梁川星巌やながはせいがん)” の例文
旧字:梁川星巖
頼は、井伊派から、梁川星巌やながはせいがん、池内大学、梅田雲浜等と共に「悪逆四天王」と云はれて憎まれてゐた程の硬派だから、死罪は覚悟の上であつた。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
蓋し彼が酒をしむに至りしは此時に始まれる也。後来梁川星巌やながはせいがんをして其死を聞きて人伝麹蘖遂為災と歌はしめたる程の大酒家も三十九齢の当時までは酒量極めて浅かりし也。
頼襄を論ず (新字旧仮名) / 山路愛山(著)