“和泉:いずみ” の例文
“和泉:いずみ”を含む作品の著者(上位)作品数
吉川英治11
国枝史郎3
森鴎外2
山本周五郎2
斎藤茂吉2
“和泉:いずみ”を含む作品のジャンル比率
歴史 > 日本史 > 日本史2.4%
文学 > 日本文学 > 小説 物語0.7%
文学 > 日本文学 > 小説 物語(児童)0.3%
(注)比率=対象の語句にふりがなが振られている作品数÷各ジャンルの合計の作品数
平次はそれから、小傳馬町の加納屋に、堺の商人、和泉いずみ屋皆吉を訪ねて、最後の打ち合せをしたことは言ふまでもありません。
大蛇おろちの怪異という角書つのがきをつけて「児雷也豪傑ものがたり」という草双紙を芝神明前の和泉いずみ屋から出すと
自来也の話 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
夜十時過ぎになると書生も代診も交ってくじを引いて当った者が東三筋町から和泉いずみ町のその馬肉屋まで買いに来る。
三筋町界隈 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
その夜、津の茅原かやはらの父親と、和泉いずみ猟夫さつおの父とが頭を垂れて、姫のひつぎの前に坐っていた。
姫たちばな (新字新仮名) / 室生犀星(著)
和泉いずみの山奥の百合根ゆりねをたずさえる一人に、べつの男はの国の色もくれないのたいおりをしもべに担わせた。
姫たちばな (新字新仮名) / 室生犀星(著)
それからている我が子に名残なごりをしみつつ「いしくば訪ね来てみよ和泉いずみなる———」と障子へ記すあの歌。
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
提灯ちようちん行列のためのみには君ことわり給ひつれど、その他のことはこの和泉いずみの家の恤兵じゆつぺいの百金にも当り候はずや。
ひらきぶみ (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
それは和泉いずみ橋の東京医学校の預科に這入っている尾藤裔一びとうえいいちという同年位の少年であった。
ヰタ・セクスアリス (新字新仮名) / 森鴎外(著)
まして、住みなれた都を遠く去るほどな勇もなく、その流浪も、摂津、和泉いずみ、河内の辺にとどまっていた。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかもその酢売は和泉いずみの国と名乗り、薑売は山城やましろの国と名乗つて居る処を見ると、これらの処が酢または薑の産地であつた事もわかる。
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
谷中の家に病んでいた嫂が和泉いずみ橋に近い病院の方へ移ったのは、それから三四日後のことであった。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「中国を出て、摂津せっつ、河内、和泉いずみと諸国を見て来たが、おれはまだこんな国のあることを知らなかった。——そこで不思議といったのだよ」
宮本武蔵:03 水の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
おいの弥四郎と、南江備前守とで、もう一名は途中の和泉いずみから使い先へ加わって行った——これも一族の和田修理亮しゅりのすけ助家だった。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
舳々へさきへさきの、旗じるしを見ると、大和、紀伊、和泉いずみ摂津せっつ丹波たんば播磨はりまなどに、国別くにわけすることができる。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
葵はある大名華族の長女に生れた。西国の和泉いずみ高虎の一門で、葵の家はその分家だった。代々、木賀に豊饒な封地をもち、瓦壊前は鳳凰の間伺候の家柄だった。
金狼 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
浅草橋と和泉いずみ橋は幾度も渡って置きながら、その間にある左衛門橋を渡ったことがない。
秘密 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
ひとり高氏だけは、この正月も山野さんやですごした。伊賀路を捨て、大和、紀伊、和泉いずみ、摂津を股にかけての跋渉ばっしょうを、あえて続けて来たのである。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
和泉いずみ橋のほうへゆくらしい、街は灯もみえず、ひっそりと暗く寝しずまっていた。
せきまご六と号した兼元かねもとも、この和泉いずみの一家であった。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
大阪の町方には、河内かわち和泉いずみ、あの辺の田舎いなかから年期奉公ぼうこうに来ている丁稚でっちや下女が多いが、冬の夜寒よさむに、表の戸をめて
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
「今日は××さんに御飯御馳走になって、和泉いずみ式部の話聞いて来たわ。」
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
須田町から和泉いずみ橋、ずっと行って両国へ出たが、駕籠を拾うと走らせた。
前記天満焼 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
出際でがけ私は和泉いずみの国で生れて和泉丸いずみまるに乗りました。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
六町間の一角だけがことに堅気な竪筋なので、住吉すみよし町、和泉いずみ町、浪花なにわ町となると、よし町の方に属し、人形町系統に包含され、やわらいだ調子になって
「茅場町植木店、和泉いずみ屋という魚屋の主人、交際つきあいの広い先ずは侠客だてしゅう、ご貴殿方も名ぐらいはあるいはご存知かもしれませぬ、次郎吉という人物でござるよ」
善悪両面鼠小僧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
平次が行った先は、練塀小路の油屋、和泉いずみ屋嘉七の店でした。
さっき、伊織が山から見た海は、和泉いずみの浦であったのだ。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
正成は、即日ここを立って、まず京都へ向った。天皇にお別れをつげるために。——また正季は、なお河内、和泉いずみの遅れた兵を召集して、兵庫への途中で兄の正成と合流する約になっていた。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
和泉いずみ橋を渡って、神田明神社の脇の坂をあがり、林大学頭家だいがくのかみの馬場(そこには後に聖堂が建てられた)から本郷通りへ出てゆけば、門口まで駕籠かごを乗りつけることができた。
和泉いずみ国神明帳』には従五位下伯太椿社を出す。
——いまはこの人も河内、和泉いずみの守護職である。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
近時土屋文明氏は、「神之埼」をカミノサキと訓む説を肯定し、また紀伊新宮附近とするは万葉時代交通路の推定から不自然のようにおもわれることを指摘し、和泉いずみ日根郡の神前を以て擬するに至った。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
和泉いずみ町、高砂たかさご町、住吉すみよし町、難波なんば町、江戸町の五カ町内二丁四方がその一郭で、ご存じの見返り柳がその大門通りに、きぬぎぬの別れを惜しみ顔で枝葉をたれていたところから
あの南和の山岳地帯に、吉野時代を通じて朝廷を置かれた御不便は想像に余りあるが、よく長い期間を維持出来たのは、大和やまと伊勢いせ紀伊きい河内かわち和泉いずみがその勢力範囲であって
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
さてこうなって考えますと、叔母の尼さえ竜の事を聞き伝えたのでございますから、大和やまとの国内は申すまでもなく、摂津の国、和泉いずみの国、河内かわちの国を始めとして、事によると播磨はりまの国
(新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
「おお藪殿か。私は和泉いずみじゃ」
大鵬のゆくえ (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
簑田は曾祖父そうそふ和泉いずみと申す者相良遠江守さがらとおとうみのかみ殿の家老にて、主とともに陣亡し、祖父若狭わかさ、父牛之助流浪るろうせしに、平七は三斎公に五百石にて召しいだされしものに候。
興津弥五右衛門の遺書 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
むしろその小さな方から言って、壱岐いきの国の八方里半というのを筆頭に、隠岐おきの国が二十一方里、和泉いずみの国が三十三方里という計算を間違いのないものとすれば、第四番目に位する小国がすなわちこの安房の国であります。
大菩薩峠:18 安房の国の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
=兵力不足を常にかこちおる由であるが、信長としては、三河、近江おうみ和泉いずみ、紀州、そのほか根来衆ねごろしゅうなど、七ヵ国の在郷に、人力、兵糧、何事にもあれ、大坂寄手の勢へ与力よりきすべしと申しつけてある。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
和泉いずみなる
葛の葉狐 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
和泉いずみなる
葛の葉狐 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
ここで近畿きんき地方というのは便宜上、京都や大阪を中心に山城やましろ大和やまと河内かわち摂津せっつ和泉いずみ淡路あわじ紀伊きい伊賀いが伊勢いせ志摩しま近江おうみの諸国を包むことと致しましょう。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
摂津せっつ山城やましろ和泉いずみには、からくもお味方が点在しておるが、一歩播州ばんしゅうへ入ってごらんあれ。織田家になびくか、毛利につくか、などと考えている者は恐らくこの黒田官兵衛ぐらいなものでしょう。まず悉く毛利与党です」
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
神田柳原和泉いずみ橋の西、七百二本たつや春青柳あおやぎこずえよりく、この川の流れの岸に今鎮座ちんざします稲荷いなりの社に、同社する狸の土製守りは、この柳原にほど近きお玉が池に住みし狸にて、親子なる由、ふと境内にうつされたる也。
江戸の玩具 (新字旧仮名) / 淡島寒月(著)
——それから、和泉いずみの南宗寺の住持にあげられたり、また、勅命をうけて、大徳寺の座主ざすにおされたこともあるんだそうですが、大徳寺は、たった三日いたきりで飛びだしてしまい、その後、豊臣秀頼さまだの、浅野幸長よしながさまだの、細川忠興さまだの
宮本武蔵:02 地の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この時代の珍重すべき武鑑は——もはや武鑑とはいわず『藩銘録はんめいろく』と題されているのだが、わたしの手もとにあるのは明治三年庚午こうご初春荒木氏編輯へんしゅう、御用書師和泉いずみ屋市兵衛、須原屋茂兵衛共同出版の、袖珍しゅうちん十九丁ものである。
武鑑譜 (新字新仮名) / 服部之総(著)
「さようでござります。今日こんにち入船にゅうせんは大和の筒井順慶つついじゅんけい和泉いずみ中村孫兵次なかむらまごへいじ茨木いばらき中川藤兵衛なかがわとうべえ、そのほか姫路ひめじからも外濠そとぼりの大石が入港はいってまいりますはずで」
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そこで仰せられるのには「自分は日の神の御子として、日に向つて戰うのはよろしくない。そこで賤しい奴の傷を負つたのだ。今から𢌞つて行つて日を背中にして撃とう」と仰せられて、南の方から𢌞つておいでになる時に、和泉いずみの國のチヌの海に至つてその御手の血をお洗いになりました。