覚束おぼつか)” の例文
旧字:覺束
先達せんだって、佐渡殿も云われた通り、この病体では、とても御奉公は覚束おぼつかないようじゃ。ついては、身共もいっそ隠居しようかと思う。」
忠義 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
およそ外交問題ほど国民の元気を煥発するものはあらざる也。之なければ放縦懶惰安逸虚礼等に流れて、覚束おぼつかなき運命に陥るものなり。
……お前さんに漕げるかい、と覚束おぼつかなさに念を押すと、浅くてさおが届くのだから仔細ない。ただ、一ヶ所そこの知れない深水ふかみずの穴がある。
伯爵の釵 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
これではとても文学でパンを得る事は覚束おぼつかないと将来ゆくすえ掛念けねんしたばかりでなく、実は『浮雲』で多少の収入を得たをさえ恥じていた。
二葉亭四迷の一生 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
かの宗教改革をとなえたルターが始めてその新説を発表し旧教家の反対を受けたときは、その生命いのちの安全さえもはなはだ覚束おぼつかなかった。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
そして、厚く褒美をやれと命じ、その覚束おぼつかない敵状資料をつぶさに含味がんみして、何か、彼としては充分に、得るところはあったらしい。
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし、十九や、そこいらではとうてい覚束おぼつかない芸だから、自分はやむを得ず。前記の通りいろいろ馬鹿な真似まねをしていると、突然
坑夫 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
ある日、庭で覚束おぼつかない手つきをして小麦をいて居ると、入口で車を下りて洋装の紳士が入って来た。余は眼を挙げて安達君を見た。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
幾度いくたび幾通いくつう御文おんふみを拝見だにせぬ我れ、いかばかり憎くしとおぼしめすらん。はいさばこのむね寸断になりて、常の決心の消えうせん覚束おぼつかなさ。
軒もる月 (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
その直前にどんなことを考えていたかと思っていささ覚束おぼつかない寝覚めの記憶を逆に追跡したが、どうもその前の連鎖が見付からない。
KからQまで (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
それを見ると、切角青山博士の詞を基礎にして築き上げた楼閣ろうかくが、覚束おぼつかなくぐらついて来るので、奥さんは又心配をし出すのであった。
かのように (新字新仮名) / 森鴎外(著)
物を言ふ口付きが覚束おぼつかなくて眼はどこを見てゐるかはっきりしないで黒くてうるんでゐる。今はそれがうしろの横でちらっと光る。
台川 (新字旧仮名) / 宮沢賢治(著)
鼻にぬけた胴間声どうまごえで、しゃべるわしゃべるわ、しかも山岳に対しては、Mönch の発音さえ覚束おぼつかないしろ者なんだからあきれかえる。
スウィス日記 (新字新仮名) / 辻村伊助(著)
たるんだ声で答えながら、足許も覚束おぼつかなく出て来たのは、茶の単衣ひとえに、山の出た黒繻子くろじゅすの帯をしめた、召使いらしい老婆であった。
「出来るだけお力になりましょう。……併し果たしてこの私に、貴女をお救いする力があるか何うか、これが実は覚束おぼつかないのです」
ですから……これでは人類の共同的文化生活は永久に覚束おぼつかない……とあって発明されたのが儀礼とかお世辞とかいう奴であります。
鼻の表現 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
地理測量のまだ覚束おぼつかない世の中では原は木がなくてもなお一つの障壁であり、これを跋渉ばっしょうすることは湖を渡るほどの困難であった。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
しかしいくら不死身ふじみの痣蟹でも、そんな高空に吹きとばされてしまったのでは、とても無事に生還することは覚束おぼつかなかろうと思われた。
恐怖の口笛 (新字新仮名) / 海野十三(著)
彼は既に読みたいと思うかずかずの書籍をっていたが、覚束おぼつかない彼の語学の知識では多くはまだ書架の飾り物であるに過ぎなかった。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
かかる始末となって多勢たぜい取巻とりまかれては、到底とても本意ほんいを遂げることは覚束おぼつかない。一旦はここを逃げ去って、二度の復讐を計る方が無事である。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
が、悪人のあせりようも一段猛烈をきわめて、その三日を無事に暮せるかどうか、はなはだ覚束おぼつかない有様になっていることも事実でした。
眠りの幕がいつの間にか考えている頭の中を周囲から絞り狭めて行って、考えは暗中ただ一点の吸殻の火のように覚束おぼつかなくなる。
宝永噴火 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
僅かに七里半とはいえ、天下の難工事であって、当時の土木力では成功が覚束おぼつかないという理由の下に、いつも中止の運命となる。
大菩薩峠:38 農奴の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
候わば幕府諸藩一人も服さざるはこれ有るまじくと存じたてまつり候。幕府諸藩心服つかまつらずては曠代こうだいの大業は恐れながら覚束おぼつかなく存じ奉り候。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
とても自分などが太刀打たちうちできる相手ではないと思うと、心がえたようになって、何をいうのも覚束おぼつかない気がするのだった。
その事業が自分に覚束おぼつかない事を思ふが故に、その空虚をまぎらさうとして無理にあんな空な享楽主義を肯定したかつたからの事だと思つた。
しかしそれはいずれも三十前後の時のたわむれで、当時の記憶も今は覚束おぼつかなく、ここに識す地名にも誤謬がなければ幸である。
葛飾土産 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
三、四十分も掛かってようや天幕てんとを張り終り、むしろを敷いてそこへ覚束おぼつかなくも焚火を始めた頃、水汲み隊は息を切らしヘトヘトになって帰って来た。
本州横断 癇癪徒歩旅行 (新字新仮名) / 押川春浪(著)
れで政府も余程こまった様子でありしが、到頭とうとうソレを無理圧付おしつけにして同船させたのは、政府の長老も内実は日本士官の伎倆ぎりょう覚束おぼつかなく思い
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
妙子を飜意ほんいさせるのにも、自分一人の力では覚束おぼつかないので、貞之助と、雪子と、三人で代る代るさとして見たらき目がありそうにも考えられた。
細雪:02 中巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
亜細亜アジア人種……阿弗利加アフリカ人種……。」と生徒達の読本朗読の声を聞き覚えに私は覚束おぼつかなくも口真似くちまねをしたりしてゐた幼ない頃の自分を思ひ出す。
ある職工の手記 (新字旧仮名) / 宮地嘉六(著)
道も漸く覚束おぼつかなく、終には草ばかりになってしまう、帰りの時間も気遣きづかわれる、足も痛み出した、山の見えぬのは残念だが終に引返すことにした。
白峰の麓 (新字新仮名) / 大下藤次郎(著)
かかる放蕩ほうとう者の行末ゆくすえ覚束おぼつかなき、勘当せんと敦圉いきまき給えるよし聞きたれば、心ならずも再びかの国に渡航して身を終らんと覚悟せるなりと物語る。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
私は想像する——あの窓からこの広場の鳩と子供のむれを見おろしながら、覚束おぼつかない指さきで細工物にいそしむ、やっと生きているような老人たち。
踊る地平線:05 白夜幻想曲 (新字新仮名) / 谷譲次(著)
私は八方摸索もさくの結果、すがり附くべき一茎のわらをも見出し得ないで、むことなく覚束おぼつかない私の個性——それは私自身にすら他の人のそれに比して
惜みなく愛は奪う (新字新仮名) / 有島武郎(著)
しかしその時日本人固有の稟性ひんせいのうまみは存して居るであらうか、何だか覚束おぼつかないやうにも思はれる。(六月十三日)
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
こういう風に経済の保障が確立している夫婦生活の中でなければ、母性の順当な実現は覚束おぼつかないことだと思います。
平塚さんと私の論争 (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
食うや食わずで逼塞ひっそくしている俺の両親は、俺の成業を首を長くして待っているのだ。ここを追われると、俺のこの身体で食っていくことさえ覚束おぼつかない。
青木の出京 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
「殊ニ身ニシムヤウニ聞ユルハ、御謀反ノ志ヲモ聞セ給フベケレバ、事ノなりナラズモ覚束おぼつかナク、又ノ対面モ如何ナラムト思召おぼしめす御胸ヨリ出レバナルベシ」
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
どこか知らん大国に頼らなくてはその国が立行かぬように思うて居る人間ばかりですからもちろん独立は覚束おぼつかない。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
翌日のかてかせぎ出さんがために覚束おぼつかない努力をしていた、あの悲しい年月の思い出を、急いで遠ざけたのだった。
お辰素性すじょうのあらましふるう筆のにじむ墨に覚束おぼつかなくしたためて守り袋に父が書きすて短冊たんざくトひらと共におさめやりて、明日をもしれぬがなき後頼りなき此子このこ
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
私の持っている筆の力くらいでは到底この驚異の万分の一をも紙の上に写し出すことは覚束おぼつかないかも知れません。
ウニデス潮流の彼方 (新字新仮名) / 橘外男(著)
『一代女』五、一夜を銀六匁にて呼子鳥、これ伝受女なり、覚束おぼつかなくて尋ねけるに、風呂者を猿というなるべし。
その覚束おぼつかないざわめきが、次第に柔かでもある深みを持った重い確かさで、前の緬羊舎の戸口から、緑の濡れしずくの草っ原へもこりもこりと動いて来た。
フレップ・トリップ (新字新仮名) / 北原白秋(著)
亭主が何しろ半兵衛で鐚銭びたせん一文持たないごろつきであるから、入院などとても覚束おぼつかない、助けると思ってここに治るまで寝かせてくれとすがり附いて頼んだ。
光の中に (新字新仮名) / 金史良(著)
独りとぼとぼと月の光りを頼りに覚束おぼつかなげな道を辿った。天地は寂然ひっそりとして、草木も息を潜めている。ただ青い輝く月光が雨のように降って来るのを眺めた。
薔薇と巫女 (新字新仮名) / 小川未明(著)
型の小さい安いオルガンで、音もそうたいしてよくはなかったが、みずから好奇ものずきに歌などを作って、覚束おぼつかない音楽の知識で、譜を合わせてみたりなんかする。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
そうすると、趙一人おいて向うにいた趙の父親が私の肩先を軽く叩いて、覚束おぼつかない日本語で、笑いながら、「虎よりも風邪の方がこわいよ」と注意してくれた。
虎狩 (新字新仮名) / 中島敦(著)
又言うまでもないことだが、吾々われわれの記憶というものも本当の事実に正確であるかどうかも甚だ覚束おぼつかない。
回想録 (新字新仮名) / 高村光太郎(著)