旅籠屋はたごや)” の例文
その時も、吉左衛門は金兵衛と一緒に雪の中を奔走して、村の二軒の旅籠屋はたごやで昼じたくをさせるから国境くにざかいへ見送るまでの世話をした。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「二三町行った処で、左側の、屋根の大きそうな家へ着けたのが、あおく月明りに見えたがね、……あすこは何かい、旅籠屋はたごやですか。」
歌行灯 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
ここはいずれの宿しゅくか知れないが、旅籠屋はたごやには違いない。旅籠屋とすれば、この女は宿のおかみさんか、そうでなければ女中であろう。
大菩薩峠:19 小名路の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
ある時家族じゅうで北国のさびしい田舎いなかのほうに避暑に出かけた事があったが、ある晩がらんと客のいた大きな旅籠屋はたごや宿とまった時
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
立出三條の龜屋と云る旅籠屋はたごや宿やどりしに當所は大坂と違ひ名所古跡も多く名にし平安城へいあんじやうの地なれば賑しきこと大方なら祇園ぎをん清水きよみづ
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
講演が無事に済むで、その晩タフト氏は、田舎町の狭つ苦しい旅籠屋はたごやに、象のやうな大きな体躯からだを投げ出して、ぐつすり寝込むだ。
その人々と別れて、一人スタスタと急ぎ足に帰って来た旅籠屋はたごやの手代は、ちょうど今、店の前から出て来た早立ちの男女の客を見かけて
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
よし原と違って、新宿や品川には旅籠屋はたごやに給仕の女をおくという名義で営業しているのであるから、かれらの宿泊をこばむわけには行かない。
半七捕物帳:15 鷹のゆくえ (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
両方とも約二キロ位。——そうそう、板橋という部落はなんだか聞いたことがある。たしか、そこにはわびしい旅籠屋はたごやなんぞもあったはずだ。
大和路・信濃路 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
矢の根石や曲玉まがたま管玉等を採集に來る地方の學者——中學の教師などが旅籠屋はたごやの無いまゝによく自分の家に泊つては、そんな話をして聞かせた。
古い村 (旧字旧仮名) / 若山牧水(著)
宿外しゅくはずれの鶴屋という旅籠屋はたごや暖簾のれんをくぐると、平次はいきなり番頭を呼出して、五日前の晩の、浜町の江の島まいりの連中のことを訊ねました。
昔は町でも一二の浜野屋といふ旅籠屋はたごやであつた、表裏に二階を上げた大きい茅葺家に、思切つた修繕を加へて、玄関造にして硝子戸を立てた。
鳥影 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
見付け付近の旅籠屋はたごやで取り抑えたのさ。やつはその家へ行くと、銀の十字架をはずして、それで一合くれと言うんだ。そこで飲ませてやった。
西中島にしなかじまの大川に臨む旅籠屋はたごや半田屋九兵衛はんだやくへえの奥二階。欄干てすりもたれて朝日川の水の流れを眺めている若侍の一人が口を切った。
備前天一坊 (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
もちろんこの辺にはホテルなどという気のいたものもなくまた宿屋らしいものもない。その木賃宿が旅籠屋はたごやであるです。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
途中で一夜野宿をし、その翌日の真昼頃、高島の城下に帰り着いたが、故意わざと城中へは戻らずに、城下外れの旅籠屋はたごやで夜の来るのを待ち設けた。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
ほんによ、さうなつた日にやこいつの御蔭で、街道筋の旅籠屋はたごやが、みんな暖簾のれんきずがつくわな。その事を思や今の内に、ぶつ殺した方が人助けよ。
鼠小僧次郎吉 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
一先ひとまず旅籠屋はたごやに落着かせまして、折角出て来たものですから、一日位見物しておいでなさいと、つい申して了いました。
蒲団 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
そうでなければ各停車場の食堂か、駅前の旅籠屋はたごやや魚市場の界隈の小料理屋である。けれども女二人ではちょっと困る。
河明り (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
流に沿ひて街樾の方へ往き給はゞ、程なく街道の側なる廢寺の背後うしろに出で給はん。その寺今は「トルレ、ヂ、トレ、ポンテ」とて旅籠屋はたごやとなりたり。
ご改革を機会に京屋のとなりの長野屋という旅籠屋はたごやを買いとり、その地面へ総檜そうひのき二階建のたいそうもない普請をし
顎十郎捕物帳:18 永代経 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
旅籠屋はたごや煮売屋にうりやを始め、どんな台所ででも重宝がられました。この皿には昔は巧みな絵を描きましたが、いつしか絶えて今は無地ものばかりであります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
「芝居をおごろう。」彼らはポルト・サン・マルタン座へ行って、アドレーの旅籠屋はたごやでフレデリックの演技を見た。マリユスはすてきにおもしろがった。
山の宿屋というものを、思わせる「糸屋」と看板を出した旅籠屋はたごやには、椽側に紡車つむぎぐるまを置きっ放しにして、ひっそりかんとしている、馬車はここで停まった。
谷より峰へ峰より谷へ (新字新仮名) / 小島烏水(著)
遂に京都で大寺だいじの住職となり、鴻の巣の若江は旅籠屋はたごやを親族に相続させ、あらためて渡邊祖五郎が媒妁人なこうどで、梅三郎と夫婦になり、お竹も重役へ嫁入りました。
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
私は、煤けほうけた旅籠屋はたごやの西日にくすんだ四畳半へ、四五冊の古雑誌と催眠薬の風呂敷包みを投げ落した。
いつもいく、むかしふうのくら湯屋ゆやでした。近所きんじょ旅籠屋はたごやがあるので、いろいろのひとがこのはいりにきました。
夕雲 (新字新仮名) / 小川未明(著)
しかし他の食物について見ても柔かいものを好むといふ傾向が一般に甚だしくなつて来た事が分る。現に旅籠屋はたごやの飯が段々柔かくなつたのは近来の事である。
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
新二郎 杉田さんが、古新町の旅籠屋はたごやが並んどる所を通っとると、前に行く六十ばかりの老人がある。
父帰る (新字新仮名) / 菊池寛(著)
また馬車があっても無銭ただでは乗れませぬから、ある旅籠屋はたごやの亭主に向い、「私はボストンまで往かなければならぬ、しかしながら日が暮れて困るから今夜泊めてくれぬか」
後世への最大遺物 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
兄の次郎は九つで、馬喰町ばくろちょう旅籠屋はたごやに奉公していた。彼も前借がかさむため、そこが三度めの奉公であったが、自分では一文の小遣も自由にならない、と不平を云っていた。
昼は賃仕事に肩の張るを休むる間なく、夜は宿中しゅくじゅう旅籠屋はたごやまわりて、元は穢多えたかも知れぬ客達きゃくだちにまでなぶられながらの花漬売はなづけうり帰途かえりは一日の苦労のかたまり銅貨幾箇いくつを酒にえて
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
かいなでの田舎の旅籠屋はたごやとちがつた、古い都会らしい趣味の頽廃気分があつたからで、彼は庭の植込みのあひだを潜つて、飛石づたひに、一棟離れた茶室に案内されたとき
倒れた花瓶 (新字旧仮名) / 徳田秋声(著)
町もまたここから急に広く、繁華もまた城下第一と見え、随って旅人の群も虫のに集るごとくに自ずとつどうらしく、両側は殆んど軒並と言っていい程の旅籠屋はたごやばかりです。
三上と、小倉とは、その凍寒と、飢餓とからのがれるために、旅籠屋はたごやか、飲食店かをさがさねばならなかった。彼らは、それ以上、寒さにも飢えにもえ切れないように感じた。
海に生くる人々 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
今年出入りの八百屋が、来年奥州街道の旅籠屋はたごやにて腹痛の介抱してくれることもあらん。
学問のすすめ (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
私達は汽車をおりると、駅前のとある旅籠屋はたごやに入り、少し休ませて貰いたいといって、奥まった一室を借り受けました。隣室に客のいる様子もなく、密談にはおあつらえ向きの部屋です。
湖畔亭事件 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
一つの町——大さう大きな町——で、馬車はとまつた。馬がはづされて、乘客たちは、晝食のためにりた。私は、旅籠屋はたごやへ連れて行かれた。そこで、車掌は、私に食事をすることをすゝめた。
旅籠屋はたごやの主人という、変わった経歴の龍造寺主計は、見ていると面白いほど、相手と場合によって、さむらいになったり宿屋の亭主になったりして、それがまた、何ら不自然な感じを見せずに
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
天滿與力てんまよりき何某なにがしが、門前もんぜん旅籠屋はたごやとまり、大醉たいすゐして亂暴らんばうし、拔刀ばつたう戸障子としやうじやぶつたが、多田院ただのゐん寺武士てらざむらひ劍術けんじゆつらないので、おさへにくことも出來できなかつたといふはなし
死刑 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
その加減かどうか、馬喰町には大きな旅籠屋はたごやが多く残っていた。
挙句あげくが江戸の馬喰町ばくろちょうに落付いて旅籠屋はたごやの「ゲダイ」となった。
かくて私は旅籠屋はたごやの、ボロ看板となつたのだ。
しめやかにこの日もれぬ、北国きたぐにの古き旅籠屋はたごや
邪宗門 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
旅籠屋はたごやの井戸の底に落ちたのを
河添かはぞひ旅籠屋はたごやさびし
孔雀船 (旧字旧仮名) / 伊良子清白(著)
そうしていま女は親戚しんせきに当るこの三輪の町の薬屋(薬屋といっても売薬屋ではない、旅籠屋はたごやである)源太郎の家へ預けられている。
長くは海もながめていられなくて、寛斎は逃げ帰るように自分の旅籠屋はたごやもどった。二階の窓で聞くからすの声も港に近い空を思わせる。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
その千葉秀浦が推也納ウヰンナ旅籠屋はたごやで病死した時、環女史は多くの日本留学生に取纏とりまかれて、倫敦ロンドンで孔雀のやうな気取つた暮しをしてゐた。
「柏屋! ええもう小川で一等の旅籠屋はたごや、畳もこのごろ入換えて、障子もこのごろ張換えて、お湯もどんどん沸いております。」
湯女の魂 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)