどもあらざりき、天下てんかおほいみだれて、敵軍てきぐん京師けいし殺倒さつたうし、婦女子ふぢよしとらへてほしいまゝ凌辱りようじよくくはふ。
唐模様 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
礼闈とは礼部の試のことで、各省の挙人、即ち郷試の及第者を京師けいしに集めて挙行するいわゆる科挙のことであるが、それは礼部で掌っているから礼闈というのであった。
陸判 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
彼女について最もはやく書かれたものと思われる林長孺ちょうじゅの紀文では「烈婦蓮月」となっていて、漢文を書きほぐしてみると、いまだその姓氏をつまびらかにせず、京師けいしの買人某の妻なり。
蓮月焼 (新字新仮名) / 服部之総(著)
古い一例を挙げれば清和天皇の御代貞観じょうがん十六年八月二十四日に京師けいしを襲った大風雨では
颱風雑俎 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
京師けいしの、はなかざしてすご上臈じょうろうたちはいざらず、天下てんか大将軍だいしょうぐん鎮座ちんざする江戸えど八百八ちょうなら、うえ大名だいみょう姫君ひめぎみから、した歌舞うたまい菩薩ぼさつにたとえられる、よろず吉原よしわら千の遊女ゆうじょをすぐっても
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
しこうしてこれと同時に、その股肱ここう間部詮勝まなべあきかつ京師けいしつかわし、以て朝廷の意見を飜えし、以て公卿中の非和親論者を威嚇し、而して京都にある横議の処士、おもなる攘夷論者、及び水戸派
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
前代のそうげん傾覆の所以ゆえんを考えて、宗室の孤立は、無力不競の弊源たるを思い、諸子をおおく四方に封じて、兵馬の権を有せしめ、もって帝室に藩屏はんべいたらしめ、京師けいし拱衛きょうえいせしめんと欲せり。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
これに反して場外の名は京師けいしに騒いで、大中四年に宰相になった令狐綯も、温を引見して度々筵席に列せしめた。ある日席上で綯が一の故事を問うた。それは荘子そうしに出ている事であった。
魚玄機 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
鑑真がんじんとその徒が困難な航海の後に九州に着いたのは、大仏開眼供養の翌年の末であったといわれている。彼らが京師けいしに入る時の歓迎はすばらしいもので、当時の高官高僧は皆その接待に力をつくした。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
賤女しずのめの風はしているが京師けいしの公卿に縁ある者、おのずと備わる品位と美貌びぼうは、恥を含んで一層美しく、右門の眼にも見えるのであった。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
鷲津松隠のつくった幽林の行状にも竹渓は父の京師けいしにあって脚気を病んだ時その傍に侍していたことが記されている。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
すなはち従ひ来れる馬士まごを養ひて家人となし、田野を求めて家屋倉廩そうりんを建て、故郷京師けいし音信いんしんを開きて万代のはかりごとをなすかたわら、一地を相して雷山背振の巨木を集め
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
「時に太夫は京師けいしを出発される前に妻子を離別してこられたとうけたまわるが」と、一人がまた言いだした。
四十八人目 (新字新仮名) / 森田草平(著)
其国四通の地にして、京師けいしに近く且つ足利殿数十代の余光をかりて起られしかば威光天下に及ぶ。
桶狭間合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
京師けいし張廣號ちやうくわうがうは、人參にんじん大問屋おほどんやで、きこえた老鋪しにせ銀座ぎんざ一番いちばん、とふづツしりしたものである。
人参 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
京師けいし応挙おうきょという画人あり。生まれは丹波たんば笹山ささやまの者なり。京にいでて一風の画を描出す。唐画にもあらず。和風にもあらず。自己の工夫くふうにて。新裳しんしょうを出しければ。京じゅう妙手として。
人の言葉――自分の言葉 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
彼が九年の廃錮はいこより起ち、幕府の徴命に応じ、和親開港、公武合体の政策を献じ、公武の間に奔走するや、吉田松陰によりて点火せられたる長防の尊攘党は、地を捲いて京師けいしに推し寄せ
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
燕王こゝにおいて、太息たいそくして曰く、頻年ひんねん兵を用い、何の時かけん、まさに江に臨みて一決し、また返顧せざらんと。時に京師けいしの内臣等、帝のげんなるをうらみて、燕王をいただくに意ある者あり。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
李億をはじめとして、かつて玄機を識っていた朝野の人士は、皆その才を惜んで救おうとした。ただ温岐一人は方城の吏になって、遠く京師けいしを離れていたので、玄機がために力を致すことが出来なかった。
魚玄機 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
「使者でござるッ。京師けいしの使者でござる」
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
寛斎の門人柏木如亭もまた既に京師けいしに没していたが、同門の大窪詩仏、菊池五山の二家はなお健在であった。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
我ら再三諫言かんげんしたれど妖婦の甘言にさえぎられて益〻暗愚の振る舞いをされ、京師けいし足利あしかが将軍にさえその名を知られたこの甚五衛門を、事もあろうに閉門をされ
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
こころけだし今の朝廷また建文をくるしめずして厚くこれを奉ず可きをおもえるなり。えいはこれを聞きておおいに驚き、ことごと同寓どうぐうの僧を得て之を京師けいしに送り、飛章ひしょうして以聞いぶんす。帝及び程済ていせいけいに至るのすうに在り。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
頭領大石内蔵助もいよいよ十月の七日には京師けいしを発足した。
四十八人目 (新字新仮名) / 森田草平(著)
江戸名家の文にして墨水桜花の美を賞したものは枚挙するにいとまがない。しかし京師けいしおよび吉野山の花よりも優っていると言ったものは恐らく松崎慊堂まつざきこうどうのみであろう。
向嶋 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
……これでは幕府の存在は、有害であって無益ではないか! すべからく天下に罪を謝し、政治まつりごと京師けいしへ奉還し、天皇様御親政の日本本来の、自然の政体に返すべきじゃ!
前記天満焼 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
雲如は江戸の商家に生れたがはじめ文章を長野豊山ながのほうざんに学び、後に詩を梁川星巌やながわせいがんに学び、家産を蕩尽とうじんした後一生を旅寓に送った奇人である。晩年京師けいしに留り遂にその地に終った。
向嶋 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
「ほほう、それでは、その方は、いつぞや京師けいしを荒らし廻わった盗人の筑紫権六であったか!」
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
……第一番に云って置きたいことはわしが旅行家だということです。——俺は肥前の長崎にもおりまた大坂にもおりました。また京師けいしにも名古屋にもあらゆる所におりました。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
……和歌山、岸和田に関わる裁判さばき京師けいし妖巫ようふの逮捕などに、明察を揮われた先生の眼も、今はすっかり眩んでいるらしい。獅子身中の虫をさえ、観破することさえお出来なさらない。では……
前記天満焼 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)