一分いちぶ)” の例文
イヤ、それよりも、曲者くせもの自身は幽霊のように一分いちぶか二分の隙間から抜け出たとしても、妙子さんをどうして運び出すことが出来たのだ。
悪魔の紋章 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
げ……。」がたがたしながら一人の紳士はうしろの戸を押さうとしましたが、どうです、戸はもう一分いちぶも動きませんでした。
注文の多い料理店 (新字旧仮名) / 宮沢賢治(著)
それが色の着いたろうを薄く手の甲に流したと見えるほど、肉と革がしっくりくっついたなり、一筋のしわ一分いちぶたるみも余していなかった。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
あごから頬へかけての鬚髯ひげはありませんが、病気中は剃らなかったと見えて、一分いちぶに足らぬ黒い濃い毛が密生しておりました。
髭の謎 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
「人たれか、われ先に行くと、たとい、一分いちぶなりとも、その自矜うちくだかれて、なんの、維持ぞや、なんの、設計ぞや、なんの建設ぞや。」
HUMAN LOST (新字新仮名) / 太宰治(著)
直径幾十尺あるかと疑われた……また一段上ると桶のふち一分いちぶ程見え出した。また桶の真中を幅の狭い鉄板が差し渡してあることだけが分った。
暗い空 (新字新仮名) / 小川未明(著)
小判こばんどころか、一分いちぶひとしてくれる相談さうだんがないところから、むツとふくれた頬邊ほゝべたが、くしや/\とつぶれると、納戸なんどはひつてドタリとる。所謂いはゆるフテふのである。
一席話 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
一度いちどは綿と交易してつぎの替引の材料となし、一度は銭と交易して世帯の一分いちぶを助け、非常の勉強に非ざれば、この際に一反をあまして私家しかの用に供するを得ず。
旧藩情 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
一分いちぶのめだかから一尺いっしゃくこいにいたる魚のすべて、さぎ、白鳥、おしどり、かもつるなど水に親しむ鳥どものすべて、また水にさく浮草の花の一つ一つが、それを聞くのじゃ。
おしどり (新字新仮名) / 新美南吉(著)
三河屋で一分いちぶぎんを両替へしたのは次郎である。横痃の跛足をよそおつてゐたのは甚五郎である。
赤膏薬 (新字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
またどうすゞをまぜるとるのに容易よういで、しかもかたくつて丈夫じようぶであるといふことも、最初さいしよ偶然ぐうぜんつたらしいのでありますが、幾度いくどかの經驗けいけんどう九分くぶすゞ一分いちぶをまぜあはすと
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
まして姑と一所に定住している大多数の嫁がそれらの姑の下にあるいは干渉され、あるいはいじめられ、あるいは意地悪く一分いちぶだめしに精神的に虐殺されつつあるのは言うまでもない。
姑と嫁について (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
鬼と見て我を御頼おたのみか、金輪こんりん奈落ならく其様そのような義は御免こうむると、心清き男の強く云うをお辰聞ながら、櫛を手にして見れば、ても美しくほりほったり、あつさわずか一分いちぶに足らず、幅はようやく二分ばか
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
何故なぜと云えばこの時彼は、大岩の下に肩を入れて、今までついていた片膝を少しずつもたげ出したからであった。岩は彼が身を起すと共に、一寸ずつ、一分いちぶずつ、じりじり砂を離れて行った。
素戔嗚尊 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
弘前にってから、五百らは土手町どてまちの古着商伊勢屋の家に、藩から一人いちにん一日いちじつ一分いちぶ為向しむけを受けて、下宿することになり、そこに半年余りいた。船廻しにした荷物は、ほど経てのちに着いた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
恨みの一分いちぶを晴らすために、指へ血をつけてそんなものを書きつけたんだ。
顎十郎捕物帳:18 永代経 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
これを進物にえる習慣は、昔は厳重に守られていたが、次第に型ばかりとなってノシは画紙ばかり大きく、その中に幅一分いちぶばかりの本物をはさみ、或いはそれをも黄色の絵具で画に描いたり
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
多分下の方の乗車賃は芝口から浅草まで一分いちぶだったかと思います。
銀座は昔からハイカラな所 (新字新仮名) / 淡島寒月(著)
甚「是はお賤さんたった一分いちぶで」
真景累ヶ淵 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
げ……。」がたがたしながら一人の紳士はうしろの戸をそうとしましたが、どうです、戸はもう一分いちぶも動きませんでした。
注文の多い料理店 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
それ故、その部屋には、年中一分いちぶの陽光さえも直射することはなかった。これが彼の居間であり、書斎であり、寝室であった。
(新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
いて寝返ねがえりを右に打とうとした余と、枕元の金盥かなだらいに鮮血を認めた余とは、一分いちぶすきもなく連続しているとのみ信じていた。
思い出す事など (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
これると、わたし富札とみふだがカチンときまつて、一分いちぶ千兩せんりやうとりはぐしたやうに氣拔きぬけがした。が、ぐつたりとしてはられない。改札口かいさつぐち閑也かんなりは、もうみな乘込のりこんだあとらしい。
雨ふり (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
髪結床かみゆいどこの株を持っていまして、それから毎月三ほど揚がるとかいうことで、そのほかに叔父の方から母の小遣いとして、一分いちぶずつ仕送ってくれますので、あわせて毎月一両
蜘蛛の夢 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
日本では二十四もんか三十文と云うその牡蠣が、亜米利加では一分いちぶ二朱にしゅもする勘定で、恐ろしい物の高い所だ、あきれた話だと思たような次第で、社会上、政治上、経済上の事は一向いっこう分らなかった。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
そうしてその青ざめた額から、足もとのまばゆい砂の上へしきりに汗の玉が落ち始めた。——と思う間もなく今度は肩の岩が、ちょうどさっきとは反対に一寸ずつ、一分いちぶずつ、じりじり彼を圧して行った。
素戔嗚尊 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
えりもとからその白襟を一分いちぶ二分にぶのぞかせるやうに注意した。
思ひ出 (旧字旧仮名) / 太宰治(著)
二人は欄にって立った。立って見るに、限りなき麦は一分いちぶずつ延びて行く。暖たかいと云わんよりむしろ暑い日である。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
もし右足の歩幅が左足よりも一分いちぶでも広いとすれば、十歩で一寸、百歩で一尺、そして千歩万歩百万歩と歩くうちには、思いもおよばぬ大きな差異が生じて
探偵小説の「謎」 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
一息ひといき一点ひとたらし一刻いつこくにく一分いちぶしぼられる、けづられる……天守てんしゆうつばりさかさまで、むちひまはないげな。
神鑿 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
僕は母や伯母おばなどが濁り水の中に二尺指にしゃくざしを立てて、一分いちぶえたの二分殖えたのと騒いでいたのを覚えている。それから夜は目をますと、絶えずどこかの半鐘が鳴りつづけていたのを覚えている。
追憶 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
その上に新書生が入門するとき先生束脩そくしゅうを納めて同時に塾長へもきん貳朱にしゅを[#「貳朱を」は底本では「※朱を」]ていすと規則があるから、一箇月に入門生が三人あれば塾長には一分いちぶ二朱の収入
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
迎えたる賓客にわが幸福の一分いちぶを与え、送り出す朋友ほうゆうにわが幸福の一分を与えて、残る幸福に共白髪ともしらがの長き末までをふけるべく、新らしいのである、また美くしいのである。
野分 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「すてきだ。一分いちぶすきもない花婿様だ。ところで、写真屋の方は?」
恐怖王 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
「戸沢さんがいた時より、また一分いちぶ下ったんだわね。」
お律と子等と (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
ふと眼がめて何をしているかと一分いちぶばかり細目に眼をあけて見ると、彼は余念もなくアンドレア・デル・サルトをめ込んでいる。吾輩はこの有様を見て覚えず失笑するのを禁じ得なかった。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「そうさ。同時に君が天下に対する責任の一分いちぶが済むようになるのさ」
野分 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
金力権力本位の社会に出て、ひとから馬鹿にされるのを恐れる彼の一面には、その金力権力のために、自己の本領を一分いちぶでも冒されては大変だという警戒の念が絶えずどこかに働いているらしく見えた。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)