むさ)” の例文
『その性狂暴、奢侈しやしに長じ、非分の課役をかけて農民を苦しめ、家士を虐待ぎやくたいし、天草の特産なる鯨油げいゆを安値に買上げて暴利をむさぼり』
世には有りもせぬ失恋を製造して、みずからいて煩悶はんもんして、愉快をむさぼるものがある。常人じょうにんはこれを評してだと云う、気違だと云う。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
蒲団ふとん着て寝たる姿の東山を旅館の窓からながめつつ、眠ったような平和な自然美をあくまでむさぼっていた長閑のどかな夢を破ったのは眉山のであった。
一人ひとりは奪ひ取らんとし、一人は公務に就かんとし、一人は肉の快樂けらくに迷ひてこれに耽り、ひとりは安佚あんいつむさぼれる 七—九
神曲:03 天堂 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
そなたの美くしさと若さとで、出来るかぎり此の世のよろこびを吸いむさぼるなら、短かいいのちも歎かでよい。
艶容万年若衆 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
ところが、まもなくそういった感情も、好色的な薄笑いも彼の顔から消え失せてしまって、眼が、まるでむさぼるかのごとく、一枚の上に釘づけされてしまった。
潜航艇「鷹の城」 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
そんな連中の専売特許のウマイところだけを失敬して『心理遺伝』なぞいう当世向きの名前で大々的に売り出して百パーセントの剰余価値をむさぼろうと企てているのが
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
国の権を争い人の利をむさぼるは、他なし、自国自身の平安を欲する者なり。
教育の目的 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
ひぢを曲げて一睡をむさぼると思ふに、夕陽すで西山せいざんに傾むきたれば、晩蝉ばんせんの声に別れてこの桃源を出で、元の山路にらで他の草径くさみちをたどり、我幻境にかへりけり、この時弦月漸く明らかに
三日幻境 (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
はからんものと思ひこみけるは殊勝しゆしようなれども一心に醫學を學び其じゆつを以て立身りつしん出世を望むに有ねば元より切磋琢磨せつさたくまの功をつみ修行しゆぎやうせんなどとは更に思はず大切たいせつ人命じんめいを預る醫業いげふなるに只金銀をむさぼることのみを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
是非なくも尚数年の間餘生をむさぼっていたのであった。
かくの如くすれば好物はむさぼり次第貪りそうろうごうも内臓の諸機関に障害を生ぜず、一挙両得とは此等の事を可申もうすべきかと愚考致候いたしそろ……
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
こうしてあくまで眠りをむさぼらないと、頭がしびれたようになって、その日一日何事をしても判然はっきりしないというのが、常に彼女の弁解であった。
道草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
私はややともすると机にもたれて仮寝うたたねをした。時にはわざわざまくらさえ出して本式に昼寝をむさぼる事もあった。眼が覚めると、せみの声を聞いた。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
彼女かのぢよが三週間しうかん安靜あんせいを、蒲團ふとんうへむさぼらなければならないやうに、生理的せいりてきひられてゐるあひだ彼女かのぢよ鼓膜こまくこの呪咀のろひこゑほとんどえずつてゐた。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
時間から云って、平常より一時間以上もおくれていたその昼食は、ぜんむさぼる人としての彼を思う存分に発揮させた。けれども発車は目前にせまっていた。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
つぎ日曜にちえうになると、宗助そうすけれいとほり一しうに一ぺん樂寐らくねむさぼつたため、午前ひるまへ半日はんにちをとう/\くうつぶして仕舞しまつた。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
「ええ。あなたのは洗うんでなくって、本当に湯に這入はいるんだからことにそうだろう。実用のための入湯にゅうとうでなくって、快感をむさぼるための入浴なんだから」
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
彼女が三週間の安静を、蒲団ふとんの上にむさぼらなければならないように、生理的にいられている間、彼女の鼓膜はこの呪詛の声でほとんど絶えず鳴っていた。
(新字新仮名) / 夏目漱石(著)
吾らが生くべき条件の備わる間の一瞬時——永劫えいごうに展開すべき宇宙歴史の長きより見たる一瞬時——をむさぼるに過ぎないのだから、はかないと云わんよりも
思い出す事など (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
津田の不在から起るこの変化が、女王クイーンらしい気持を新らしく彼女に与えると共に、毎日の習慣に反してむさぼり得たこの自由が、いつもよりはかえって彼女をとらえた。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
大きなかさの中へ、野葡萄のぶどうをいっぱい採って来て、そればかりむさぼっていたものだから、しまいにしたが荒れて、飯が食えなくなって困ったという話もついでにつけ加えた。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
追い懸けて来る過去をがるるは雲紫くもむらさきに立ちのぼ袖香炉そでこうろけぶる影に、縹緲ひょうびょうの楽しみをこれぞと見極みきわむるひまもなく、むさぼると云う名さえつけがたき、眼と眼のひたと行き逢いたる一拶いっさつ
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
いま先方さきがた門野を呼んでくくり枕を取り寄せて、午寐ひるねむさぼった時は、あまりに溌溂はつらつたる宇宙の刺激に堪えなくなった頭を、出来るならば、あおい色の付いた、深い水の中に沈めたい位に思った。
それから (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
いま先方さきがたかど野をんでくゝまくらせて、午寐ひるねむさぼつた時は、あまりに溌溂たる宇宙の刺激に堪えなくなつたあたまを、出来できるならば、あをいろいた、ふかみづなかしづめたい位に思つた。
それから (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
宗助そうすけ仕立卸したておろしの紡績織ばうせきおり脊中せなかへ、自然じねんんで光線くわうせん暖味あたゝかみを、襯衣しやつしたむさぼるほどあぢはひながら、おもておとくともなくいてゐたが、きふおもしたやうに、障子越しやうじごしの細君さいくんんで
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
宗助は仕立したておろしの紡績織ぼうせきおりの背中へ、自然じねんと浸み込んで来る光線の暖味あたたかみを、襯衣シャツの下でむさぼるほどあじわいながら、表の音をくともなく聴いていたが、急に思い出したように、障子越しの細君を呼んで
(新字新仮名) / 夏目漱石(著)
僕は帰りにほこりだらけの茶の間を爪先つまさきで通り抜けて玄関へ出た。その時ついでに二人の寝ている座敷を蚊帳越かやごしにのぞいて見たら、目敏めざとい母も昨日きのうの汽車の疲が出たせいか、まだ静かなねむりむさぼっていた。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)