“やながはせいがん”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
梁川星巌66.7%
梁川星巖33.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
頼は、井伊派から、梁川星巌やながはせいがん、池内大学、梅田雲浜等と共に「悪逆四天王」と云はれて憎まれてゐた程の硬派だから、死罪は覚悟の上であつた。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
蓋し彼が酒をしむに至りしは此時に始まれる也。後来梁川星巌やながはせいがんをして其死を聞きて人伝麹蘖遂為災と歌はしめたる程の大酒家も三十九齢の当時までは酒量極めて浅かりし也。
頼襄を論ず (新字旧仮名) / 山路愛山(著)
苾堂は詩を以て梁川星巖やながはせいがん柏木如亭かしはぎじよてい及五山と交つた。書は子昂すがうそうとし江戸の佐野東洲の教を受けたらしい。又をも學んで、崋山くわざん門下の福田半香、その他勾田臺嶺まがたたいれい高久隆古たかひさりゆうこ等と交つた。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)