“梁川星巌”のいろいろな読み方と例文
旧字:梁川星巖
読み方割合
やながわせいがん75.0%
やながはせいがん25.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
寛斎如亭の相ついで文政の初に世を去るや、江戸の詩界は天保の初梁川星巌やながわせいがんの東遊を待つの日までこの二老を仰いで師表となした。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
これが若い時は閨秀けいしゅう詩人で鳴らした紅蘭こうらん女史であった。紅蘭が無月の洒落しゃれをいっても、奥で、笑いもせずにいる霊芝れいしみたいな人間は、むろん慷慨こうがい詩家、梁川星巌やながわせいがんなのである。
田崎草雲とその子 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
頼は、井伊派から、梁川星巌やながはせいがん、池内大学、梅田雲浜等と共に「悪逆四天王」と云はれて憎まれてゐた程の硬派だから、死罪は覚悟の上であつた。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
蓋し彼が酒をしむに至りしは此時に始まれる也。後来梁川星巌やながはせいがんをして其死を聞きて人伝麹蘖遂為災と歌はしめたる程の大酒家も三十九齢の当時までは酒量極めて浅かりし也。
頼襄を論ず (新字旧仮名) / 山路愛山(著)