すべ)” の例文
併し今日は雨で道がすべって中々困難である。十五人は道ばたの丈長い萩叢や、菅原にその頭までが埋もれて体一面びしょ濡れである。
女子霧ヶ峰登山記 (新字新仮名) / 島木赤彦(著)
あれほど多い仕え女の間を抜け出すことの困難さを、あぶらをながすようにすべり出したはぎ野の大胆さは、図抜けた庭わたりだった。
野に臥す者 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
低い煉瓦塀に、泥足のすべった跡が歴然として残っている。すぐ向うに裏門があるが、そこには人目のあることをおそれたのであろう。
偉大なる夢 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
見てみるがいい、気味の悪いことがあるものか、血だ、血だ、血ですべってはいけない、刃物を取ってしまえ、刃物にさわると怪我をする
大菩薩峠:06 間の山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
何故とはなく全身に凝縮ぎょうしゅくした感じが起って、無意識に軍刀のつかを押え、宇治は堤の斜面をすべりながらかけ降りた。高城がすぐ続いた。
日の果て (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
懐の雪踏がすべっておちると、間の悪い時には悪いもので、の喧嘩でも吹掛ふっかけて、此の勘定を持たせようと思っている悪浪人わるろうにんの一人が
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
と、飛び交ふ螢の、その一つが、スイと二人の間を流れて、宙に舞ふかと見ると、智恵子の肩をすべつて髪に留つた。パツと青く光る。
鳥影 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
小石まじりの土が、どての上から少しばかり、草間をすべってくずれて来た。人々が振り仰ぐと、ちらと、蝙蝠こうもりのような人影がかくれた。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すくなくともこの事件が、前記の通りの状態で勃発してのち、如何なる径路をんで吾輩の手にズルズルベッタリにすべり込んで来たか。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
表町の外食券食堂で昨日あたり一度見たやうな婦人だと思つたが、さう思つたはずみに、私はつい口をすべらせてしまつたのである。
老残 (新字旧仮名) / 宮地嘉六(著)
其處そこで、でこぼこと足場あしばわるい、蒼苔あをごけ夜露よつゆでつる/\とすべる、きし石壇いしだんんでりて、かさいで、きしくさへ、荷物にもつうへ
二た面 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
呼吸をめていた、兵さんは、ウンとうなりながら、ほとんど奇蹟きせき的な力で腰をきった。が、石は肩に乗り切らないで背後うしろに、すべった。
あまり者 (新字新仮名) / 徳永直(著)
其処に注意を集めやうとしてゐるにもかゝはらず、Y氏が丁寧につけてくれる訳も、とかくに字句の上つ面をすべつてゆくにすぎなかつた。
乞食の名誉 (新字旧仮名) / 伊藤野枝(著)
けふは元日だと思つて床からすべり出た。冷い水で髭を剃り、朝食をぐんぐん済まして、三十八番の電車に乗つた。電車はまだすいてゐる。
接吻 (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
若い男はすべりおちた膝掛を直してやって、細君の眼が疲れぬように、ランプの蔽いをおろしてから、ちょいと彼女の手を撫でて
きいたふうな口をすべらしたなどともとより考えているのではない。それどころではなく親切の心のつもりでいっぱいなのである。
現代茶人批判 (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
お茶の水から本郷へ出るまでの間に人が三人まで雪ですべった。銀行へ着いた時分には自分もかなり不機嫌になってしまっていた。
泥濘 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
氷河は勿論だが、雪すべりが山側を磨擦する時は、富士山の剣丸尾けんまるび熔岩流のように、長い舌の形によって、そのめた痕跡が残る。
高山の雪 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
対岸の商船学校から、オールをそろえて短艇ボートぎ出してくるのが、家鴨とは反対に隅田川すみだがわの上流の方へむかってすべるように行く。
朱絃舎浜子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
今まで長く凭れてゐた自分の肌の温みを持つた柱から、すべり落されるやうな頼りなさが、みのるの心を容易に定まらせなかつた。
木乃伊の口紅 (旧字旧仮名) / 田村俊子(著)
枝を離れた一枚の木の葉が、流れに漂う小舟のように、その重くよどんだ空気の中を落ちもせず、ひらひらとすべっていくのを見た。
星座 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
橋は雨で一面にれている。高下駄たかげたすべりそうだし、橋板の落ちている所もある。けたの上を拾って歩くと、またしても足許に小僧が絡む。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
先刻さつき土手どてときほりとこすべつたんですが、ときかうえによごしたんでせうよ」とおつぎはどろつたこしのあたりへてた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
「アデェル、あそこの畑を御覽。」もう私共はソーンフィールドの門を出て、ミルコオトへの坦々たん/\とした路を輕くすべつて行くのであつた。
即ち、当夜の主人公たるD外務大臣が、胸部をピストルで打たれて、椅子からすべり落ち、床の上に仰向あおむきに斃れていたのである。
外務大臣の死 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
翌日朝早く案内者一人し二人きおいにきおいて滝壺に下る。岩崩れ足すべる。手に草をつかみてうしろ向きになりて少しずつ下り行く。
滝見の旅 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
すべりこけそうになってもう一つの足を突き入れ、少しずつはいって行った。きたない溝川なので成るべく深くまではいらねばならなかった。
土城廊 (新字新仮名) / 金史良(著)
で、もしこれが漫画なら、ここで主人公は椅子からすべりおちて、さしずめその頭から無数の星が飛び出ていようというところ。
字で書いた漫画 (新字新仮名) / 谷譲次(著)
ちょっとすべってけがをし、引返し最後にこの谷を登るとわけなく道がわかってあんなに迷ったことが馬鹿らしいくらいでした。
単独行 (新字新仮名) / 加藤文太郎(著)
道は細く、山からすべり落ちた角のある石の片けが、土を見せない。急な下り道では、足は石車に乗って、心ならずも数間を走らねばならぬ。
白峰の麓 (新字新仮名) / 大下藤次郎(著)
戸は彼の思つた通り、するりとしきゐの上をすべつた。その向うには不思議な程、空焚そらだきの匂が立ちめた、一面の闇が拡がつてゐる。
好色 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
何しろ深い谿間たにあいのじめじめしたところだから、ずるずる止め度もなく、すべって、到頭深い洞穴あなのなかへちてしまったもんですよ。
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
三斎の居間をすべって、老女の導くままに、冷たい、薄暗い長廊下を踏んで、やがて、木犀もくせいの匂う渡りを、離れの方へと辿たどっていくのだった。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
屋根が軽くて骨組の丈夫な家は土台の上を横にすべり出していた。そうした損害の最もひどい部分が細長い帯状になってしばらく続くのである。
静岡地震被害見学記 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
「けれども私、奥さんに済まないことがございますのよ。つい口がすべって、奥さんの御伝授ですって申してしまいましたの」
髪の毛 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
すべり放題に辷つた。事前にこれを察知したのは流石に修養のたまもので充分敬服に堪へないが、それでも自分は何べんとなくひつくり返つた。
盗まれた手紙の話 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
折から雲間を洩れた月光を湖面一杯に浴びて二艘の端艇ボートは矢の様に水上をすべる。警官隊の舟は軽快な上に漕手こぎては二人である。
水晶の栓 (新字新仮名) / モーリス・ルブラン(著)
ぼろ靴のおかげで、私がすべったら、皆は私をわらうのよ。私は泥まみれになってるのに、皆はげらげら笑ってるのさ。エミリイ、わかったかい?
紀伊家の相当な人物らしいなどと、ちょっとでも口をすべらせたら、兄は「おれがゆく」と云いだすに定っているからである。
風流太平記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
と、スーと戸の開く音! 廊下をすべって来る足音がする。と、二人の牢屋の前へ、ぼんやり黒く人影が立った。牢内をうかがっているらしい。
任侠二刀流 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
それに漆喰がれて、すべて丸身をもった形で、風のすべりがよく、当りが強くなかったためでもありましょうが、この大仏が出来てから間もなく
攀縁性のつる植物の緊密なしばりで、おそらく倒れずにそのまますべるのだろう——と考えたが、それも瞬時に裏切られた。
人外魔境:01 有尾人 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
黒橇くろそりや、荷馬車や、徒歩の労働者が、きゅうにおりから放たれた家畜のように、自由に嬉々として、氷上をすべり、ひんぱんに対岸から対岸へ往き来した。
国境 (新字新仮名) / 黒島伝治(著)
それは、屋根からといをつけて、その中に雪を入れて下へすべらせるのである。樋はななめに遠くまでやっておき、その樋の内側に蝋をひいておくのである。
(新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
危険なる場合には基に達する二間ばかり前より身をたおしてすべりこむこともあるべし。この他特別なる場合における規定は一々これを列挙せざるべし。
ベースボール (新字新仮名) / 正岡子規(著)
しかし、それをよく見る間もなく車はすべっていったとき「これは?」と梶が右側のを訊ねると「これはまだジャパンの続きです」とヨハンは答えた。
罌粟の中 (新字新仮名) / 横光利一(著)
だんだんそれをことわっているうちに、そばにいた兄が弟は仇討の大望を抱いているから、お望みに応じかねるのだと、うっかり口をすべらしてしまった。
四十八人目 (新字新仮名) / 森田草平(著)
そして、長庵と顔が合って、あッ! と両方が驚いた拍子に、お六の手から銚子ちょうしすべり落ちて、……途端に、あわただしい跫音あしおとが廊下を飛んで来た。
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
んでもない。そんな、ガラスのような眼は、真ッ平です」陳君は、ベッドをすべり落ちて、逃げ仕度をはじめた。老人は、じわじわと近寄って来て
怪奇人造島 (新字新仮名) / 寺島柾史(著)
一方は紫の陰影をしかもまた旋転光の数かぎりなき細かな輪の線をすべらしながら、目にも留らぬ速さで廻っていた。
フレップ・トリップ (新字新仮名) / 北原白秋(著)