嬉々きき)” の例文
進み進みて、小川の尽きる所に、おたまじゃくしの頭の様に、丸くひろがった池がある。池には裸体の男女が、嬉々ききとしてたわむれ泳いでいる。
地獄風景 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
蝦夷萩は、鼻腔びこうからひくいうめきに似た息を発し、身を仰向あおむけに転ばして、嬉々ききと、十四の少年が、なすままに、まかせていた。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
まだ親の苦労などはわからなく、毎日曇りのない元気な顔に嬉々ききと遊戯にふけっているが、それらの姉どもはもう親の不安を心得きっている。
去年 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
香苗は、嬉々ききとして柿畑の柿を荒している野猿の群を、幾朝も、幾朝も、ふところ手をしながらじっと微笑みの眼でみていた。
春いくたび (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
子供は靴をはいて、嬉々ききと声を出して庭を歩き廻った。笹村はそれを前庭の小高い丘の上へいあげ逐いあげしては悦んだ。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
そして、やはりおなじ間違いかもしれないが、そのころ世間のひとびとは今よりずっと素朴で、親しみぶかく、そして嬉々ききとしていたように思う。
現在の少年少女が老い尽し、彼らの孫曾孫ひまご嬉々ききとしてひざの前に遊びたわむるるを見る時代には、この一巻の文章は果してどうなっているであろうか。
こども風土記 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
広々ひろびろとした、田園でんえんのぞみ、豊穣ほうじょう穀物こくもつあいだはたら男女だんじょれを想像そうぞうし、嬉々ききとして、牛車ぎゅうしゃや、うまあと子供こどもらの姿すがたえがいたのであります。
風はささやく (新字新仮名) / 小川未明(著)
隆太郎は嬉々ききとして声を立てる。やっとのぼったところで、半ズボンの両脚を前へつるつるつるである。父の私も前廻りして手をうってはやし立てる。
木曾川 (新字新仮名) / 北原白秋(著)
船腹についたカキは別府湾の潮に浸るとたちまち腐って落ちて仕舞しまうのである。水兵は嬉々ききとして町の中を歩いておった。
別府温泉 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
洞門の前の小岩にこしをかけて、一同の嬉々ききとするさまを見まもっていたゴルドンは、ニッコリして富士男にいった。
少年連盟 (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
余は多少あき気味であたりをながめる。皆近辺の人達で、多少の識った顔もある。皆嬉々ききとして眺めて聴いて居る。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
嬉々ききとして乗りまわしているのを見かけることのある、一種の locomotive chair だった。
ヤトラカン・サミ博士の椅子 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
世の中もこんなものと軽く思いなしているらしい風情ふぜいが、他からもすぐに察せられ、嬉々ききとして笑い興じている姿などは一層見る人の哀れさをそそるのである。
(新字新仮名) / 島木健作(著)
すなわち彼はまずお美代の妹が嬉々ききとして丘の上までってゆくのを認めたろう。それはまことに無邪気な光景だった。赤ちゃんは遂に丘の上にのぼりつめた。
地球盗難 (新字新仮名) / 海野十三(著)
始めて黒緞子の長衣と外套がいとうとをつけ白縮紗クレープの帽子をかぶって外に出かける時、コゼットは喜び勇み笑み得意げに嬉々ききとしてジャン・ヴァルジャンの腕を執った。
谷から谷へ枝から枝へ飛び移って啼く鳥の心を隠約いんやくうちに語っている生前彼女がこれを奏でると天鼓も嬉々ききとして咽喉のどを鳴らし声をしぼり絃の音色と技を競った。
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
この、粛然しゅくぜん襟を正すべき名奉行の貴いもだえもしらずに、忠相の足もとに嬉々ききとしてたわむれる愛犬の黒犬。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
両児ふたり嬉々ききとして、互いにもつれつ、からみつ、前になりあとになりて、室をで去りしが、やがて「万歳!」「にいさまあたしもよ」と叫ぶ声はるかに聞こえたり。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
しかしその日はいつものように嬉々ききとして話さなかった。あの人が又どこかに待ち伏せをしているのではなかろうかという不安があった。さいも察して、僕を駅まで送らせた。
四十不惑 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
冬の曲となれば、雪空に白鳥の群れ渦巻うずまき、あられはぱらぱらと、嬉々ききとして枝を打つ。
茶の本:04 茶の本 (新字新仮名) / 岡倉天心岡倉覚三(著)
やがて昇る朝陽あさひに、朱に染めた頭を集めて男体と女体が、この浩遠こうえんな眺めを覗きながら、自然の悠久を無言に語り合っている。草薙山の方に近い密林の中に、早春の雄鹿が嬉々ききと鳴く。
雪代山女魚 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
自分自身の用はできるかぎり自分でたすが、自分が身体が弱いためにできないことや炊事や、雑用は少年がしてくれる。少年は嬉々ききとして無邪気な遊びをしながら自分に仕えてくれる。
愛と認識との出発 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
兄さんが、「やってごらんなさい。」と言ってバットを差し出したら、果して、嬉々ききとして、「おらは、おぼえただ。」を連発しながら、やたらにバットを振りまわした。とても可愛かわいい。
正義と微笑 (新字新仮名) / 太宰治(著)
すべてを抱擁しなければいけない。われわれの心の熱しきった熔炉ようろの中に、否定する力と肯定する力とを、敵と味方とを、人生のあらゆる金属を、嬉々ききとして投げ入れなければいけない。
なにがし子爵ししゃく夫人ともいいそうなりっぱな貴婦人が、可愛らしい洋服姿の子供を三四人つれてそこから出て来て、嬉々ききとして馬車に乗ると、御者はむちを一あてあてて、あとに白いほこりを立てて
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
しかし、いまのあたりにするこの令嬢は、少くもそれら嬉々ききとした令嬢群とも選を異にしてゐるやうである。ひよつとしたらこれは、日本の智的な女性の代表的タイプの一つかも知れない。
三つの挿話 (新字旧仮名) / 神西清(著)
笑声嬉々ききとしてここに起これば、歓呼怒罵どば乱れてかしこにわくというありさまで、売るもの買うもの、老若男女ろうにゃくなんにょ、いずれも忙しそうにおもしろそうにうれしそうに、駆けたり追ったりしている。
忘れえぬ人々 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
借金とりと交驩こうかんしたり、悪虐無道の因業オヤジと一戦に及び、一泡ふかしたりふかされたり、そして彼の女房は常に嬉々ききとして陣頭に立ち、能なしロクでなしの宿六やどろくをこづきまわしたりするけれども
オモチャ箱 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
嬉々ききとして逃げ走り、追いすがり、重なってころがり、抱き合って転々し、しかし、身動きのたびごとに、ふたりの傷はますますふえていった。
影男 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
殊にわしは、家に母上の笑顔えがおがあり、家族どもがみな嬉々ききとして生活くらしていてくれれば、何よりも自分も楽しいことと思う
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
金をとらかす日影椎の梢に残り、芝生はすでに蔭に入り、ひぐらしの声何処からともなく流れて来ると、成人おとなも子供も嬉々ききとして青芝の上の晩餐ばんさんの席に就くのである。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
一度興奮しだすとすぐに爆発し、一種の快活さがその熱烈の度を強め、嬉々ききたると同時に叙情的になった。
私の手が、私の指が、この凄艶せいえんな雪の上に嬉々ききとしてたわむれ、此処を自由に、楽しくんだことがあるのだ。今でも何処かにあとが残っているかも知れない。………
痴人の愛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
この鶯の啼き交わす長閑のどかな美しい声に結ばれて、さしも長い間わだかまっていた結城、下妻両藩の間の悪感情もとけて、それから後は、両藩の若侍たち、嬉々ききとして邪念なく、和気靄々わきあいあいのうちに
平馬と鶯 (新字新仮名) / 林不忘(著)
通説によれば、この時期は彼の無自覚な嬉々ききとした小鳥の歌声のような時代だったというのだが、この推量の荒唐無稽はあえて当時の彼の手紙を引合いに出すまでもなく、一見して明らかだろう。
嬉々ききとして大空を飛び廻っている様をうらやましがり、烏は仕合せだなあ、と哀れな細い声でつぶやいて眠るともなく、うとうとしたが、その時、「もし、もし。」と黒衣の男にゆり起されたのである。
竹青 (新字新仮名) / 太宰治(著)
翌朝から一同は製作主任のバクスターのさいはいのもとに、リンネルや帆布ほぬのを切ったり、ぬいあわせたり、骨をけずったり、嬉々ききとして仕事をはげんだ。二日二晩の協力はみごとな大だこを完成した。
少年連盟 (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
夫人も和子わこも老いたる叔父叔母のともがらまで嬉々ききとして、侍女こしもとたちの顔から燈火ともしびの色まではなやぎ立ち、その陽気なことは到底、節句や正月の比ではない。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
狂博士は、嬉々ききとして施術に従った。彼は彼の施術が如何なる用途に供されるかは少しも知らずただ技術の為の技術に没頭して、牢獄病院の院長の地位に甘んじていた。
猟奇の果 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
開ける雲雀は嬉々ききとしてツンツン啼きながら高く高くのぼって行き姿をかすみの中にぼっする女師匠は見えぬ眼を上げて鳥影とりかげを追いつつやがて雲の間から啼きしきる声が落ちて来るのを
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
囚人は地牢ちろうを castus(清浄)と呼んでいる。——その痛むべき場所のうちに、外部の世界は常に最も嬉々ききたる顔付きをして現われてくる。囚人は足に鉄鎖をつけている。
財産を天理様にささげてしまって、嬉々ききとして労役者ろうえきしゃの生活をして居る者もある。天理教で財産をって、其報償むくいを手あたり次第に徴集ちょうしゅうし、助けなき婆さんをいじめて店賃たなちんをはたる者もある。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
彼のその夜の眠りはまどかであった。あくる日となっても、なお嬉々ききたる子たちや、貞節な妻の笑顔は、どれほど彼の棘々とげとげしい心をなだめていたかしれない。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
嬉々ききたる日の光が、新しくえ出たばかりの輝いてる木の葉の間にさし込んでいた。
まず今日は、秋園のうららかな下へ玉歩を運ばれて、や若君たちと終日嬉々ききとお遊びになられたがよいでしょう
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
嬉々ききたると同時に沈鬱ちんうつで、あたかもあけぼのの光に照らされてるがようであると同時に、なお地平線に立ちこめてしだいに過去のうちに沈み込まんとする大災厄だいさいやくの暗雲におおい隠されてるがようであった。
と、たたえていたものだが、今度の一泊には、長閑翁と戯れあう子らの嬉々ききたる声もうるさい気がした。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
御覧ごろうじませ、あちらの作事場さくじばを——あのように幼い女子供から、髪の白い老人までが、賃銀も求めずに、しかも嬉々ききとして、石を運び、材木の綱を曳いております。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
家康公の御書面を託されて参ったからには、そちはりもなおさず徳川家の使臣ではないか。なぜ、家臣どもにもてなされて、わが家へでも帰ったように嬉々ききとするか。
剣の四君子:02 柳生石舟斎 (新字新仮名) / 吉川英治(著)