“近衛院”のいろいろな読み方と例文
読み方割合
このえいん33.3%
このえのいん33.3%
このゑのゐん33.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
かくて勢至丸十五歳近衛院このえいんの御宇、久安三年の二月十三日に山陽の道を踏み上って九重の都のちまたに上り著いた時、途中時の摂政せっしょうであった藤原忠通の行列に行き会ったので
法然行伝 (新字新仮名) / 中里介山(著)
近衛院このえのいんきさき太皇大后宮たいこうたいこうぐうと呼ばれる女性が話題の人である。右大臣公能うだいじんきんよしの娘で、天下第一と言われる程の美貌の持主であった。先帝の死去の後は、近衛川原このえがわらの御所に、静かな明け暮れを営んでいた。
二五近衛院このゑのゐんゆづりましても、二六藐姑射はこややまたまはやしめさせ給ふを、思ひきや、二七麋鹿びろくのかよふ跡のみ見えて、まうでつかふる人もなき深山みやま二八おどろの下に神がくれ給はんとは。