一時いっとき)” の例文
このことは、ほかの人にとっては、気のつかないことでしたが、七兵衛にとっては一時いっとき、力抜けのするほど案外のことでありました。
大菩薩峠:31 勿来の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
そうして、他人の中でまれて来れば、人間も少しは強くなるに相違ない、腕もあがるに相違ない。一時いっときは辛くとも当人の末の為になる。
心中浪華の春雨 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
「いや、そのことではないようでございます。とにかく、世の中が一時いっとき落着くまででも、鳥羽殿にお移り頂きたいという父の願いでして」
一時いっときたたぬ中に、婢女ばかりでなく、自身たちも、田におりたったと見えて、泥だらけになって、若人たち十数人は戻って来た。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
夫人 (きっとなる)口惜くやしい、もう、せめて一時いっときひまがあれば、夜叉ヶ池のお雪様、遠い猪苗代の妹分に、手伝を頼もうものを。
天守物語 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
電信機発明以来、べっして遠方の事もすみやかに相わかり、右器械を用い候えばワシントンまで一時いっときの間に応答出来しゅったいいたし候。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
それがこの最後によって一時いっときなりとも美しく燃え上がるだろう。それでいい、それで自分は満足だ。そう心から涙ぐみながら思う事もあった。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
もし彼等が幻でなかったなら、自分は彼等と互に慰め合って、せめて一時いっときでもこの寂しさを忘れたい。しかしそれはもう、今になっては遅かった。
首が落ちた話 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
何うもお前の手で育てさせては為になるまいし、今一時いっときは可愛そうな気もしようが、かえって他人の手に育つが子供の為にもなろうと思われるよ
……そういうわけでエリネが私を起しにまいりました時は、服毒後一時いっとき余りもたった頃のことであろうと思われます。
ウニデス潮流の彼方 (新字新仮名) / 橘外男(著)
で、おっしゃるには、——今日こんにちは、お神さん。その辺を通りかかったので、ちょっとお寄りしましたの——ってね。わたしは一時いっときぽっとなりましたよ。
水玉という草に水をうって、涼しくかけたものだが、みんな一時いっときのもので、赤くひからびるまではかけていない。じきにかけかえる手数はいとわなかった。
省作はしばらくただ夢心地であったが、はっと心づいて見ると、一時いっときもここにいるのが恐ろしく感じて早々そうそう家に帰った。省作はこの夜どうしても眠れない。
隣の嫁 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
たいなくとも玉味噌たまみその豆腐汁、心同志どし安らかに団坐まどいして食ううまさ、あるい山茶やまちゃ一時いっとき出花でばなに、長き夜の徒然つれづれを慰めて囲いぐりの、皮むいてやる一顆いっかのなさけ
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
おいらのまえじゃ、はだまでせて、うつさせるおまえじゃないか、相手あいてだれであろうと、ここで一時いっとき、茶のみばなしをするだけだ。心持こころもよくってやるがいいわな
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
一時いっときはほんに日本全国上下をあげてなびいたくらいえらい勢いじゃったもんじゃ。信長のぶながが本能寺で討たれたころにゃ三十万からの生粋きっすいの信者がおったそうな。
「お前一時いっときに入らん方がいいよ。ああどうして、ここは湯が強いんだから、そろそろ体を慣らさんけりゃ。」
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
私たちの前で天と地が裂けて、神様のお眼の光りと、地獄の火焔ほのお一時いっときひらめき出たように思われました。
瓶詰地獄 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
この人も着物ないはずやのんに縞銘仙しまめいせん単衣ひとえを着てキチンとしてましたのんは、あとで聞きましたのんですが宿の男衆おとこしゅの着物を一時いっとき借ってましたんやそうです。
(新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
が、文名のもたらし来る収入はというといくばくもなかったので、感嘆も満足もただの一時いっときであった。
二葉亭四迷の一生 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
据え付けなくッちゃいけませんわね。そうすれば壁も乾くでしょうし、ほんとうに、あたし、朝から晩まで、一時いっときだって体があったまったことがありゃアしないんですのよ
初雪 (新字新仮名) / ギ・ド・モーパッサン(著)
一時いっときに枯れ死して、わざわざ、ふてくされに、汚いあくたのようなその姿をさらしているのであろう。
曇天 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
投六 あがって一時いっとき寝るがええ。これに懲りるがええですぞ、少しは。全体が無法すぎるて。
斬られの仙太 (新字新仮名) / 三好十郎(著)
しばらくも安らかなることなしと、どうぢゃ、みなの衆、たゞの一時いっときでも、ゆっくりと何の心配もなく落ち着いたことがあるかの。もういつでもいつでもびくびくものぢゃ。
二十六夜 (新字旧仮名) / 宮沢賢治(著)
する婆さんどすなあ。ただ一時いっとき金貰うたかて見込みのない人やったらしかたがないやおへんか
霜凍る宵 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
月見つきみというは六つの胡桃くるみを十二に割り一時いっときの火にくべて一時にこれを引き上げ、一列にして右より正月二月と数うるに、満月の夜晴なるべき月にはいつまでも赤く
遠野物語 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
「これはそうしなければならないのだ、実際、善良な目的のためには、そうしなければならないのだ」などと、たといほんの一時いっときだけでも、自分を慰めもし説教もするだろう。
ここに演じまする一齣いっしゃくの劇曲は、暗い、苦しい一時いっときの鏡中のすがたをばお目にかけるのです。
更に錦の飾られているへやの窓という窓に、秘密の装置を施して、ちょっとでもこれに触れると、家中の電燈が一時いっときにパッとともり、同時に電鈴がけたたましく鳴りひびく仕掛にした。
男は重苦しい宿酔に圧し潰される思ひで一時いっときも早く部屋を脱けると冷酷な山間を葬列のやうに黙りこくつて彷徨ふのであるが、所在がなくてほろ苦くて、先登が不意に枯枝を殴り落すと
小さな部屋 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
閣下等自身のため、たとえそれがこの自分のためでなくとも、一時いっときをも失わぬように、——閣下よ、そして——大将よ、そして——男爵よ。(閣下等は上のブランクを自らうずめるがよい)
それにぼっちゃんには、ヤッローの言うことが、ちっともわかりません。こうなっては、一時いっときのゆうよもならないので、ヤッローは、すくいをもとめに、いそいでどこかへ飛んでいきました。
「私、今度こそ本当に、もう我慢が出来ませんわ。私は怖いのです。ごらんなさいな。こんなに身体が震えていますのよ。もうもうこんな恐しい島になんか、一時いっときだって我慢が出来ませんわ」
パノラマ島綺譚 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
ついには大坂の商賈しょうここういけ、加島屋、辰巳屋などいえるものどもに借財して一時いっときの乏しきを救うといえども、またその利息返償に一層の苦を増し、ついに窮迫、せんかたきて、家中の禄をかりあげ
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
「おまえ達は職人だから休めといわれたんじゃ、よけいに休むことはできませんや。旦那の一所懸命は、お役人の一時いっとき仕事ってやつで、こちとらの眼から見ると、いちばんよくねえくちですぜ」
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「おい、いくらだ。」「おい。」で、一時いっときに真っ黒にたかってしまった。
フレップ・トリップ (新字新仮名) / 北原白秋(著)
俺はまた岬の下へ往って、昨夜ゆうべ女子おなごはいないだろうかと思って、その辺を見廻したが、もうその晩はいなかった、俺は、一時いっときあまりもそこに立っているうちに、むすめの許に往くのがいやになったので
宇賀長者物語 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
わたし自身にとっても、この一時いっときはすでに消え去った思い出なのです
一時いっとき遅疑ちぎする事ならねば客を家に残して広海子爵のもとおもむけり。
食道楽:秋の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
それを考えると、紀久子は一時いっときもじっとしてはいられなかった。
恐怖城 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
津軽の春は、ドカンと一時いっときにやって来るね。
春の枯葉 (新字新仮名) / 太宰治(著)
ここに至ってお銀様は、一時いっとき恐怖の念がいずれへか飛び去って、眼の前に突きつけられた伯耆の安綱の刀に、ずっと吸い寄せられました。
大菩薩峠:14 お銀様の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「どうしても、身を投げると仰有るのでしたら、千尋ちひろの底までもお供いたします。一人残されては、一時いっときたりと生きようとは思いませぬ」
また一時いっとき廬堂いおりどうを廻って、音するものもなかった。日は段々けて、小昼こびるぬくみが、ほの暗い郎女の居処にも、ほっとりと感じられて来た。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
片手で袖をつかんだ時、布子の裾のこわばった尖端とっさきがくるりとねて、ばばあの尻が片隅へ暗くかくれた。かまどの火は、炎を潜めて、一時いっときに皆消えた。
古狢 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
そして一時いっときも早くこんな息気いきづまるように圧迫して来る二人ふたりの間の心のもつれからのがれるすべはないかと思案していた。
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
一時いっときも油断をなさらない真面目まじめ精神こころの旦那様が、こうした御顔でいらっしゃるということは、不思議なようでした。
旧主人 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
それから一時いっときばかりたったころです。あの怪しい行脚あんぎゃ坊主ぼうずは、ちょうど雪の止んだのを幸い、小川通おがわどおりをくだって行きました。これが阿媽港甚内あまかわじんないなのです。
報恩記 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
驚愕と不安の一時いっときが過ぎて——唇から血が出ているではないか——わたし自身も彼と同じようにそう思った。名人の腕前に二人ともおおいに面目を施した。
控えてれ、遣る遣らぬは当人同士の話にするがい、わしわしで文治郎殿と話をする、のう文治郎殿、さアお返し申すと云ったら一時いっときも待たぬ、すみやかに返す
業平文治漂流奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)