つぶや)” の例文
私は、食事も何も忘れて、油煙ゆえん臭い押入れの中で、不思議なせりふをつぶやきながら、終日幻燈の画に見入っていることさえありました。
湖畔亭事件 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
惣助は母者人の寝相を見ないようにして、わざと顔をきつくそむけながらつぶやいた。これは太郎の産みの親じゃ。御大切にしなければ。
ロマネスク (新字新仮名) / 太宰治(著)
又四郎はここでもういちど雪海和尚をうらめしく思い、「参」つなぎの処世訓に疑惧の念をいだいて、独りこうつぶやいたくらいであった。
百足ちがい (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
夜着のえりに手を懸けたまま、長い間蒲団の上に起きて坐っていた。そして、口の中では、絶えず「籾と糠、籾と糠!」とつぶやいていた。
四十八人目 (新字新仮名) / 森田草平(著)
半円札でしたか、一円札ですか。なぜ銭入に入れて行かなかったろう、せめてたもとにでも入れて行けばよいのにと、祖母がつぶやきました。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
「よく降る雨だ。まだやまぬの」丈左衛門は所在なさに空を見上げてつぶやいた。「この雨の中を逃げた鷹はどこにどうしておることぞ」
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
すると誰やら後ろのほうから、妙な売り声で、呼ばわるともなく、つぶやくともなく、ぼそぼそ言いながら、くッついてくる男があった。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして彼が或時詩の中でつぶやく、「詩の拙い奴は想像力の発達してることで分る。」(この言葉は少し覚え違えてるかも知れない。)
高橋新吉論 (新字旧仮名) / 中原中也(著)
そこで山賊はそれ以来花がきらいで、花というものは怖しいものだな、なんだか厭なものだ、そういう風に腹の中ではつぶやいていました。
桜の森の満開の下 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
私は半分寝床から体をひ出しながら、口をとがらせながら、つぶやくやうに云つた。さう云ふ私を、兄は非難しようとさへしなかつた。
イボタの虫 (新字旧仮名) / 中戸川吉二(著)
「まるで昨日のことみたいだ」やや間を置き、男はつぶやいた。「たってみると、早いもんだな。あっという間に、もうすぐクリスマスだ」
一人ぼっちのプレゼント (新字新仮名) / 山川方夫(著)
「好いわね。どうせ畑へはわし一人出りやすむんだから。」——お民は不服さうにお住を見ながら、こんなあてつこすりもつぶやいたりした。
一塊の土 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
そしてシンプソン病院を辞去じきょしたのであるが、彼は寒夜かんやの星をあおぎながら、誰にいうともなく、次のようなことをつぶやいたのだった。
東京要塞 (新字新仮名) / 海野十三(著)
「あら、何か忘れものをしていったよ。……何て、まあ、そそっかしやさんなんだろう。……」おばさんはそう口のうちでつぶやきながら
三つの挿話 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
一体みんな何をしてゐるんだらう、まさか軒並みに夜逃げしたわけでもあるまいのに、とつぶやきたくなるほど人の子一人ゐなかつた。
医師高間房一氏 (新字旧仮名) / 田畑修一郎(著)
裏戸口にもう白みを見せている梅の木の下で、寒そうに肩をすぼめた筒井は心の中でそっとつぶやいて、親切な貞時親子、同輩にわかれた。
津の国人 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
「なるほど。それじゃ、後妻に来られたわけですね。あの美しさで、あの若さで。」と、信一郎は事ごとに意外に感じながらそうつぶやいた。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
「この暑いのに、女の子までも畑に出して百姓なんかさせられちゃたまらんなあ。第一着物がやけて仕様がない」とつぶやくように言って
にんじん(うるみ声で、つぶやくように)——おお、び、び、びとくよ……なん……なんじは……ただ、ひとつの……な、なにすぎず……。
にんじん (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
「だが、犯人は標的を射損じたのだ。それが僕には、何より不思議に思われるんだがね」と、爪を噛みながら法水は浮かぬ顔でつぶやいた。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
たかえ」それでも卯平うへい呶鳴どなつてたが返辭へんじがない。卯平うへいくちうちつぶやいて裏戸口うらとぐちまはつてたら其處そこうちから掛金かけがねかゝつてる。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
ひとりで部屋でお茶を飲んでいる時とか、道を歩いている時などに、だから彼はふとつぶやいています。ちょいと呪文じゅもんのような具合なのです。
Sの背中 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
源吉は、もう今のつぶやきを忘れたように、右手でブレーキバルブを握ったまま、半身を乗出すように虚黒ここくな前方を、注視していた。
鉄路 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
彼女の継母ままははは、祖父のこのつぶやきを、快く聞き流しながら、背中に小さな子供を不格好に背負い込んで囲炉裏いろりで沢山の握り飯を焼いていた。
緑の芽 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
「見よ、あの通り彼女の顔は晴やかに輝いて居るではないか。あの通り美しく無邪気で天使の様に尊いではないか」彼は心の中でつぶやいた。
偽刑事 (新字新仮名) / 川田功(著)
「うまいこと云ふ」とつぶやきながら笑つて牧瀬は、すこし歳子ににじり寄り、とうで荒く編んだ食物かごの中の食物と食器をき廻した。
夏の夜の夢 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
彼の友人は、彼に期待を持たせるように、そうつぶやくのだった。だが、そういう明るい社会が彼の生存中にやって来るのだろうか。
死のなかの風景 (新字新仮名) / 原民喜(著)
と、隠居たちが派手なしきたりや、お鯉自身もどんなに困っても昔時むかしの通りだということを、どうしようもないようにつぶやくように話した。
一世お鯉 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
きいて戸の外の退屈男は小さくつぶやきました。しかし、穏かでないのは京弥です。きき堪えられないように身悶えながら色めき立ったのを
宇古木兵馬は逃げ惑ふ玉枝を引寄せ、その細腰を抱いて、顏と顏を摺り寄せるやうに、見えぬ目を見張つて、斷末魔の迷ひをつぶやくのです。
「……ほんとに済みませんでした。これから気をつけますから、どうか堪忍して下さい。」お銀のつぶやく声が、時々耳元に聞えた。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
しかし、その途上でも、まだすっかりは昔の病のけ切っていない悟浄は、依然として独り言の癖をめなかった。かれつぶやいた。
悟浄出世 (新字新仮名) / 中島敦(著)
と一足出てまたつぶやいたが、フト今度は、反対に、人をいましむる山伏の声に聞えた。なかれ、彼は鬼なり、我に与えし予言にあらずや。
星女郎 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
我家わがやにかへり、かなたこなたにつぶやくさまさながら幸なき人のせんすべしらぬごとくなれども、のち再びいづるにおよびて 一〇—
神曲:01 地獄 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
腰から煙草入れをとり出すと一服けて吸いこんだが、こんどは激しくせて咳き入りながら、それでも涙の出る眼をこすりながらつぶやいた。
麦の芽 (新字新仮名) / 徳永直(著)
「大きななりをして、胆力のないやつばかりだ。」そこらにいる者をさげすむように、腹の中でつぶやいた。彼の腰はすわってきた。
パルチザン・ウォルコフ (新字新仮名) / 黒島伝治(著)
松次郎が胸につかえたのでこぶしでたたいていると、おやあいつ、お茶を持って来なかったんだな、いいつけといたのに、とつぶやいた。
最後の胡弓弾き (新字新仮名) / 新美南吉(著)
くびをすくめながら、くちなかでこうつぶやいた春重はるしげは、それでもつめ煮込にこんでいる薬罐やかんそばからかおはなさずに、雨戸あまどほうぬすた。
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
聞て重四郎成程々々なるほど/\好氣味よいきみなり然し此まゝかうしても置れまいと兩人つぶやき居る折から此物音に驚きて隱亡をんばう彌十ひげ蓬々ぼう/\かみ振亂ふりみだし手には鴈投火箸がんどうひばし
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
「こっちの家はほんとに狭くてこんな時にはまったく困ってしまう。第一どこに何がしまってあるんだか少しも分らない」などとつぶやいていた。
地球儀 (新字新仮名) / 牧野信一(著)
或る日、ナポレオンは侍医をひそかに呼ぶと、古い太鼓の皮のように光沢の消えた腹を出した。侍医は彼のそばへ、恭謙な禿頭はげあたまを近寄せてつぶやいた。
ナポレオンと田虫 (新字新仮名) / 横光利一(著)
「親類と云ふものは俺には手足纏ひだ。唯それだけだ。」伯母の病気が危篤だと云ふ代筆の手紙を手にして彼はかうつぶやいた。
公判 (新字旧仮名) / 平出修(著)
「成程おひるだ。」とつぶやき、「ちかの腹のツたのが當前で、おれの方が病的なんだ。一體俺の體は何故なぜ此樣こんなに弱いのだらう。」
青い顔 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
そして今ここに居る自分が本当か、旅をした自分が本当かと夫人に問い、『ああ夢の世の中』、とつぶやいて寂しげに嘆息した。
「橋本さん」と言えば、可成かなり顔が売れたものだ。「しばらく来ないな——」と正太はつぶやきながら、いくらか勾配のある道を河口の方へ下りた。
家:02 (下) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
その夢裡むりの変化が、両手で面をくして、恐怖に五体がすくみ、声を出すことも出来ぬ長崎屋を、嘲けるが如く、追いかけて、つぶやくのだった。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
この材と質とをもってせば天下に嬌名きょうめいうたわれんこと期して待つべきに、良家の子女に生れたるは幸とや云わん不幸とや云わんとつぶやきしとかや。
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
「もうこれでよし」と、自信ありげに、ひとつぶやいた。ややあって、陳君の屍骸の白蝋はくろうのような顔に、一抹いちまつの血がのぼると
怪奇人造島 (新字新仮名) / 寺島柾史(著)
こんな時、彼は自分を奇妙な気持でいたわりながら、華かな群集の一団でも眺めるように、瞬間的にではあるが彼自身を顧みてつぶやくのであった。
あめんちあ (新字新仮名) / 富ノ沢麟太郎(著)
片足かたあし煙突えんとつうへしました、『どんなことがあつてもうこれがとまりだらう、これでうなるのかしら?』とつぶやきました。
愛ちやんの夢物語 (旧字旧仮名) / ルイス・キャロル(著)