近衛このえ)” の例文
そこに白く咲いているのは何の花かという歌を口ずさんでいると、中将の源氏につけられた近衛このえ随身ずいしんが車の前にひざをかがめて言った。
源氏物語:04 夕顔 (新字新仮名) / 紫式部(著)
また近衛このえ篤麿あつまろ〕公爵よりも家庭教育の大切であるという事を述べられましたが、まあ少しくそれに類するような事もあります。
国民教育の複本位 (新字新仮名) / 大隈重信(著)
私は一年志願兵として、近衛このえ第四連隊に入営した。明治二十九年十二月のことであった。それは、日清戦争直後のことであった。
私の歩んだ道 (新字新仮名) / 蜷川新(著)
「日本語の間に片言の英語交ぜるねんわ。帝国議会は覚えてたけど、首相官邸は、『此処ここ近衛このえさんのいやはるとこ』と日本語で云うてん」
細雪:02 中巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
半蔵はあの路傍のすぎの木立ちの多い街道を進んで来る御先導を想像し、山坂に響く近衛このえ騎兵の馬蹄ばていの音を想像し、美しい天皇旗を想像して
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
全国で一ばん若年の県会議員だったそうで、新聞には、A県の近衛このえ公とされて、漫画なども出てたいへん人気がありました。
兄たち (新字新仮名) / 太宰治(著)
白い旗には近衛このえ歩兵第二連隊一等卒白井倉之助之霊と書いてあった。五月十日の戦いに、靉河あいが右岸うがんで戦死したのだという。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
変装をしたって仮面をかぶったって、賜暇しか中のアタッシェか、近衛このえの少尉か何かのようななりをしたって、だめなのです。
近衛このえ殿あたりでさえも、年に一度の式日に、賓客まろうどが馳走を眺めて、口に入れられそうな物は、三宝にのっている小豆餅あずきもちぐらいな物であったという。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
康治こうじ二年に出家して寂超じゃくちょうといい、その次の兄頼業よりなり近衛このえ天皇の蔵人くろうどであったが、久寿きゅうじゅ二年、帝崩御のとき出家して寂然じゃくぜんといい、長兄は為業ためなりといって
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
そうするうちにあの十年の戦争になりまして、良人——近衛このえの大佐でした——もまいります。そのあとに悴が猩紅熱しょうこうねつで、まあ日夜ひるよるつきッきりでした。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
けれどどういうものか、あまりくらいすすまないで、いつまでもただの近衛このえ武士ぶしで、昇殿しょうでんといって、御殿ごてんの上にのぼることをゆるされませんでした。それであるとき
(新字新仮名) / 楠山正雄(著)
わがメエルハイムの見えぬはいかにとおもひしが、げに近衛このえならぬ士官はおほむね招かれぬものをと悟りぬ。
文づかひ (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
ルオフ・メリコフ——三十二歳、白系韃靼人はくけいだったんじん。ギリシャ正教徒せいきょうと。前近衛このえ中隊長。えいどくふつ西せいの各国語に通じ、少しくビルマ語をも解す。兄はビルマ在住の貿易商。
戦雲を駆る女怪 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
近衛このえの兵隊は、音楽をやって、町じゅうねりあるきました。お寺の鐘は鳴りだしますし、お菓子屋のおかみさんたちは、お砂糖人形の黒いのリボンをどけました。
彼は近衛このえにはいっていたことがあるし、それからまた人の言うところによると、非常なおめかしやで、美しい栗色くりいろの髪を頭のまわりにみごとに縮らしているそうであるし
養蚕の失敗に引続く信用組合の公金拐帯かいたいの尻を引受けて四苦八苦の状態に陥り、東京で近衛このえの中尉を勤めている長男の仙七の血の出るような貯金までも使い込んでいる有様で
巡査辞職 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
安政五年九月十日の、うまの刻のことでございますが、老女村岡様にご案内され、新関白近衛このえ様の裏門から、ご上人しょうにん様がご発足なされました際にも、私はお附き添いしておりました。
犬神娘 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
胸に黄いろいあばらのついた軍服で、近衛このえの騎馬隊が、三角の旗を立てて風の中を走ってゆく。馬も食っている。騎馬隊の兵隊さんも食っているのだ。何処かで琴の音がしている。
新版 放浪記 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
それより近衛このえ公をして、宗鑑が姿を見れば餓鬼つばた、の佳謔かぎゃくを発せしめ、しがたって宗鑑に、飲まんとすれど夏の沢水、の妙句を附けさせ、俳諧はいかい連歌れんがの歴史の巻首を飾らせるに及んだ。
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
近衛このえの町の吉田神主の宅にも物取りどもが火を放ったとやら、たちまちに九ヶ所より火の手をあげ、折からの南の大風にあおられて、上京かみぎょうの半ばが程はみるみる紅蓮ぐれん地獄となり果てました。
雪の宿り (新字新仮名) / 神西清(著)
わたしはよぎをかぶって蚊帳かやの中に小さくなっていると、しばらくくしてパチパチの音もんだ。これは近衛このえ兵の一部が西南えき論功行賞ろんこうこうしょうに不平をいだいて、突然暴挙を企てたものと後に判った。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
出動部隊は近衛このえ師団、第一師団のほか、地方の七こ師団以下合計九こ師団の歩兵聯隊れんたいにくわえて、騎兵、重砲兵、鉄道等の各聯隊、飛行隊の外、ほとんど全国の工兵大隊とで、総員五万一千
大震火災記 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
皇室警衛のために東京には近衛このえ師団がある。巡査や憲兵も沢山いる。警手もいる。我々の出る幕ではない。——しかし父が自ら警衛したいという心持ちにも当然の理由を認めざるを得なかった。
蝸牛の角 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
前代の近衛このえ公爵のお部屋さまになるひとだったが公爵に死なれてしまった。
モルガンお雪 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
最後の予備隊、近衛このえ兵……をもくり出した。そして一目見ると、それらもやはり他の作品と同じく無瑾むきずではなかった。彼は読みつづけるだけの勇気がなかった。時々、読みやめては本を閉じた。
近衛このえ殿老女村岡、御蔵おくら小舎人こどねり山科やましな出雲、三条殿家来丹羽豊前ぶぜん、一条殿家来若松もく、久我殿家来春日讃岐さぬき、三条殿家来森寺困幡いなば、一条殿家来入江雅楽うた、大覚寺門跡もんぜき六物ろくぶつ空万くうまん、三条殿家来富田織部。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
香椎かしい中将の下に第一師団と近衛このえ師団とがその任に当たることになったのは当然だとしても、叛乱軍の諸部隊が、そのまま警備部隊に編入され、それぞれの占拠地において警備に任ずることになり
次郎物語:05 第五部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
近衛このえ、第一ないし第六師団の全部について、各連隊もしくは特科大隊にわけて士官候補生以上はすべて記されており、海軍などは軍艦別にして上等兵曹、機関士、船医師まで記されているのだから
武鑑譜 (新字新仮名) / 服部之総(著)
二の尼に近衛このえの花のさかりきく 野水
俳句への道 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
十七日の夜に参内を急いだのは、中川宮(青蓮院しょうれんいん)、近衛このえ殿、二条殿、および京都守護職松平容保かたもりのほかに、会津と薩州の重立った人たちとわかった。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
しかしながら既に鳩山〔和夫〕校長の式辞とかあるいは近衛このえ篤麿あつまろ〕公爵の演説とかあって、諸君に向って大抵同じようなことを繰返された様でもあり
「母上、ご心配くださいますな。こう起きてしまえば、さほどでもありません。新任の近衛このえ将軍のお怒りはごもっとも。よくおわびいたして戻りますれば」
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
とう大納言、東宮大夫たゆうなどという大臣の兄弟たちもいたし、蔵人頭くろうどのかみ、五位の蔵人、近衛このえの中少将、弁官などは皆一族で、はなやかな十幾人が内大臣を取り巻いていた。
源氏物語:29 行幸 (新字新仮名) / 紫式部(著)
この三十二歳の白系韃靼はっけいだったん人、ギリシャ正教徒せいきょうと、前近衛このえ中隊長、迷信家で狂信家で感激性に富み、騎士的で勇敢で買収の見込みのない人別書デスクリプションは、ドロテイン街の家の玄関に立って
戦雲を駆る女怪 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
近衛このえの兵隊がでて来ました。いや、そのうちに王さままででておいでになって、どういうわけかとおたずねになりました。するともう、きょうだいたちの姿はみえませんでした。
道長には倫子と高松殿と北政所きたのまんどころが二人あるといわれたほどであったが、やはり嫡妻倫子腹の頼通よりみちの子孫から近衛このえ九条くじょうの二家が分れ、さらに五摂家に分れて今日に血を引いたが
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
近衛このえの町の吉田神主の宅にも物取りどもが火を放つたとやら、たちまちに九ヶ所より火の手をあげ、折からの南の大風にあおられて、上京かみぎょうの半ばが程はみるみる紅蓮ぐれん地獄となり果てました。
雪の宿り (新字旧仮名) / 神西清(著)
晴れの日なので、殊に身ぎれいに慎み、府の一閣に控えていると、やがてちょうを払って現われた近衛このえノ大将軍高俅こうきゅうが、椅子いするやいな、傲然ごうぜんとこういった。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それほどにしてうかがわれているとも宮のほうの侍は気がつかず、またどんな秘密があることとも知らなかったので近衛このえの随身に見あらわされることになったのである。
源氏物語:53 浮舟 (新字新仮名) / 紫式部(著)
輦路れんろ嶮難けんなんなるところから木曾路は多く御板輿おんいたごしで、近衛このえ騎兵に前後をまもられ、供奉ぐぶの同勢の中には伏見二品宮にほんのみや徳大寺宮内卿とくだいじくないきょう、三条太政だじょう大臣、寺島山田らの参議、三浦陸軍中将
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
守る京極きょうごく勢は一たまりもなく責め落され、この日の兵火に三宝院の西は近衛このえ殿より鷹司たかつかさ殿、浄華院、日野殿、東は花山院殿、広橋殿、西園寺さいおんじ殿、転法輪てんぽうりん、三条殿をはじめ、公家くげのお屋敷三十七
雪の宿り (新字新仮名) / 神西清(著)
垣の外には、たくさんなかがが、バチバチと赤い火をハゼている。つい昼まで、ここの錦旗を守って近衛このえしていた僧兵らも、どこへ行ったか影もなかった。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と高い声で近衛このえの下士が言った。中少将のだれかがこの辺の女房のつぼねへ来て寝ているのを知って、意地悪な男が教えてわざわざ挨拶あいさつをさせによこしたに違いないと源氏は聞いていた。
源氏物語:10 榊 (新字新仮名) / 紫式部(著)
もはや町々をかために来る近衛このえ騎兵の一隊が勇ましい馬蹄ばていの音も聞こえようかというころになった。その鎗先やりさきにかざす紅白の小旗を今か今かと待ち受け顔な人々は彼の右にも左にもあった。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
守る京極きょうごく勢は一たまりもなく責め落され、この日の兵火に三宝院の西は近衛このえ殿より鷹司たかつかさ殿、浄華院、日野殿、東は花山院殿、広橋殿、西園寺さいおんじ殿、転法輪てんぽうりん、三条殿をはじめ、公家くげのお屋敷三十七
雪の宿り (新字旧仮名) / 神西清(著)
近衛このえ。わごりょうなどは、木曾路きそじを廻って帰られたがよかろう。晴々しゅう凱旋する兵とともに、東海道をあるくはおかしかろ。まず、まず、木曾路を上りませ」
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
などと言ったのち源氏は高官なども桟敷さじきへ伺候して来るので男子席のほうへ出て行った。今日きょう近衛このえの将官として加茂へ参向を命ぜられた勅使はとうの中将であった。内侍使いは藤典侍とうないしのすけである。
源氏物語:33 藤のうら葉 (新字新仮名) / 紫式部(著)
京都にある鷹司たかつかさ近衛このえ、三条の三公は落飾らくしょくを迫られ、その他の公卿くげたちの関東反対の嫌疑けんぎのかかったものは皆謹慎を命ぜられた。老女と言われる身で、囚人として江戸に護送されたものもある。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
桟敷さじきには、近衛このえ殿もおられたし、主人役の信長のほか、穴山梅雪、長雲、友閑、夕菴せきあん、長安などの年寄衆、小姓衆、そのほか徳川家の家臣もいながれて陪観ばいかんしていた。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)