調ととの)” の例文
謙譲のつまはづれは、倨傲きょごうえりよりひんを備へて、尋常じんじょう姿容すがたかたち調ととのつて、焼地やけちりつく影も、水で描いたやうに涼しくも清爽さわやかであつた。
伯爵の釵 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
秋の水の面、黄金色の葦、その周囲に紅葉した桜の枝と、遠く沈んだ緑色の杉叢、軽い、水彩画風の陵丘の姿が、調ととのった遠景となる。
だが、そうしてようやく内治が調ととのったと思うと、こんどは国外からの圧迫がひしひしと、この一小国にも、旗幟きしの鮮明をうながして来た。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
葉子の郷里から上京して来たお八重は顔容かおかたちもよく調ととのって、ふくよかな肉体もほどよく均齊きんせいの取れた、まだ十八の素朴そぼくな娘だったので
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
たまに買い手があっても、値段の相談が調ととのわない。宮崎は次第に機嫌を損じて、「いつまでも泣くか」と二人を打つようになった。
山椒大夫 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
実はその日、葉子は身のまわりの小道具や化粧品を調ととのえかたがた、米国行きの船の切符を買うために古藤を連れてここに来たのだった。
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
もし大毒を調ととのえんとなら、虎鬚一本をたけのこに刺し置くと鬚がけむしに化ける。その毛また糞を灰に焼いて敵に服ませるとたちまち死ぬと。
普通からいうとなにか一事業を起さんとするにはまず金が資本であると、こう決めて外国行にもまずかね調ととのえてから行くとするのである。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
尋常ならぬ時勢をとくと会得えとくして今般の費用を調ととのえるよう、よくよく各村民へ言い聞かせてもらいたいとの意味が書いてあった。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
よっぽど考えることがあったのだろう。小さい鏡を出して髪かたちを調ととのえると、また昨夜のようにトランクにひじをついて鼻をすすっていた。
田舎がえり (新字新仮名) / 林芙美子(著)
といって断ったが、ともかくも調ととのえて持って来させた。けれども、彼女ははしも着けようとせず、餉台の向う側に行儀よく坐ったままでいる。
黒髪 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
その後よき関白ありて関東と御一和の事も調ととのい候わば、その節妙なり。その内事も日々禍深く相見え候に付き、好機会の出る事もあらん。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
それから手早に雀を拵え、小皿に盛るほどもない小鳥を煮て、すべての夕食ゆうげ調ととのえた。病母も火のはたへ連れ出して四人が心持よく食事をした。
新万葉物語 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
どこかで若い女の忍び泣きの声が妙にこもった低い調ととのい調子でこの人気のない山の奥からポソポソと聞えてきたのであった。
逗子物語 (新字新仮名) / 橘外男(著)
女史は落胆して、この上は郷里の兄上を説き若干じゃっかんを出金せしめんとて、ただ一人帰郷のに就きぬ、旅費は両人の衣類をてんして調ととのえしなりけり。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
すでに留学生たちは、イギリスとフランスと二国の大学へ振りあてられることになって、着々出発の準備を調ととのえている。一九一二年の三月だった。
戦雲を駆る女怪 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
印をす事はどうも危険ですからやめたいと思います。しかしその代り私の手で出来るだけの金を調ととのえて上げましょう。
道草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
久〻の訪問に手土産一つも調ととのひかねて、きまり悪さに胸を掻きむしられる思ひで、霜の朝をその親類へと辿り着いた。
名工出世譚 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
自分の心にたずねて人に無礼を加うる念が毛頭もうとうなければ、動作の調ととのわぬことなどは、人もゆるすであろう、また自分の良心も必ずこれをゆるすものである。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
気の短い道庵は、お仕着せや、そのほか旅の用意をその場で調ととのえて、それを風呂敷に包んで、米友に背負せおわせました。
大菩薩峠:21 無明の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
六袋和尚は六日先んじておのれの死期を予知した。諸般のことを調ととのえ、辞世じせいの句もなく、特別の言葉もなく、あたかも前栽へ逍遥に立つ人のように入寂にゅうじゃくした。
閑山 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
じみなる着ものを俄の詮索、見苦しからず調ととのへていざとばかりその夕ぐれに浅木様を、出立たたせましたまひたる後は。
葛のうら葉 (新字旧仮名) / 清水紫琴(著)
藤吉と彦兵衛は意味ありげに顔を見合ってしばらく上框に立っていたが無言のうちに手早く用意を調ととのえると、藤吉がさきに立って表の格子戸に手を掛けた。
そこで旅装を調ととのえ、日を期して出発することになり、中堂に酒を置いて、母親と愛卿の三人で別れのさかずきをあげた。
愛卿伝 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
親も知らないうちに自然に調ととのえられる遊び道具、これを子どもは「おもちゃ」というものの中に入れていない。
こども風土記 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
調ととのわない複雑、出来そくなった変化、メチャメチャな混乱——いかにも時代にふさわしい異色を示している。
明治美人伝 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
やがて全軍は隊伍を調ととのえ、粛々と前進を続けて行く。三留野みどの、坂下、落合川、三つの宿を打ち越えて目差す中津川へ来た時には夜ももう初夜を過ごしていた。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
信濃へはよく飛騨女が流れて這入って来た、飛騨女は皆色が白く、顔立ちが調ととのっている。私の郷里に近い町にはくるわがあって、その廓へは飛騨女が多く来ていた。
木曽御嶽の両面 (新字新仮名) / 吉江喬松(著)
亜墨利加アメリカ船、薪水しんすい、食糧、石炭、欠乏の品を、日本人にて調ととのへ候だけは給し候為、渡来の儀差し許し候」
外相げそうは世人と変わらず、ただ内心を調ととのえ行く人こそ、真の道心者どうしんじゃと呼ばるべきであろう(随聞記第二)。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
懸案になっている井谷への餞別せんべつの品を、何はいても調ととのえてしまわなければと、彼方此方の飾窓をのぞいて歩きながら、洋行する人にハイカラな物は気が利かないし
細雪:03 下巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
が、譲吉が一旦学校を卒業してからと云うものは、服装を調ととのえる必要を痛切に感じ始めたのである。
大島が出来る話 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
李中行 (袋を卓の上に置く。)まあ、どうにかうにか買うだけの品は買い調ととのえて来たが、むかしと違って、一年増しに何でも値段が高くなるにはびっくりするよ。
青蛙神 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
色よしとする通町辺とおりちょうへんの若旦那に真似のならぬ寛濶かんかつ極随ごくずい俊雄へ打ち込んだは歳二ツ上の冬吉なりおよそここらの恋と言うは親密ちかづきが過ぎてはいっそ調ととのわぬが例なれど舟を
かくれんぼ (新字新仮名) / 斎藤緑雨(著)
諸君は何時いつでもここへ避難に来るだけの準備をお調ととのえなさい。しかし誰にも知らさぬ様になさい
暗黒星 (新字新仮名) / シモン・ニューコム(著)
あらかじめ行きつけの旅館へ、部屋を取って置く様に葉書を出させたり、当座の入用の品を調ととのえさせたり、お供の人選をしたり、そんなことが平田氏を久しぶりで明い気持にした。
幽霊 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
みちみち源叔父は、わが帰りの遅かりしゆえ淋しさに堪えざりしか、夕餉ゆうげは戸棚に調ととのえおきしものをなどいいいい行けり。紀州は一言もいわず、生憎あやにくに嘆息もらすは翁なり。
源おじ (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
取引の契約が調ととのったあとで、ケノフスキーは次のような要旨を含んだ話をドレゴに聞かせた。
地球発狂事件 (新字新仮名) / 海野十三丘丘十郎(著)
御隠居様も御姫様も中津なかつの浜から船にのっ馬関ばかんに行き、馬関で蒸気船に乗替えて神戸こうべと、すべての用意調ととのい、いよ/\中津の船に乗て夕刻沖の方に出掛けた処が生憎あいにく風がない
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
近代的なプロンプタアBOX、天使の降りる雲、その天使や悪魔の消滅する仕かけ等すっかり調ととのっていて、観覧席には当時のままの標字が残っている。騎士席、侍従席、侍女席。
踊る地平線:05 白夜幻想曲 (新字新仮名) / 谷譲次(著)
この台所にては毎日平均五十人前以上の食事を調ととのう。百人二百人の賓客ひんかくありても千人二千人の立食を作るもなここにて事足るなり。伯爵家にては大概各日位に西洋料理を調えらる。
食道楽:春の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
源右衛門(あたりを見廻し、少し乗出し、小声になって)『お上人さま、そのお頼みとは、三井寺へ引換えの料の生首二つ、この私奴に調ととのえて欲しいと仰しゃるのでございましょう』
取返し物語 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
奥の二間のふすまをはずすと十八畳になり、広々となったのでした。書生たちは遊びに出しました。支度が調ととのった頃にはお兄様もお帰りです。料理は、好いという遠くの家からの仕出しです。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
自分の心象を綴るに恋々れんれんとしている私の心をもう押えることは止めにしましょう。低徊ていかい逡巡しゅんじゅんする筆先はかえって私の真相をお伝えするでしょう。調ととのわぬ行文はそのまま調わぬ私の心の有様です。
聖アンデルセン (新字新仮名) / 小山清(著)
大きな百貨店へ行けば大概の品はいつでも調ととのえられるものと思っていたが、実際はなかなかそうでないという事を経験してきた。むしろ望みどおりの品のあったためしは少ないくらいである。
柿の種 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
作者の気分と心とが統一されゝばされるほど、その調子が調ととのつて来る。
小説新論 (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
佐太郎は気を取りはずせり、彼は満面に笑みの波立て直ちに出で行き、近処に法事の案内をし、帰るさには膳椀ぜんわんを借り燗瓶かんびん杯洗を調ととのえ、蓮根れんこんを掘り、薯蕷やまのいもを掘り、帰り来たって阿園の飯を炊く間に
空家 (新字新仮名) / 宮崎湖処子(著)
柔かであるし、息の調ととのってない動き方、歩き方は、女らしかった。
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
「己が身の調ととのはざるか人の非にかくも心のうちさわぎつつ」
睡蓮 (新字新仮名) / 横光利一(著)
ふきいづる木々きぎの芽いまだ調ととのはぬみちのく山に水のみにけり
つゆじも (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)