“遽(にはか)” の例文
是が自分等の預つて居る生徒の父兄であるかと考へると、浅猿(あさま)しくもあり、腹立たしくもあり、遽(にはか)に不愉快になつてすたすた歩き初めた。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
満庭の樹影青苔(せいたい)の上によこたはりて清夏の逸興遽(にはか)に来(きた)るを覚ゆる時、われ年々来青花のほとりに先考所蔵の唐本(たうほん)を曝して誦読日の傾くを忘る。
来青花 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
『まだ/\もつと多(おほ)くの證據(しようこ)が御座(ござ)います、陛下(へいか)よ』と云(い)つて白兎(しろうさぎ)は、遽(にはか)に跳(と)び上(あが)り、『此(こ)の文書(もんじよ)は只今(たゞいま)拾(ひろ)ひましたのです』
愛ちやんの夢物語 (旧字旧仮名) / ルイス・キャロル(著)
チチヤノの絵に見る様な若い女が寝巻の上に遽(にはか)に着けたらしい赤い格子縞の前掛(まへかけ)姿で白い蝋燭を手にして門を開(あ)けて呉(く)れた。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛、与謝野晶子(著)
遂(つひ)に彼はこの苦(くるしみ)を両親に訴へしにやあらん、一日(あるひ)母と娘とは遽(にはか)に身支度して、忙々(いそがはし)く車に乗りて出でぬ。彼等は小(ちひさ)からぬ一個(ひとつ)の旅鞄(たびかばん)を携へたり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
遽(にはか)にトラックの響きがして、やがて前に止まつた。性急(せつかち)な父の声もした。晴代はぎよつとしたが、もう追つかなかつた。
のらもの (新字旧仮名) / 徳田秋声(著)
又武鑑を検するに、麹町の元泰、三十間堀の元春、木挽町の芸庵がある。皆同族なるが如くであるが、今遽(にはか)に其親属関係を詳にすることを得ない。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
自分(じぶん)も恁(か)く枷(かせ)を箝(は)められて、同(おな)じ姿(すがた)に泥濘(ぬかるみ)の中(なか)を引(ひ)かれて、獄(ごく)に入(いれ)られはせぬかと、遽(にはか)に思(おも)はれて慄然(ぞつ)とした。
六号室 (旧字旧仮名) / アントン・チェーホフ(著)
身のめぐりは遽(にはか)に寂しくなりぬ。書を讀みても物足らぬ心地して、胸の中には遺るに由なき悶(もだえ)を覺えき。さて如何(いかに)してこれを散ずべき。唯だ音樂あるのみ。
遽(にはか)にそれを長々と巻き納めると、不興極まる顔をして、その吐息を彼に吹きかけでもするかのやうに彼をまともに見上げて、涙で光らせた瞳(ひとみ)で彼を見上げた。
寶暦九年(ほうれきくねん)七月二十八日(しちがつにじゆうはちにち)弘前(ひろさき)に於(おい)て西北方(せいほくほう)遽(にはか)に曇(くも)り灰(はひ)を降(ふ)らしたが、その中(なか)には獸毛(じゆうもう)の如(ごと)きものも含(ふく)まれてゐたといふ。これは渡島(おしま)大島(おほしま)の噴火(ふんか)に因(よ)つたものである。
火山の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
くしや、この黄昏の空より吹きおろす秋風は遽(にはか)に万点の火を松浦富士(越岳(こしだけ))の裾野に燃しいでたる。
松浦あがた (新字旧仮名) / 蒲原有明(著)
およそ我に遇ふ者我を殺さむといひ、雲遽(にはか)に裂くれば音(おと)細(ほそ)りてきゆる雷(いかづち)のごとく過ぐ 一三三—一三五
神曲:02 浄火 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
陽春の訪れと共に狹隘(せゝつこま)しい崖の下も遽(にはか)に活氣づいて來た。大きな斑猫(ぶちねこ)はのそ/\歩き廻つた。澁紙色をした裏の菊作りの爺さんは菊の苗の手入れや施肥に餘念がなかつた。
崖の下 (旧字旧仮名) / 嘉村礒多(著)
それと遽(にはか)に心着(こゝろづ)けば、天窓(あたま)より爪先まで氷を浴ぶる心地して、歯の根も合はず戦(わなゝ)きつゝ、不気味に堪(た)へぬ顔を擡(あ)げて、手燭(ぼんぼり)の影幽(かすか)に血の足痕(あしあと)を仰見(あふぎみ)る時しも、天井より糸を引きて一疋(いつぴき)の蜘蛛垂下(たれさが)り
妖怪年代記 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
御殿の中の空氣は遽(にはか)に緊張して
『はあ。』と答へた時は若々しい血潮が遽(にはか)にお志保の頬に上つた。そのすこし羞恥(はぢ)を含んだ色は一層(ひとしほ)容貌(おもばせ)を娘らしくして見せた。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
この時彼の小(ちひさ)き胸は破れんとするばかり轟(とどろ)けり。半(なかば)は曾(かつ)て覚えざる可羞(はづかしさ)の為に、半は遽(にはか)に大(おほい)なる希望(のぞみ)の宿りたるが為に。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
是れ或(あるひ)は眞理に近からむかは知らねど、われ未だ遽(にはか)に同意することを得ずと。(國民新聞)これを一人の蜘蟵者(ちちゆしや)とす。
柵草紙の山房論文 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
死は遽(にはか)に襲ひ至りて、アヌンチヤタはわが面をまもりつゝこときれ侍(はべ)りと、語りもあへず、マリアは泣き伏したり。われは詞はあらで、マリアの手を握りつ。
然(さ)れば園丁の云ふところ亦遽(にはか)に信ずるに足らず。余屡(しば/\)先考の詩稿を反復すれども詠吟いまだ一首としてこの花に及べるものを見ず。母に問ふと雖(いへども)また其の名を知るによしなし。
来青花 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
僕達は遽(にはか)に子供らしくなつてロダン翁の庭の薔薇(ばら)を馬車の上で嗅ぎ合ふのであつた。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛、与謝野晶子(著)
圭子の傍に坐つてゐた咲子は、遽(にはか)にえへゝと笑ひ出した。
チビの魂 (新字旧仮名) / 徳田秋声(著)
彼は二人を導きて内格子を開きける時、彼の美き妻は出(い)で来(きた)りて、伴へる客あるを見て稍(やや)打惑へる気色(けしき)なりしが、遽(にはか)に笑(ゑみ)を含みて常の如く迎へたり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
わたくしは偶(たま/\)その何巻なるを註せなかつたので、今遽(にはか)に刊本の詩話を検することを得ない。其文はかうである。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
友は遽(にはか)に我臂(ひぢ)を把(と)りて、人にも聞ゆべき程なる聲していはく。アントニオよ。あれこそ例の少女なれ、飛び去りたる例の鳥なれ、その姿をば忘るべくもあらず。
いつもより早く日は暮れるらしい。遽(にはか)に道路(みち)も薄暗くなつた。まだ灯(あかり)を点(つ)ける時刻でもあるまいに、もう一軒点けた家(うち)さへある。其軒先には三浦屋の文字が明白(あり/\)と読まれるのであつた。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
同門の塩田良三(りやうさん)の如きは其適材である。塩田が侍してゐれば、先生は手を袖にして事を辨ずることが出来る。わたくしはそこへ遽(にはか)に志村を薦むることの難きを思つた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
に來(きた)りたる頃(ころ)、魔風(まふう)遽(にはか)に颯々(さつ/\)と吹荒(ふきすさ)
鬼桃太郎 (旧字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
淨本は文化十三年六月二十九日に歿した人、了蓮は寛政八年七月六日に歿した人である。今遽(にはか)に孰(いづ)れを是なりとも定め難いが、要するに九代十代の間に不明な處がある。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
幕府の蒔繪師に新銀町(しんしろかねちやう)と皆川町との鈴木がある。此兩家と氏(うぢ)を同じうしてゐるのは、或は故あることかと思ふが、今遽(にはか)に尋ねることは出來ない。次で師岡は兄に此技を學んだ。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
こゝは湯気(ゆげ)が一ぱい籠(こ)もつてゐて、遽(にはか)に這入(はひ)つて見(み)ると、しかと物(もの)を見定(みさだ)めることも出來(でき)ぬ位(くらゐ)である。その灰色(はひいろ)の中(なか)に大(おほ)きい竈(かまど)が三つあつて、どれにも殘(のこ)つた薪(まき)が眞赤(まつか)に燃(も)えてゐる。
寒山拾得 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
遽(にはか)に沒字に附するに沒却の義を以てしたるものとするが如きことなしとも言ひ難し。
柵草紙の山房論文 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
また遽(にはか)に心づきたる様にて物を探り討(もと)めたり。
舞姫 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)