梁川星巌やながわせいがん)” の例文
旧字:梁川星巖
寛斎如亭の相ついで文政の初に世を去るや、江戸の詩界は天保の初梁川星巌やながわせいがんの東遊を待つの日までこの二老を仰いで師表となした。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
これが若い時は閨秀けいしゅう詩人で鳴らした紅蘭こうらん女史であった。紅蘭が無月の洒落しゃれをいっても、奥で、笑いもせずにいる霊芝れいしみたいな人間は、むろん慷慨こうがい詩家、梁川星巌やながわせいがんなのである。
田崎草雲とその子 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
地名としては神田松枝町まつえちょうのあたりを総称して、俗にお玉ヶ池と呼んでいたのである。その地名が人の注意をひく上に、そこには大窪詩仏や梁川星巌やながわせいがんのような詩人が住んでいた。
半七捕物帳:36 冬の金魚 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
ああ宇内うだい生産的の境遇と平民主義の大勢とはわが幕府を駆りわが井伊大老を駆り、わが水戸烈公・藤田東湖を駆り、わが佐久間、吉田諸氏を駆り、わが梁川星巌やながわせいがんを駆り、わが横井小楠翁を駆り
将来の日本:04 将来の日本 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
一たび幕府の倉吏となったが、天保の初梁川星巌やながわせいがんが詩社を開くに及びこれに参し、職を辞して後放蕩ほうとうのため家産を失い、上総かずさ東金とうがねの漁村に隠棲いんせいした。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
八月、家茂いえもち将軍となる〔昭徳公〕。一橋党ことごとく罪せらる。八月、密勅みっちょく水戸に下る。九月、間部詮勝まなべあきかつ京都に入る。梁川星巌やながわせいがん死す。梅田、頼その他の志士ばくくもの前後相接す。十一月、松下義塾血盟。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
当時の詩風を代表すべきものは寛斎の門より出でた柏木如亭かしわぎじょてい大窪詩仏おおくぼしぶつ菊池五山きくちござんである。梁川星巌やながわせいがんに及んで唐宋元明の諸風を咀嚼そしゃくし別に一家の風を成した。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
雲如は江戸の商家に生れたがはじめ文章を長野豊山ながのほうざんに学び、後に詩を梁川星巌やながわせいがんに学び、家産を蕩尽とうじんした後一生を旅寓に送った奇人である。晩年京師けいしに留り遂にその地に終った。
向嶋 (新字新仮名) / 永井荷風(著)