悲哀ひあい)” の例文
半次郎はんじらうが雨の怪談くわいだんに始めておいとの手を取つたのも矢張やはりかゝる家の一間ひとまであつたらう。長吉ちやうきちなんともへぬ恍惚くわうこつ悲哀ひあいとを感じた。
すみだ川 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
ここでは旧套きゅうとうの良心過敏かびん性にかかっている都会娘の小初の意地も悲哀ひあい執着しゅうちゃくも性を抜かれ、代って魚介ぎょかいすっぽんが持つ素朴そぼく不逞ふていの自由さがよみがえった。
渾沌未分 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
日本が西洋臭くなり日本の文化や風俗やが、日々にますます欧米化して来ることは、ヘルンにとってしのびがたい悲哀ひあいであった。
見えぬのは目ばかりでなく、心もうれいの雲にとじられているのであろう。なんともいえぬ、悲哀ひあいのこもったつぶやきである。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして、そうした悲哀ひあいに満ちた感覚が、なんとも言えずうれしかったのだ。わたしはそれに夢中むちゅうになっていたのだ! ……
はつ恋 (新字新仮名) / イワン・ツルゲーネフ(著)
しておもてて、またつきのないそらながめたときは、そのふかくろいろもとに、なんともれない一種いつしゆ悲哀ひあい物凄ものすごさをかんじた。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
ツルゲーネフの悲哀ひあいは、そのやわらかみと悲劇性のすがたにおいて、本質的にスラヴ民族の憂愁であり、スラヴ民謡みんようのあの憂愁に、じかにつながっている。
「はつ恋」解説 (新字新仮名) / 神西清(著)
夜着よぎえりよごれていた。旅のゆるやかな悲哀ひあいがスウイトな涙をさそった。かれはいつかかすかにいびきをたてていた。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
ふえく……とみなおもつた。ふえもあるかぎ悲哀ひあいめて、呼吸いきつゞくだけながく、ほそさけぶらしい。
霰ふる (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
しか他人たにんいたむ一にち其處そこ自己じこのためには何等なんら損失そんしつもなくて十ぶん口腹こうふくよく滿足まんぞくせしめることが出來できる。他人たにん悲哀ひあいはどれほど痛切つうせつでもそれは自己じこ當面たうめん問題もんだいではない。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
今までの悲哀ひあいや苦痛はもとより其によツて少しもげんぜられたといふわけではないが、蔽重おつかさなツたくもあひだから突然とつぜん日のひかりしたやうに、前途ぜんと一抹いちまつ光明くわうめうみとめられたやうに感じて
虚弱 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
恢復期くわいふくきの精神病患者がかぎりなき悲哀ひあいの Irony に耽けるやうに
東京景物詩及其他 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
スポオツでなにもつかみ得なかった悔恨かいこんが、彼の心身をむしばんでいるさまがありありと感ぜられ、外では歓呼の声や旗の波のどよめきがうしおのようにひびいてくるままに、なにかスポオツマンの悲哀ひあい
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
悲哀ひあいを通して我々はきよめられるのです。苦痛を経由けいゆして我々は智識に達するのです。敬愛する夫人よ、先生はあなたの良人御家族の父君で御いででしたが、また凡そ先生を信愛する者の総ての父でした。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
お前はまるで、この宇宙のあらゆる財宝を、ひとりめにしているかのようだ。憂愁ゆうしゅうでさえ、お前にとってはなぐさめだ。悲哀ひあいでさえ、お前には似つかわしい。
はつ恋 (新字新仮名) / イワン・ツルゲーネフ(著)
この寂寞せきばくこの悲哀ひあいなぐさめるめに、長吉ちやうきちは定めがた何物なにものかを一刻いつこく/\に激しく要求してまない。
すみだ川 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
小初は急に突きのめされるような悲哀ひあいおそわれた。自分の肉体のたった一つの謬着物こうちゃくぶつをもぎ取られて、永遠に帰らぬ世界へ持ち去られるような気持ちに、小初は襲われた。
渾沌未分 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
理合きめあらいのに、皮膚の色が黄ばんで黒い——何方どちらかと謂へば營養不良えいやうふりやうといふ色だ。せまツた眉にはんとなく悲哀ひあいの色がひそむでゐるが、眼には何處どことなく人懷慕ひとなつことこがある。はゞ矛盾むじゆんのある顏立だ。
青い顔 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
そのさみしいきのうちに、一種いつしゆあま悲哀ひあいあぢはつた。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
歓楽くわんらくがくよ、なやふ甘き悲哀ひあい
第二邪宗門 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
翌日あくるひ午後ひるすぎまたもや宮戸座みやとざ立見たちみ出掛でかけた。長吉ちやうきちは恋の二人が手を取つてなげく美しい舞台から、昨日きのふ始めて経験したふべからざる悲哀ひあいの美感にひたいと思つたのである。
すみだ川 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
見ると彼女の顔はさおで、なんとも言えず痛ましい悲哀ひあいと、深いつかれの色が、目鼻だちのくまぐまに刻まれているので、わたしは心臓がめつけられるような気がして、思わずこう口走った。
はつ恋 (新字新仮名) / イワン・ツルゲーネフ(著)