小径こみち)” の例文
旧字:小徑
ベンチのぐるりと並んだ花壇を抜け、彼等は常緑樹の繁った小径こみちへ入った。どこまでも黙って歩いた。やがて竹藪の間へ来かかった。
未開な風景 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
あたしが花壇のそばの小径こみちを歩いていますと、開け放したお隣りの二階の窓から、男と女がはげしく言い争う声がきこえて来ました。
キャラコさん:08 月光曲 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
友人の宮坂は多年の念願が成就する喜びに顔を輝かし丘の小径こみちを靴で強く踏みしめながら稚純な勇んだ足どりで先に立って歩いた。
ガルスワーシーの家 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
私はそう言って、示された方角にむかって周囲を見廻すと、そこには高低のはげしい小径こみちがあったので、まずそこを降りて行った。
わたしはやしろの境内を出るとかいどうの裏側を小径こみちづたいにふたたびみなせ川の川のほとりへ引き返して堤の上にあがってみた。
蘆刈 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
谷川に沿った小径こみちを、わき目もふらず急いだ。稔った稲穂のうえを、しだいに強くなった風がわたって行くと、湖のようである。
花と龍 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
川端の公園は物騒だと聞いていたので、川の岸までは行かず、電燈の明るい小径こみちに沿うて、鎖の引廻してある其上に腰をかけた。
濹東綺譚 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
それがビッシリと小径こみちおおい隠して、木の下からこの辺まで約五町くらいもあろう。この辺から黄櫨はぜの木立が、眼立って多くなってくる。
墓が呼んでいる (新字新仮名) / 橘外男(著)
が、小暗をぐらい村の小径こみちを離れて、広々とした耕野の道へ出た時、たうとう我慢がしきれなくなつたといつたやうに、誰かが、前の方で叫んだ。
野の哄笑 (新字旧仮名) / 相馬泰三(著)
岩の間の樹木の中に、人の通った小径こみちらしいものがあった。彼の全身は歓喜に燃えた。彼はどこまでもその小径らしいものにいて登った。
仙術修業 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
爪先つまさきあがりの小径こみちを斜めに、山の尾を横ぎって登ると、登りつめたところがつの字崎の背の一部になっていて左右が海である
鹿狩り (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
渓川たにがわに危うく渡せる一本橋を前後して横切った二人の影は、草山の草繁き中を、かろうじて一縷いちるの細き力にいただきへ抜ける小径こみちのなかに隠れた。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
裏丘へのぼる小径こみちは孟宗の林に見えて、その籔の上の日向に蜜柑もぐ人もよく見ゆ。声高にさては語りて燧石ひうち切る莨火たばこびも見ゆ。
神社の横手から熊笹の中を、だんだら下りの小径こみちが、はるか甲斐の国のほうへ落ちている。その降り口まで走り寄って大次郎が下を望むと
煩悩秘文書 (新字新仮名) / 林不忘(著)
幽雅ゆうがな草堂の屋根が奥のほうに望まれ、潺湲せんかんたる水音に耳を洗われながら小径こみち柴門さいもんを入ると、内に琴を弾く音がもれ聞えた。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼は彼女の家から彼のホテルへのまっ暗な小径こみちを、なんだか得体の知れない空虚な気持を持てあましながら帰りつつあった。
ルウベンスの偽画 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
オルガンティノはそう思いながら、砂の赤い小径こみちを歩いて行った。すると誰か後から、そっと肩を打つものがあった。彼はすぐに振り返った。
神神の微笑 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
蜿蜒えんえんとして小仏へ走る一線と、どこから来てどこへ行くともない小径こみちと、そこで十字形をなしている地蔵辻は、高尾と小仏との間の大平おおだいらです。
大菩薩峠:21 無明の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
迷宮の林の中の小径こみちふじのからまった高壇テラース阿亭あずまやの中の腰掛など、恋しい思い出の跡を求めてはみずから苦しんだ。彼は執念深くくり返した。
内地の月見草に似た色の小さい花が小径こみちをはさんで咲き乱れ、歩いて行く彼の長靴の尖はそれらに触れてしたたか濡れた。
日の果て (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
或る時は草の中の小径こみちで、ここをまっすぐに歩いてみろと云う。蛇がいるんだろう。蛇なんかいないわ、もう冬じゃないの「臆病ねえ」と笑う。
女は同じ物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
私は彼から懐中電燈を借りると、危なっかしい小径こみちを分けて、町へ帰って来ながら、まだ起きていた一軒の薬局へ寄って
腐った蜉蝣 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
本堂の東側の中程に、真直まっすぐに石塀に向って通じている小径こみちがあって、その衝当つきあたりに塀を背にし西に面して立っているのが、香以が一家の墓である。
細木香以 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
ある日、鉄道の踏切を越えて、また緑草の間の小径こみちへ出た。楢の古木には、角の短い、目の愛らしい小牛がつないであった。
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
私は、森の中を縫う、荒れ果てた小径こみちを、あてもなく彷徨さまよい歩く。私と並んで、マリアナ・ミハイロウナが歩いている。
秋の歌 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
雪を切り拓いた中央の小径こみちを、食事におくれたスポウツマンとスポウツウウマンとが、あとからあとからと消魂けたたましく笑いながら駈け上って来ていた。
踊る地平線:11 白い謝肉祭 (新字新仮名) / 谷譲次(著)
たちまちせきをきったように、人々が流れだしてくると、三吉はいそいで坂の中途から小径こみちをのぼって、城内の練兵場の一部になった小公園へきた。
白い道 (新字新仮名) / 徳永直(著)
すぐにそこから小径こみちがつづいて、あたりいちめんにしげっているすすきの穂の先を、あるかないかの風が、しずかな波をつくり乍ら渡っていった。
山県有朋の靴 (新字新仮名) / 佐々木味津三(著)
その流れのあたりに人の通りつけた小径こみちが、ひとりでに草の間についていて、小径は山麓と野の境の間にある一つのほら穴の前に、行き尽いていた。
野に臥す者 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
筑紫野を見晴らす大根畠と墓原の間の小径こみちの行止まりに、万延寺の本堂と背中合わせにして一軒の非人小舎ごやがある。
玄関は向側むかうがわにあって細長い島の庭を見下みおろしている、二人の訪問者は低いやぐらの下に、ほとんど家の三方を縁どっている小径こみちについて廻って行ったのである。
彼等は日ねもす小径こみちを掃いて砂をいたり、自分たちの手でき起こした花壇や、胡瓜キュウリ西瓜スイカ甜瓜メロンの苗床の草むしりをしたり、水をやったりしていた。
わずかに、炭焼小屋へ通じる小径こみちが、松林をぬけて、谷へ降つて行く、その踏みかためられた雪の一と筋だけを、ひろうようにして、彼女たちは歩いた。
光は影を (新字新仮名) / 岸田国士(著)
そしてあの小径こみちこの谷陰と、姫をさらう手立をさまざまに考えた。どういう積りかは知らぬが、仰山ぎょうさん薙刀なぎなたまでも抱えておった。いや飛んだ僧兵だわい。
雪の宿り (新字新仮名) / 神西清(著)
ルピック氏は、それでも、機嫌きげんのいい時には、自分から子供たちの相手になって遊ぶようなこともある。裏庭の小径こみちでいろんなはなしをして聞かせるのである。
にんじん (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
そして松林の中の粉つぽい白い砂土の小径こみちを駅の方へとぼ/\歩いた。地上はそれ程でもないのに空ではすさまじい春風がむちのやうにピユーピユー鳴つてゐる。
途上 (新字旧仮名) / 嘉村礒多(著)
玉太郎等三人が山肌やまはだ小径こみちをころがるように谷の方へおりてゆく様子も、もちろんカメラにおさめられていた。
恐竜島 (新字新仮名) / 海野十三(著)
崖のうえの垣根から、書生や女たちの、不思議そうにのぞいている顔が見えたりした。土堤どて小径こみちから、子供たちの投げる小石が、草のなかに落ちたりした。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
けれども、お初は、一向、淋しそうな顔もせず、もりの間の小径こみちをいそぎながら、だんだんに形相ぎょうそうを変えていた。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
さよは、草原くさはらなかにつづいている小径こみちうえにたたずんでは、いくたびとなくみみかたむけました。西にしほうそらには、しずんだあとくもがほんのりとうすあかかった。
青い時計台 (新字新仮名) / 小川未明(著)
五万の地図にある小径こみちは、湯小屋から八谷越やたにごえを経て小楢俣に出で、更に小さな峠を上下して、東桶小屋沢から楢俣に沿い、狩小屋沢の或地点まで通じている。
利根川水源地の山々 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
彼女は小径こみちを軽く歩んで来て、こわれた噴水のほとりで彼に出逢って、さすがに驚いたような顔をしていたが、また、その顔は親切な愉快な表情に輝いていた。
気が付いて見ると、何時いつの間にやら、案内の男が見えなくなって居るではありませんか。山裾を一つ二つ廻るうちに、何処どこかの小径こみちへ外れてしまったのでしょう。
大江戸黄金狂 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
何処からともなく、かんばしい花の匂ひが来る。小径こみちの方で、ボンソア……と挨拶あいさつしてゐる女の声がしてゐる。薄い雲が星をかいくゞつて流れてゐる。湖は見えない。
浮雲 (新字旧仮名) / 林芙美子(著)
そうって呼び止める女中の声に驚いて、美奈子が我に帰ると、美奈子は右に折れるべき道を、ズン/\前へ、出口のない小径こみちの方へと、進んでいるところだった。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
家の前を真直ぐに通りの小径こみちにつながる敷石道を挾んで両側十坪ほどずつの空地にとりとめもなく草や木を植えこんだそこを、クニ子はおおげさに「花園」といった。
(新字新仮名) / 壺井栄(著)
洗身場だなと思つて傍を見ると、敷石路から少し下へれる小径こみちがついてゐる。巨大な芋葉と羊歯しだとを透かしてチラと裸体の影を見たやうに思つた時、鋭い嬌声が響いた。
夾竹桃の家の女 (新字旧仮名) / 中島敦(著)
十歩に足らぬ庭先の小園ながら、小径こみちには秋草が生え茂り、まがきに近く隅々すみずみには、白い蓼の花がわびしく咲いてる。貧しい生活の中にいて、静かにじっと凝視みつめている心の影。
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
大池へ通う小径こみちである。小径の左右は花壇である。早春の花が咲いている。縞水仙の黄金色の花、迎春花の紫の花、椿、寒紅梅、ガラントウス、ところどころに灌木がある。
神秘昆虫館 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
この島は内陸のやや大きな一村の面積しかないのだが、その地名は優に数冊の写本をたし、至る処の海渚かいしょ無人の小径こみちまでが、ほとんと一歩に一名というありさまであった。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)