薬研やげん)” の例文
雲は暗かろう……水はもの凄く白かろう……空の所々にさっ薬研やげんのようなひびがって、霰はその中から、銀河のたまを砕くが如くほとばしる。
霰ふる (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
書斎、薬室、寝間、すべてを兼ねた玄堂の居間とみえる奥の一間に、徳川万太郎はそこの机や薬研やげんと雑居して、今しも一面の鏡をすえ
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
薬研やげんのような谷底を甲武信こぶし岳の直下まで遡り得るのは、この種類の峡谷としては、恐らく東沢にのみ見られる特色であろう。
渓三題 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
中廊下を隔てた薬部屋を覗くと、妻のおくにが薬研やげんにかかっていた。彼と三つ違いの三十五歳であるが、四十歳より下とみる者はないだろう。
五瓣の椿 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
震災がこの大都をバラックにした以前から、形ばかりの大通りはただ吹き通しの用を勤めるのみで、これを薬研やげんにしてわだちが土と馬糞とを粉に砕く。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
それと同時に、足一歩、青梅の宿に入れば、身は全く武蔵アルプスの尾根に包まれて、道は全く奥多摩渓谷の薬研やげんの中を走ることになっている。
大菩薩峠:26 めいろの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
摺鉢すりばちの底のような窪地くぼちになった庭の前には薬研やげんのようにえぐれた渓川たにがわが流れて、もう七つさがりのかがやきのないが渓川の前方むこうに在る山をしずかに染めていた。
山寺の怪 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
細長い、薬研やげんづくりの、グイとみよしのあがった二間船。屈強くっきょうの船頭が三人、足拍子を踏み、声をそろえて漕ぎ立て漕ぎ立て、飛ぶようにしてやって来る。
顎十郎捕物帳:09 丹頂の鶴 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
そして、いま買ってきた何やら木の実のようなものを薬研やげんに入れて、ゴリゴリていねいにくだきはじめました。
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
はじめの程は小さき平流なりしが、間もなく渓壑けいがく迫りて、薬研やげんを立てたるようになり、瀑布連続す。
層雲峡より大雪山へ (新字新仮名) / 大町桂月(著)
そこでアンポンタンは、武家はしらけた白米こめをもらうのでないという事を知った。どんな風にして、お米をしらけるのかきくと、薬研やげんで薬を刻むようにするのだといった。
この両山脈の間の薬研やげんの底のような溝が、私どもの行く谷である、長い青草が巨大な手で、掻き分けられたように左右に靡いているのが、おのずといい径になっている
谷より峰へ峰より谷へ (新字新仮名) / 小島烏水(著)
禿頭の先端さきンがった、あから顔の五十男が、恐ろしく憂鬱な表情かおをしながら、盛んに木の葉を乾かした奴を薬研やげんでゴリゴリこなしていましたが、助役の註文を受けると
とむらい機関車 (新字新仮名) / 大阪圭吉(著)
其処に父は帳合ひをしらべ、兄はせつせつと片隅の薬研やげん甘草かんざうか何かをおろして居りました。
(新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
薬研やげんで物をおろす音が壁に響いて来る。部屋の障子の開いたところから、はすに中の間の一部が見られる。そこには番頭や手代が集って、先祖からこの家に伝わった製薬の仕事を励んでいる。
家:01 (上) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
まだ座敷の隅にある百味箪笥ひゃくみだんす——今は薬ばかりでなく、いろいろの品の入れてあるその箪笥から、古い袋を取出して、もう薬研やげんにかけて調合はしてあるのですから、ただ量だけを計って
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
薬研やげんに入れて粉に砕いた。幾度も幾度も調合した。黄色い沢山の粉薬が出来た。棚から黄袋を取り出した。それへ薬を一杯に詰めた。五合余りも詰めたろう。それをさらに風呂敷に包んだ。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
宛然さながら青銅の薬研やげん瑠璃末るりまつを砕くに似たり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
扉の方へうしろ向けに、おおき賽銭箱さいせんばこのこなた、薬研やげんのような破目われめの入った丸柱まるばしらながめた時、一枚懐紙かいし切端きれはしに、すらすらとした女文字おんなもじ
春昼 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
角の煙草屋たばこやの老婆が、姿を見て、薬研やげんの側からあいさつした。賛五郎は水府すいふのたまを一つ求めながら、軽い言葉でいてみた。
死んだ千鳥 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
道庵先生がムックリとね起きて、寝巻の帯を締め直すひまもなく、枕許にあった薬研やげんを抱えて玄関へ飛び出しました。
硫黄沢の大抜けは其一つだ、磨きをかけた銅の薬研やげんを竪てたような此沢は、痛い程に神経を刺激せずには置かない。
黒部川奥の山旅 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
この癖は非常に執拗で、だから「トントン」のいつも立っている窓の下の畳の一部は、トントンとやる度毎の足裏の摩擦でガサガサに逆毛さかげ立ち、薬研やげんのように穿ほじくれていた。
三狂人 (新字新仮名) / 大阪圭吉(著)
この薬研やげん型の大砲は、差しわたし一尺五寸、重さ五十六カティ、日本の貫目にして六貫七百二十目の炸弾さくだんを打ちだし、八百歩のむこうにある目標を微塵にうち砕くとでござる。
ひどい煙 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
八右衛門岳が立っている、東西は一里に足らず、南北は三里という薬研やげんの底のような谷地であるが、今憶い出しても脳神経が盛に顫動せんどうをはじめて来る心地のするのは、晶明、透徹のその水
梓川の上流 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
此処ここを通るのは二度目である。この前来た時には馬場先ばばさきほりに何人も泳いでゐる人があつた。けふは——僕は見覚えのあるほりの向うを眺めた。堀の向うには薬研やげんなりに石垣のくづれた処がある。
それを船型の薬研やげんに入れて、ごろごろ丹念に摺りつぶしている。
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
山清水やましみずがしとしととこみち薬研やげんの底のようで、両側の篠笹しのざさまたいで通るなど、ものの小半道こはんみち踏分ふみわけて参りますと、其処そこまでが一峰ひとみねで。
春昼 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
薬研やげんく音がしていたが、それがやむと、たちまち召使の影と影がかさなって出迎えに溢れ出てくる。——そして老公のすがたをかこみ
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
どうするんだ——なかなかこれで、十年や二十年薬研やげんをころがしたって、誰にも代ってやれるという商売ではねえ——
大菩薩峠:37 恐山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
それから下り気味に岩壁の根方を廻って、片麻岩の大塊が古城の石垣のようにはらみ出したり脱け落ちたりしている薬研やげんを立てたような窪に衝き当った。
黒部川奥の山旅 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
その間に薬研やげんのやうな天竜の大峡谷があるともおもはれない。
天竜川 (新字旧仮名) / 小島烏水(著)
薬研やげんる手に、力を入れて
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
煙管きせるへ一服つめてみたが、うまくないのでほうりだした。今度は薬研やげんを引きよせて、桂皮けいひか何かをザクザクと刻みはじめる。
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
はげしい暴風雨あらしがあつて、鉄道が不通に成り、新道しんどうとても薬研やげんに刻んで崩れたため、旅客りょかくは皆こゝを辿たどつたのであるが、其も当時だけで、又中絶なかだえして、今は
貴婦人 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
林が尽ると、薬研やげんを少し伏せて立てたようにえぐれ落ちた懸崖の上に出た。川に下って近道を取るか、尾根を登って遠いが安全な道を辿るか、どっちかを選ばなければならなかった。
黒部川を遡る (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
例の秩父山脈の余波の山脚が没入している山のすそよりも原野が高くなっているところを見ると、成るほど薬研やげんのような山谷から来た人の眼には高原と云った感じがするかも知れない。
だが、こんな日でも、悠長なのは、そこここと退屈なく遊んでいる鹿と、お小納戸こなんどの隣りでする薬研やげんの音だった。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いや、昨日きのふも、はら/\したつけが、まだれてたから、をくつて、おまへさんがきにくいまでも、まだかつた。泥濘ぬかるみ薬研やげんのやうにかはいたんぢやあ、大変たいへんだ。
続銀鼎 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
何事ならんとせ集まった者共を前に置いて、先生は薬研やげんの軸をしゃに構え
大菩薩峠:22 白骨の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
旭の光は早川の西岸に眉を圧して聳え立つ白峰しらね山脈の中腹を照らしている。しかし薬研やげんの底のような低い谷間では、河上からおろす風が湯のぬくもりのさめない肌に、ひやりと感ずる程涼しい。
この家は、膏薬練こうやくねりを業としているので、母屋のほうでは、伜たちや男どもが、薬研やげんの音や薬練くすりねりをしていた。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
実際魔所でなくとも、大崩壊の絶頂は薬研やげん俯向うつむけに伏せたようで、またぐとあぶみの無いばかり。
草迷宮 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
しかし、先生はまたあらたまって、薬研やげんの軸を取り直し、真面まがおになって
大菩薩峠:22 白骨の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
右から石のごろごろした空沢が合してからは、花崗岩の大塊が次第に多く見られるようになる。間もなく河床が薬研やげんを立てたように傾くと、前方の空が急に低く垂れて、脚の下まで押寄せて来た。
秋の鬼怒沼 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
舶載はくさいのエレキテルだの、そうかと思うと、薬をきざ薬研やげんが見えるし、机の上には下手へた蘭字らんじが書きかけてあり、異人墓の石のかけらがその文鎮ぶんちんになっている。
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大楠おおくす老樫ふるかし森々しんしんと暗くそびえて、瑠璃るり瑪瑙めのうの盤、また薬研やげんが幾つも並んだように、わだかまった樹の根の脈々、いわの底、青い小石一つの、その下からも、むくむくとも噴出さず
半島一奇抄 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
右側に薬研やげん状の長い窪地が続いて内側には竹が少ない。
利根川水源地の山々 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
それに力をえて、彼が、城市では槐橋かいきょうのそばと聞いた、安道全の宅まで来てみると、折もよく、ちょうど店の一ト薬研やげんをすえて薬刻くすりきざみをしている彼の姿が見えた。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
遠近おちこち樹立こだちも、森も、日盛ひざかりに煙のごとく、かさなる屋根に山も低い。町はずれを、蒼空あおぞらへ突出た、青い薬研やげんの底かと見るのに、きらきらとまばゆい水銀を湛えたのは湖の尖端せんたんである。
瓜の涙 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)