此後こののち)” の例文
彼奴きゃつ長久保ながくぼのあやしき女のもと居続いつづけして妻の最期さいご余所よそに見る事憎しとてお辰をあわれみ助け葬式ともらいすましたるが、七蔵此後こののちいよいよ身持みもち放埒ほうらつとなり
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
此後こののち杉村氏すぎむらしは、東京朝日とうきやうあさひ世界せかいしう會員くわいゐんともに、米國べいこくわたり、ボストンにてはからずモールス面會めんくわいし、余等よらとも大森貝塚發掘おほもりかひづかはつくつことかた
なほ此後こののちもこれにつくさんのれうにせまほしとておのれにそのよしはしかきしてよとこはれぬかゝるかたこゝろふかうものしたまへるを
うもれ木:01 序 (旧字旧仮名) / 田辺竜子(著)
自分達の出立しゆつたつする時夫人は涙を目にいつぱいためて自動車の窓ごしに手を執られた。自分は此後こののち英国をおもひ出す度にこの夫人の顔が目に浮ぶであらう。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
吾助ごすけおもひてふを、後生ごしやう姉樣ねえさま返事へんじたまはれ、けつして此後こののちわがまヽもはず惡戯いたづらもなすまじければ、吾助ごすけ田舍ゐなかかへらぬやう、いままでどほり一しよあそばれるやう返事へんじたまはれ
暁月夜 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
御頼み申せし新藤夫婦の事もあれば此度このたび大師迄だいしまでにて別れ申べけれかさねて金比羅こんぴら參詣さんけいの事もあらば丸龜城下なる拙者せつしやたくへ必らず立寄たちよられよ又某事も此後こののち江戸表へいづるならば貴樣の家を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
此日このひ此地このち此有様このありさまなが描写べうしやとゞまりて、後年こうねんいかなる大業たいげふ種子たねとやならん、つどへる人を見て一種いつしゆたのもしき心地こゝちおこりたり、此一行このいつかう此後こののち消息せうそく社員しやゐん横川氏よこかはしが通信にくはしければ
隅田の春 (新字旧仮名) / 饗庭篁村(著)
手のさき天窓あたまさきそろへ、どうめて閑雅しとやか辞儀じぎをして、かね/″\おまねきにあづかりました半田屋はんだや長兵衛ちやうべゑまうす者で、いたつて未熟みじゆくもの、此後こののちともお見知みしかれて御懇意ごこんいに願ひますとふと
にゆう (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
予審判事の書記が寄れる卓子ていぶるの足の下に転がりて酒瓶さけびんの栓のりし事をも記臆し、そのせんはコロップにて其一端に青き封蝋ふうろうそんしたる事すらも忘れず、此後こののち千年生延いきのびるとも是等の事を忘る可くもあら
血の文字 (新字新仮名) / 黒岩涙香(著)
此後こののち留守勝るすがちならん萩のいお
六百句 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
おそらく此後こののちからうとおもふ。いまところでは養子やうしやうともかんがへてらぬ。されば生活せいかつあまりあるときには、それをこと/″\そゝいで遺跡ゐせき發掘はつくつるのである。
ル氏はだ五十四五歳だから此後こののちうするかと云ふ事は巴里パリイ人の間に興味ある問題となつた。氏に対してコメデイ・フランセエズ座からかねて捧げて居る劇場株は十八万円ある。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
形見かたみおもへば不憫ふびんかぎりのなきに、其方そちこヽろ一つにてれも安堵あんどひめきずもつかず、此處こヽをよく了簡れうけんなし斷念さつぱり退のいれかし、さりながら此後こののちありつきにと包物つヽみものたまはりて、はねど手切てきれの
暁月夜 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
此後こののち權現臺ごんげんだい如何どうかはるだらう。