すさ)” の例文
荒巻がヒサという女と関係していることは知っているが、ヒサは彼に愛想づかしをしており、そのために彼の気持は一時すさんでいた。
樹下石上じゅげせきじょうの人だった。それゆえに、いくら想いを懸けたところで、届きがたい心地がして、同時に、自分のすさびかけた境涯も顧みられ
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
酒がやゝすさんで来た頃、その小村は急に改つた調子で、「貴方に伺つたら解るでせう。全体ラブつてどんなものでせう。」と問ふ。
茗荷畠 (新字旧仮名) / 真山青果(著)
いつしか気がしずまると見えて、また木枯の吹きすさぶ町の中を黒い服を地上に引摺って、蔦の絡んだ白壁の教会堂の方へと帰って行くのだ。
(新字新仮名) / 小川未明(著)
この世と地獄との間には、闇穴道あんけつだうといふ道があつて、そこは年中暗い空に、氷のやうな冷たい風がぴゆうぴゆう吹きすさんでゐるのです。
杜子春 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
吹きすさんでいた風が突然ピッタリと止んで、ブル・オヤジの大きな怒鳴り声が、五階の上から見下している妾のところまで聞えて来た。
ココナットの実 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
が、その時の事を考へると、『俺は強者だ。勝つたのだ。』といふ淺間しい自負心の滿足が、信吾の眼にすさんだ輝きを添へる……。
鳥影 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
よれよれにすさんで来るようだし、男に食わせてもらう事は切ないし、やっぱり本を売っては、瞬間瞬間そのときどきの私でしかないのであろう。
新版 放浪記 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
複雑なすさんだ人々の間にばかりくらしてきた私にはあなたが神の使のようにさえ見えます。あなたはそのままで清らかで完全です。
愛と認識との出発 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
その日は、ひどく冷たい北風が吹きすさんで、公孫樹いちょうの落ち葉やけやきの落ち葉が、雀の群れかなんぞのように、高く高く吹き上げられていた。
再度生老人 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
実際、わたし達はどんなことでもしかねないようなすさんだ気持になっていたので、看護婦が要心したのも無理がないと思います。
二人の母親 (新字新仮名) / モーリス・ルヴェル(著)
男たちはおのづからすさめられて、女のこぞりて金剛石ダイアモンド心牽こころひかさるる気色けしきなるを、あるひねたく、或は浅ましく、多少の興をさまさざるはあらざりけり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
ややすさんだ声で言われた下卑たその言葉と、その時渡瀬の眼に映った奥さんの睫毛まつげの初々しさとの不調和さが、渡瀬を妙に調子づかせた。
星座 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
せかせか出て行った今のおゆうの姿や、おゆうを待受けている鶴さんの、この頃の生活にすさみきった神経質な顔などが、目について来た。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
それに、まだ今はいいですが、だんだんと心もすさんできますよ。何かほかのことをした方がいいですね。もし何なら僕に相談して下さい。
あの暗い森の下に、やはり温かい何物かがあって、このすさみ果てた自分を迎えてくれようとするその懐し味こそ、なかなかに仇。
大菩薩峠:24 流転の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
世には切実な愛情の迫力にって目覚める人間の魂もある。叱正や苛酷にすさむ性情がかえって多いとも云えようではないか。
母子叙情 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
君の御馬前に天晴あつぱれ勇士の名をあらはして討死うちじにすべき武士ものゝふが、何處に二つの命ありて、歌舞優樂の遊にすさめる所存の程こそ知られね。
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
それにつれて玄竜の心も益々やけにすさび、街で一層暴行や恐喝に猥雑な行為を働き廻るようになったが、今度は巡査にとがめたてられても
天馬 (新字新仮名) / 金史良(著)
我学問はすさみぬ。屋根裏の一燈微に燃えて、エリスが劇場よりかへりて、いすに寄りて縫ものなどする側の机にて、余は新聞の原稿を書けり。
舞姫 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
ただ村民の信仰がおいおいにすさんできてこういう奇瑞の示された場合にも、怖畏ふいの情ばかりひとり盛んで、とかくに生まれる子を粗末にした。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
彼女の心は、その時以来別人のようにすさんだ。清浄しょうじょうなる処女時代に立ち帰ることは、その肉体は許しても、心が許さなかった。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
痴人夢を説くという言葉がありますが、人生に夢が無かったら、我々の生活は何と果敢はかなく侘しく、すさまじきものでしょう。
しかしなんとなく生活が殺風景になり、それに外国にしばらくいると、みな気分がすさんでくるので、とかく索莫たる感じが漂いがちであった。
温泉2 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
わるびれる様子もなく、そうかといって、露悪症みたいな、すさんだやけくその言いかたでもなく、無心に事実を簡潔に述べている態度である。
新樹の言葉 (新字新仮名) / 太宰治(著)
「杉、じいやかい。」とこの時に奥のかたから、風こそすさべ、雪のは天地を沈めてしずかに更けく、畳にはらはらとなまめく跫音あしおと
註文帳 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
先刻さつきのあの爐の傍で——顫へながら、むか/\しながら、そしてすつかり蒼褪あをざめて、すさんで、雨風に叩きつけられた自分の姿を意識しながら。
三十分置きに拍子木を叩いて廻る合間にピュウ/\と吹きすさんでいる嵐にも負けないようないきおいで議論を闘わすのであった。
琥珀のパイプ (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
予が現住する田辺たなべの船頭大波に逢うとオイオイオイと連呼よびつづくればしずまるといい、町内の男子暴風吹きすさむと大声挙げて風を制止する俗習がある。
台湾にも行けば満洲にも行つた。仏の戒めた戒律をわざと破つて行くやうに見えるほどそれほどすさんだ生活をやつて来た。
ある僧の奇蹟 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
そしてそれが人間の心境しんきょうに影響すれば、悪人あくにん善人ぜんにんになるであろう。すさんだ人もみやびな人となるであろう。罪人ざいにんもその過去を悔悟かいごするであろう。
植物知識 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
夜はけていった。広いバスティーユの広場はやみにおおわれていた。雨を交じえた冬の風は息をついては吹きすさんでいた。
私は予防注射を受けながらも、何となく私の心がだんだんすさんで行くように思った。若しや狂犬の毒が全身にめぐりかけて居るのではあるまいか。
犬神 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
深谷夫人は頭が痛むと云うので主館おもやに居止り、東屋氏と私と黒塚、洋吉の両氏、そして署長を加えた五人は、強い疾風の吹きすさぶ中庭を横切って
死の快走船 (新字新仮名) / 大阪圭吉(著)
ながいあいだのすさみきった生活が骨の髄まで浸みこんで、人間のもっている思い遣りとか、うるおいとか温かさというものがことごとく喪われている
留さんとその女 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
僕の情操はその頃から学校を卒業するまでの間に、近頃の小説に出る主人公のように、まるですさみ果てたのだろう。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
見られよ、私たちのために形を整え、姿を飾り、模様に身を彩るではないか。私たちの間にして悩む時もすさむ時も、生活をわかとうとて交わるのである。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
こんな話から、私は気拙きまずくなって、鳴海の宅から立去った。そして私は、更にすさんだ生活の中に落込んでいった。
大脳手術 (新字新仮名) / 海野十三(著)
しかし、あの家に吹きすさんだ冬の風を、誰が一番多く身に受けたろう? 美佐か? 深志か? それとも、母か?
光は影を (新字新仮名) / 岸田国士(著)
男に対する感情も、わたくしの口から出まかせに言う事すら、其まま疑わずに聴き取るところを見ても、まだ全くすさみきってしまわない事は確かである。
濹東綺譚 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
次第に重吉はすさんで行った。賭博ばくちをして、とうとう金鵄勲章を取りあげられた。それから人力俥夫じんりきしゃふになり、馬丁になり、しまいにルンペンにまで零落した。
そんな事に自分のペンすさませるくらゐなら、もつと他のペンの仕事で金錢といふ事を考へて見る、とさへ思つた。
木乃伊の口紅 (旧字旧仮名) / 田村俊子(著)
そのときはなんだかすさんだ、古墳らしい印象を受けただけのように思っていましたが、だんだん月日が立って何かの折にそれを思い出したりしているうちに
大和路・信濃路 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
僕の胸があまりすさんでいて、——僕自身もあんまり疲れているので、——単純な精神上のまよわしや、たわいもない言語上のよろこばせやで満足が出来ない。
耽溺 (新字新仮名) / 岩野泡鳴(著)
だがな紅丸、福島の人気、どうも昔よりすさんだなあ。幾十年昔になるだろう、何んでもわしの青春の頃だ、一年近くも住んで見たが、その頃の福島はよかったよ。
任侠二刀流 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
開戦以来草忙さうばうとして久しく学にすさめる余にとつては、真に休養の恩典と云ふべし、両兄曰く果して然るか
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
煩雜と抵抗の刺戟から逃れて温泉地へでも行けと云つた。之等これらの默止すべからざる温情が亨一のすさんだ心にうるほひを與へた。三月の初めに東京を逃れて此地に來た。
計画 (旧字旧仮名) / 平出修(著)
陰惨なすさみ切った淫売宿の内儀が此の位の啖呵たんかを切ったからとて些も不思議は無いので、私とても是迄場数を踏んで居りまして所謂殺伐には馴れて居りますから
陳情書 (新字新仮名) / 西尾正(著)
私は首をらして、壁に頭をもたせかけ、そして眼をつむった。頭の中で、蝉が鳴いている。幾千匹とも知れぬ蝉の大群が、頭の壁の内側で、鳴きすさんでいる——
桜島 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
一国の代議士と言われる人で平生へいぜいさかんに立憲論を唱えながら家にあっては酒道楽にふけり女道楽にすさ言語同断ごんごどうだん乱暴狼藉らんぼうろうぜき朝から晩まで我が家庭に対して非立憲の行為を
食道楽:冬の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)