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頼通
ふりがな文庫
“頼通”の読み方と例文
読み方
割合
よりみち
100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
よりみち
(逆引き)
鳥飼の院には、宇多天皇と遊女
白女
(
しらめ
)
との佳話があるし、神崎には、藤原道長の子
頼通
(
よりみち
)
と遊女
中君
(
なかのきみ
)
との情話がある。
随筆 新平家
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
頼通
(
よりみち
)
は
義家
(
よしいえ
)
にくわしく
奥州
(
おうしゅう
)
の
戦争
(
せんそう
)
の
話
(
はなし
)
をさせて
聞
(
き
)
きながら、おもしろいので
夜
(
よ
)
の
更
(
ふ
)
けるのも
忘
(
わす
)
れていました。
八幡太郎
(新字新仮名)
/
楠山正雄
(著)
藤原
道長
(
みちなが
)
の如きは、
一條
(
いちでう
)
、三條、後一條天皇の御代、三十余年にわたつて、政治の最高枢機に
与
(
あづか
)
り、その子
頼通
(
よりみち
)
も、父についで、摂政または関白たること五十余年であつた。
二千六百年史抄
(新字旧仮名)
/
菊池寛
(著)
頼通(よりみち)の例文をもっと
(6作品)
見る
“頼通(
藤原頼通
)”の解説
藤原 頼通(ふじわら の よりみち)は、平安時代中期から後期にかけての公卿、歌人。藤原北家、摂政太政大臣藤原道長の長男。官位は従一位、摂政、関白、太政大臣、准三宮。
父道長から若くして後一条天皇の摂政を譲られ、その後見を受ける。父の死後は朝政の第一人者として後朱雀天皇、後冷泉天皇の治世にて、関白を50年の長きに亘って務め、父道長と共に藤原氏の全盛時代を築いた。現代に残るその栄華の象徴が頼通が造営した平等院鳳凰堂である。
(出典:Wikipedia)
頼
常用漢字
中学
部首:⾴
16画
通
常用漢字
小2
部首:⾡
10画
“頼”で始まる語句
頼
頼母
頼朝
頼光
頼山陽
頼母子講
頼政
頼宣
頼襄
頼母子
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