窪地くぼち)” の例文
若い杉林に囲まれた陽だまりの窪地くぼちで、枯草がいかにもあたたかそうであり、すぐ脇に細い流れがきらきらと光っているのが見えた。
おごそかな渇き (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
東京の中にこんな山の窪地くぼちのやうに思はれるところがあるとは、歳子は牧瀬に誘はれて、この庭へ来るまで想像しても見なかつた。
夏の夜の夢 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
汝等窪地くぼちにくだりてかの衆と倶にあらんより、この高臺パルツオにありて彼等を見なば却つてよくその姿と顏を認むるをえむ 八八—九〇
神曲:02 浄火 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
深い雪のなかを探し回っているうち、丘と丘の間の窪地くぼちに出た。見ると、そこの雪の吹きだまりから水蒸気が立ちのぼっている。
いやな感じ (新字新仮名) / 高見順(著)
彼は口上を述べてしまうと、いかにも彼の使いが重大で急ぎのことであるかのように、小川を駈けわたり、窪地くぼちを疾走してゆくのが見えた。
と、思ふと、向ふの低い窪地くぼち簇々むら/\と十五六人ばかりの人数があらはれて、其処に辛うじて運んで来たらしいのは昼間見たその新調の喞筒である。
重右衛門の最後 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
坂を下りて、一度ぐっと低くなる窪地くぼちで、途中街燈の光が途絶えて、鯨が寝たような黒い道があった。鳥居坂の崖下がけしたから、ヶ窪の辺らしい。
木の子説法 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
すぐ眼の前は谷のやうになった窪地くぼちでしたがその中を左から右の方へ何ともいへずいたましいなりをした子供らがぞろぞろ追はれて行くのでした。
ひかりの素足 (新字旧仮名) / 宮沢賢治(著)
校庭の裏手へ行くと、そこだけは厳冬の寒風もいじめにやってこない日当りのいい窪地くぼちが、林の終るあたりから緩やかなスロープをつくっていた。
煙突 (新字新仮名) / 山川方夫(著)
窪地くぼちの蔭がむらさきに見える。地上二、三尺の空間には、虹がポーッと立っている。からす! こずえに止まっている。物思わしそうに鳴こうともしない。
剣侠受難 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
摺鉢すりばちの底のような窪地くぼちになった庭の前には薬研やげんのようにえぐれた渓川たにがわが流れて、もう七つさがりのかがやきのないが渓川の前方むこうに在る山をしずかに染めていた。
山寺の怪 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
水ははちにたまったように平原の窪地くぼちにここかしこたまっていた。ある所では輜重車しちょうしゃは車軸まで泥水につかった。馬の腹帯は泥水をしたたらしていた。
すでにしてその一団の鉄車が、窪地くぼちの底部に達するや否や突然、雪しぶきをあげ、ごうッと、凄まじい一瞬の音響とともに、その影が見えなくなった。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
坂を下り尽すとまた坂があって、小高い行手に杉の木立こだち蒼黒あおぐろく見えた。丁度その坂と坂の間の、谷になった窪地くぼちの左側に、また一軒の萱葺かやぶきがあった。
道草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
南と北とを小高い石垣いしがきにふさがれた位置にある今の住居すまいでは湿気の多い窪地くぼちにでも住んでいるようで、雨でも来る日には茶の間の障子しょうじはことに暗かった。
(新字新仮名) / 島崎藤村(著)
笠井は驚いて飛んで来た。しかし広い山野をどう探しようもなかった。夜のあけあけに大捜索が行われた。娘は河添かわぞい窪地くぼちの林の中に失神して倒れていた。
カインの末裔 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
定雄は根本中堂が広場より低い窪地くぼちの中に建てられて、眼下の眺望ちょうぼうかなくさせて誤魔化してあるのも、苦慮の一策から出たのであろうと思ったが、すでに
比叡 (新字新仮名) / 横光利一(著)
泥酔でいすいして峠の道を踏んだ時、よろめいて一間ほどがけを滑り落ちた。まぶたが切れて、血が随分流れた。窪地くぼちに仰向きになったまま、すさまじい程えた月のいろを見た。
桜島 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
私は都合よくそこの草原の掘り返へされた窪地くぼちにまで彼をひた押しに押して押し倒した。それからしばらく上になり下になりしてから起き上がつて、更にまた組み合つた。
ある職工の手記 (新字旧仮名) / 宮地嘉六(著)
彼のその足音に驚いて、この地方特有の山鳥が枝から枝へと、銀光の羽搏はばたきを打ちながら群れをなして飛んだ。白い山兎やまうさぎ窪地くぼちへ向けてまりのように転がっていったりした。
恐怖城 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
わがとはいち谷町たにまち窪地くぼちを隔てしのみなれば日ごと二階なるわが書斎に来りてそこらに積載つみのせたる新古の小説雑書のたぐひ何くれとなく読みあさりぬ。彼女もと北地ほくちの産。
矢はずぐさ (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
されどもこの窪地くぼちの外に出ようとはないで、たゞ其処らをブラブラ歩いて居る、そして時々すごい眼で自分の方を見る、一たいの様子が尋常でないので、自分は心持が悪くなり
運命論者 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
南向きの障子には一ぱい暖かい日がして、そこを明けると崖下がけしたを流れている江戸川を越して牛込の窪地くぼちの向うに赤城あかぎから築土八幡つくどはちまんにつづく高台がぼうともやにとざされている。
うつり香 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
脱いだ衣類其他そのたを、森の奥の窪地くぼちで焼き捨て、その灰の始末をつけて了った時分には、もう太陽が高く昇って、森の外の街道には、絶えず、チラホラと人通りがして、今更らかくを出て
パノラマ島綺譚 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
真昼の電車の窓から海岸のくさむらに白く光るすすきの穂が見えた。砂丘が杜切とぎれて、窪地くぼちになっているところに投げ出されている叢だったが、春さきにはうらうらと陽炎かげろうが燃え、雲雀ひばりの声がきこえた。
秋日記 (新字新仮名) / 原民喜(著)
崖に沿って垂直に下に落ちず、からだが横転して、崖のうえの窪地くぼちに落ち込んだ。窪地には、泉からちょろちょろ流れ出す水がたまって、嘉七の背中から腰にかけて骨まで凍るほど冷たかった。
姥捨 (新字新仮名) / 太宰治(著)
窪地くぼち目指めざして登る方が、よかったということを、後から聞かされた。
火と氷のシャスタ山 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
おれちがはたけ窪地くぼちの日かげ
畑の祭 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
彼我に、わが求むるものはその反對うらなり、こゝを立去りてまた我に累をなすなかれ、かくへつらふともこの窪地くぼちに何の益あらんや 九四—九六
神曲:01 地獄 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
と蘆の中に池……というが、やがて十坪とつぼばかりの窪地くぼちがある。しおが上げて来た時ばかり、水を湛えて、真水にはしまう。
海の使者 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
天鵞絨びろうどの峰はその前に仮山つきやまのようにうねりあがっていた。そこは窪地くぼちのようになって遠くの見はらしはなかったが、お花畑のように美しい場所であった。
山寺の怪 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
それと同時に、ただいちめんの野と見えた、あなたこなたのすすきの根、小川のへり、窪地くぼちのかげなどから、たちまち、むくむくとうごきだした人影。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「そうでございます」老人は鍬をとめて振返った、「……それは此処をはいって、あの森沿いの窪地くぼちへ下りたところでござりますが、先生はいまお留守のようでござりますぞ」
内蔵允留守 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
象は窪地くぼちの中に立っていて、ちょうど地面がその重みの下にへこんでいるかのようだった。
峡谷を通りぬけると、切りたった絶壁にかこまれた小さな円形劇場のような窪地くぼちへ出た。
東京の坂のうちにはまた坂と坂とが谷をなす窪地くぼちを間にして向合むかいあわせに突立っている処がある。
独身の将校のためのその寄宿舎は、営門をはいって左手へ降りた窪地くぼちにあった。ひら家の陰気な建物だが、錦旗革命を夢みている青年将校たちがそこでにじのような気焔きえんをあげていたものだ。
いやな感じ (新字新仮名) / 高見順(著)
乾燥したこいしだらけの窪地くぼちに美しい色彩を流している。
白峰山脈縦断記 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
おれちのはたけ窪地くぼちの日かげ。
畑の祭 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
一方やや高き丘、花菜の畑と、二三尺なる青麦畠あおむぎばたけ相連あいつらなる。丘のへりに山吹の花咲揃えり。下は一面、山懐やまふところに深く崩れ込みたる窪地くぼちにて、草原くさはら
山吹 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
未だ遠く進まざるまにとある窪地くぼちをえて中にひろがり沼となり、夏はしば/\患ひを釀す恐れあり 七九—八一
神曲:01 地獄 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
腰をなでている間もない周馬、夢中で走ったかと思うと、また突然、雑木の窪地くぼちへドドドドッとすべりこむ。
鳴門秘帖:06 鳴門の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
午すこし前であったろうか、万三郎が敵の猛烈な集中射撃に遭って、手兵五十余騎といったん窪地くぼちへ退避したとき、すぐ脇のところをまっしぐらに前進してゆく一隊の兵を見た。
石ころ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
この村からさほど遠くない、おそらく二マイルほどはなれた高い丘に、小さな渓谷、というよりはむしろ窪地くぼちというべきところがあるが、そこは世の中でいちばん静かな場所である。
その上、初めの二、三歩ではその窪地くぼちはさまで深くなさそうだった。しかし進むに従って、足はしだいに深く没していった。やがては、どろすねの半ばにおよび水がひざの上におよんだ。
照りあかる窪地くぼちのそらの
邪宗門 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
かたへ、煉瓦塀れんぐわべい板塀いたべいつゞきのほそみちとほる、とやがて會場くわいぢやうあたいへ生垣いけがきで、其處そこつの外圍そとがこひ三方さんぱうわかれて三辻みつつじる……曲角まがりかど窪地くぼち
人魚の祠 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
たのむ馬が、窪地くぼちに落ちてあしを折ったはずみに、ふたりはいきおいよく、草むらのなかへ投げ落とされた。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼は落ちたまましばらくじっとしていたが、やがて静かに顔をあげてみた、そこは二坪ばかりの窪地くぼちで、頭の上へはみっしりと金竹が生いかぶさっている、断崖まで滑らずにすんだのだ。
藪落し (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
山の窪地くぼちでナインピンズをしているのを見たことがあるし、ピーター老人自身も、ある夏の午後、彼らの球の音が遠雷のとどろきのようにひびくのを聞いたことがある、ということだった。