まづ)” の例文
手紙の文句はプツリときれてをりますが、その意味は邪念に充ちて、まづい假名文字までが、のろひと怨みに引きゆがめられてゐるのです。
お引請になるのは、何も神様の手並がまづくて、醜女すべたの方が丁度手頃なからでは更々ない。神様は女に哲学を教へようとなさるからだ。
「あ、まづ手付てつき……ああこぼれる、零れる! これは恐入つた。これだからつい余所よそで飲む気にもなりますとつて可い位のものだ」
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
繁代が好んで読んでゐる書物は、大方彼は未だ読んでゐなかつたので、たゞでさへ話のまづい彼は、一層面喰ふことが多かつた。
眠い一日 (新字旧仮名) / 牧野信一(著)
そのうち霜島正一郎しもじましよういちろう先生せんせいになつたものもありますが、便宜上べんぎじようわたしいたまづ素人畫しろうとがもたくさんあるのは、おゆるしをねがふほかはありません。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
まづく行つたとては、喝采し、やれ管がうしたの、やれ誰さんがずぶれになつたのと頻りに批評を加へるのであつた。
重右衛門の最後 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
少し容色きりやうの劣つた姉の方がしきりにまづ仏蘭西フランス語で僕に話し掛けて「日本はわが英国と兄弟の国だ」とか「ゼネラル乃木がうだ」とか愛嬌あいけういた。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
天道様が智慧といふものをおれにはくださらない故仕方が無いと諦めて諦めても、まづい奴等が宮を作り堂を受負ひ
五重塔 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
はゝツ。国王こくわうの作つた詩といふから、結構けつこうな物だらうとぞんじて、手に取り上げますると、王「どうぢやな、自製じせいであるが、うまいかまづいか、遠慮ゑんりよなしにまうせ。シ ...
詩好の王様と棒縛の旅人 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
「舞臺の上がまづくつてみつともなければ、僕はもう決して社へは出ないからな、君の遣りかた一とつで何も彼も失つてしまうんだからそのつもりでゐたまへ。」
木乃伊の口紅 (旧字旧仮名) / 田村俊子(著)
變なかたちをすると、「まづい」と叫ぶ、實にまじめなもので、その聲は自分の聲とはしないのでした。
鏡二題 (旧字旧仮名) / 長谷川時雨(著)
そして、紙箒はたきを持つて兄の机の上の埃を拂ひながら、書物の間に插んである洋紙をのぞいて、まづい手蹟で根氣よく英字を書き留めてゐるのに、感心もし、冷笑を浮べもした。
入江のほとり (旧字旧仮名) / 正宗白鳥(著)
まづいと云ふ点から見れば双方ともに下手まづいに違ない。けれども佐久間大尉のはやむを得ずしてまづく出来たのである。呼吸が苦しくなる。部屋が暗くなる。鼓膜が破れさうになる。
艇長の遺書と中佐の詩 (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
私も仕方なしに承知して、親子はしたゝかまづいゲームをやつてボーイを笑はせたりした。
ある職工の手記 (新字旧仮名) / 宮地嘉六(著)
歌は字と共に寧ろまづかつた。又その歌つてある事の特に珍らしい爲でもなかつた。私を不思議に思はせたのは、脱字の多い事である。誤字や假名違ひは何百といふ投書家の中に隨分やる人がある。
歌のいろ/\ (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
いや、まづい!何といふ劣惡れつあくなもんだえ。何んだツて此様な作を描き上げやうとしてあがいてゐるんだ………骨折損ほねをりぞんじやないか。俺は馬鹿だ、たしかに頭がしびれてゐる。何處に一ツとこがありやしない。
平民の娘 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
伴左衞 どうもおれが些とまづかつたな。千島の奴め。おれの前でも平氣であんなことを云ふやうでは、お千代にも何を云つて聞かせたか判らないぞ。念のためによく詮議して置かなければならない。
正雪の二代目 (旧字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
自分の心持を人に伝へる方法がひどくまづくなつたといふことです。
「あー俺の作つてやつたまづい歌をみんなで歌つてるやうだね。」
突貫 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
「ちよつとまづかつたね。」
のらもの (新字旧仮名) / 徳田秋声(著)
「矢張り親分の仰しやつた通り、百兩出せと言つて手紙が來ましたよ、少し手跡が違ふやうでしたが相變らず鼻紙へ書いたまづい字で」
だが、高木氏の考へは少しまづかつた。そんな事を教へて今の紳士達がすつかり達者になつて、長生ながいきでもしたらうするつもりだらう。
文部省の留学生某の彼を推讃したまづい歌やで一ぱいに成つた厚い手帳を出して見せ、莞爾にこ/\として得意さうである。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
まづうまいとまうすは二のだんにいたしまして、これは第一に詩といふものになつてりません、御承知ごしようちとほり、詩とまうしまするものは、必らずゐんをふまなければならず
詩好の王様と棒縛の旅人 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
『ドストイエフスキーの文章のまづいのは、文章は何うでも好い人の議論の弁護にはならない。ドストイエフスキーにして文章が上手ならば、一層すぐれた作者になる』
尾崎紅葉とその作品 (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
明日あしたは用が有つて行かなければならんのだから、持つて行かんとまづいて。未だ有つたね、無い? そりや可かん。一枚も無いんか、そりや可かん。それぢや、明後日あさつて写しに行かう。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
まへには日本製につぽんせいかゞみ支那製しなせいくらべて非常ひじようまづかつたのが、この平安朝へいあんちようから足利時代あしかゞじだいになつて、支那しな同時代どうじだいかゞみくらべて、かへってうま出來でき、なか/\すぐれたところがあるのであります。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
まあ、みつともない、自分が作つた取るに足りないまづい歌などを、それを
青白き公園 (新字旧仮名) / 牧野信一(著)
『僕なら、さうだね。——假に言ふとすると、まあさうだね、兎に角「大きい手」とは言はないね。——冷い鐵の玉を欲しいね、僕なら。——「玉」はまづいな。「鐵の如く冷い心」とでも言ふか。』
我等の一団と彼 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
東菊あづまぎくによつて代表された子規の畫は、まづくてかつ眞面目である。
子規の画 (旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
まづい字だなア、よし/\、その拙いところがいゝんだよ、——ところで、その手紙を、金座の石井の店へ投り込むんだ、ついでにやつてくれ」
出品をじろりと一べつして「まづいな」と顔をしかめて吐き出すやうに言ふが、さういふ口の下から、落款の「石井柏亭」といふ文字が目につくと
一体に国人の話す仏蘭西フランス語は僕等に仏蘭西フランス人のよりも聞取きゝとりよい。此方こちら先方さきに劣らずまづいのだが、双方で動詞の変化などを間違へながら意思が通じ合ふから面白い。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
わたしの通されたへやは、奥の風通しのい二階であつた。八畳の座敷に六畳の副室があつた。衣桁えかうには手拭が一すぢ風に吹かれて、まづ山水さんすゐふくが床の間にけられてあつた。
父の墓 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
模樣もようまづ意匠いしようのまづいものになつてしまつたのは、不思議ふしぎなことであります。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
滝は、自分の説明の仕方がまづいからかしら、などゝも思つた。
昔の歌留多 (新字旧仮名) / 牧野信一(著)
まづところ幾重いくへにもおわびをいたしてべんじまする。
西洋の丁稚 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
踊つて歌つて、下手な俳諧をひねつて、まづい席畫を描いて、お月樣が顏負けのする程騷いで、宴を閉ぢたのは十三夜の月が中天に昇つた亥刻よつ(十時)頃。
まづい洒落だが、それでも納得出来れば無いよりはましだ。丁度田舎者の腹痛はらいた買薬かひぐすりで間に合ふやうなものだから。
しかし表現の仕方がまづいから、寓言にしかなつてゐないと言ふなら、それも致方いたしかたがない。
或新年の小説評 (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
「毒酒を入れた徳利はそのまづい觀世縒で縛つてあつたんです。それと入れ替へた本物の徳利は河へ捨てたんでせう」
どんなまづいものをでも板にのぼせてゐるので、一つ二つ自分の作が演ぜられると、もういつぱしの劇作家か何ぞのやうに気取つたものの言ひ様をする新作家が
一体が美術家には思ひ切つた悪食をするてあひが少くない。少々位技術はまづくとも、づば抜けた悪食の出来る男なら、先づ美術家としての資格には欠けない筈だ。
うまい細工だが、自分だけが淺川團七郎を知つて居ると言つちやまづいから、田舍からポツと出のお米をだまして、矢張り淺川團七郎を見たと言はせた、——それが拙かつた
中野氏はその時分、英語の会話こそまづかつたが、自分は国士を以て任じてゐたのでアメリカまで来て、女に耳を引張られようなどとは少しも思ひがけなかつた。
まづい物を彫つて居りましたので、伜のめいで私の作を、三年越世間に出したので御座います。
銅像は彫塑家の手際でうかすると、まづいものが出来上るが、樹木はどんな場合にも傑作となるものだ。
あれは本當の惡黨さ、——自分でなぞ呪文じゆもんを書いて置きながら、用人に、耶馬臺やばだいみたいだ——つて言つたさうだ。誰かに讀んで貰はなきや困るが、自分で讀んぢやまづかつたのさ。
附近あたりに立聴きをする神様は居ないし、幾らお説教がまづかつたところで、聴衆ききては耳に手をやつて、波のなかに飛び込む訳にも往かないしするから、牧師は落つき払つて
平次は伊太松から渡された半紙一枚の手紙を開くと、相變ずのまづい假名文字で