履物はきもの)” の例文
彼はいきなり靴を脱いで玄関に上ったが、流石さすがにあわてていたので、そこの土間に山野夫人の履物はきものが見えないことを気づかなかった。
一寸法師 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
渡瀬はやむを得ずそこに突立って自分の下駄と新井田氏が脱ぎ捨てた履物はきものとを較べなどしていた。その時頭のすぐ上で突然音がした。
星座 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
米、味噌、醤油、酒、油、反物、筆墨、小間物、菓子、瀬戸物、履物はきもの類、その他の日用品をひさぐ店が、ずらりと櫛比しっびしているのだ。
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
このシゴキがお梶様の持ち物だったのと、その場に残された死人の履物はきものが、お梶様のものと本人のものと片々ずつになっておった。
不連続殺人事件 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
兎にも角にも、履物はきものを突つかけて、生垣の外へ廻ると、杵太郎とお葉の退路を遮斷しやだんしたらしく、何やら激しく言ひ合つてをります。
傘や履物はきもの調ととのえさせて長屋へ戻って行くが、玄蕃は江戸詰の小者にまだ知られていないので、やや当惑しているのだという風が読めた。
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼はにはかに心着きて履物はきものあらため来んとて起ちけるに、いで起てる満枝の庭前にはさきの縁に出づると見れば、傱々つかつかと行きて子亭はなれの入口にあらはれたり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
仲人なこうど履物はきものきらしといって、然う一遍じゃ納まらない。これからだ。しかし話のよく分る御夫婦だから、わしも張合がある」
勝ち運負け運 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
主人はあんじょう、「御出かけで」と挨拶あいさつした。そうしていつもの通り下女を呼んで下駄箱げたばこにしまってある履物はきものを出させようとした。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
また履物はきもの黒塗くろぬりりのくつみたいなものですが、それはかわなんぞでんだものらしく、そうおもそうにはえませんでした……。
背にかついでる大きなこりの中には、あらゆる物がはいっていた、香料品、紙類、糖菓類、ハンケチ、襟巻えりまき履物はきもの罐詰かんづめこよみ小唄こうた集、薬品など。
とげのあるつる草が、娘の履物はきものを引きさきましたが、そんなことにはかまわずに、娘はいそいで先へ進んでいきました。
聞きましたら、目を閉じたまま、「ああ行っておいで」と仰しゃるので、喜びはしましたが、お婆さんが鼻緒を直していますので、履物はきものがありません。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
えり引き合わせ、履物はきものをぬぎすてつつ、浪子は今打ち寄せし浪の岩に砕けて白泡しらあわたぎるあたりを目がけて、身をおどらす。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
土田正三郎は履物はきものの爪先で、地面に散っている落葉を掻きわけた。ひっそりとした墓地の中で、落葉の触れあう乾いた音が、おどろくほど高く聞えた。
饒舌りすぎる (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
暗うならんうちに家い帰れといつても、おお※おお※と泣いてをるばつかですから、つれて来ました。履物はきものも何処でぬぎすてたんだか、はだしでした。
良寛物語 手毬と鉢の子 (新字旧仮名) / 新美南吉(著)
帽子を買ふ時には自分の頭にかぶつてみる。履物はきものを買ふ時には自分の脚に穿いてみる。そして男女問題は真先に自分の細君に当てはめて考へてみる事だ。
主人あるじは大声に呼んで、手早く庭の乾し物、履物はきものなどを片づける。裏庭では、婢が駈けて来て洗濯物を取り入れた。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
履物はきものの類では同じ町に見かける阿檀葉あだんば草履ぞうりを挙げねばなりません。よくいぶして海水で洗いますが、これを繰り返すこと二十年にも及ぶものがあります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
始め履物はきもの全部がちゃんとしているの。だのに、家中どこを探しても雪子さんの姿が見えないの。変てこでしょう
四次元漂流 (新字新仮名) / 海野十三(著)
「あれほどワヤクな捨様でも、東京へ出て修業すればこれだ。まあ、俺の履物はきものまで直して下すったそうな——」
桜の実の熟する時 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
と言っているうちに玄関へ来ると、お角が女中たちに先立って、この美少年のために履物はきものを揃えてやりました。
大菩薩峠:32 弁信の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
王成は承知して品物をふくろに入れて出発したが、途中で雨に遇って、着物も履物はきものもびしょ濡れになった。王成は平生苦労をしたことがないから弱ってしまった。
王成 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
この家の下男がとんで来て履物はきものをそろえた。沓脱くつぬぎ石の上でそれをつっかけながら、左手に握っている刀のさげ緒を右手でびんびん引っぱっているのであった。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
感覚が全然ないのであろう、どろのついた履物はきもののままずかずかと房内に入りこむのは始終のことであった。
(新字新仮名) / 島木健作(著)
その一間きりらしい家の中では、老父が一人きり、私達を見ても無言のまま、せっせと自分の仕事に向っていた。それは履物はきものに畳表を一枚々々つける仕事だった。
幼年時代 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
手早く眼をやった玄関の敷石の上にも、夫人の履物はきものらしい履物は脱ぎ捨てゝはなかった。信一郎は、少しは救われたように、ホッとしながら、玄関へ入ろうとした。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
青衿あおえりをつけた麻の着物をまとい、髪さえろくにとかさず、履物はきものもはかないではだしでいたが、その顔は満月のように美しくかがやき、笑うと花が咲きかがやくようで
貴方あなた申しお供さん、お気を附けなさらないといけませんよ、貴方ね、此方こちらは下足番の有るのを御存じないものですから、履物はきものを懐へ入れて梯子段をあがろうとした処を
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
「この空気!」とたかしは思い、耳をそばだてるのであった。ゾロゾロと履物はきものの音。間を縫って利休が鳴っている。——物音はみな、あるもののために鳴っているように思えた。
ある心の風景 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
そで履物はきものも夜露にぬれ、筒井はちいさいくさめをしたほどだった。彼らはやっとけた星を見上げた。
津の国人 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
川舟には、どれも、きれいな茣蓙ござが敷いてある。街の人たちは、男女老若、指図にしたがい、履物はきものを手に持って、乗りこむ。舟底に、坐る。親船は一段と大きく、高い。
花と龍 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
垢づきよごれた襤褸ぼろをまとい、履物はきものさえはいていなかったが、体つきには高雅な品があった。
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
例えば衣服一つだけについて見ても、汽車や電車の乗合のりあい、その他若干の人の集りに行けば、髪から履物はきものから帯から上衣うわぎまで、ほとんと目録を作ることも不可能なる種類がある。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
かけければ天一坊は常樂院を見るにはやくつを脱たりまた後を振返り伊賀亮左京をもみるに何も履物はきものを穿ざれば天一坊も沓をぬぎ捨ける夫より案内に從ひ行き遙か向を見れば一段高きとこ
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
そういった人間の原始的功利の考えがこどもの好奇心の頭をもたげさせやすいのかとも考える。しかしそれならなんの履物はきものででもあれ、その上を渡りさえすれば気が済む筈である。
(新字新仮名) / 岡本かの子(著)
出口へ出るとそこでは下足番の婆さんがただ一人落ち散らばった履物はきものの整理をしているのを見付けて、預けた蝙蝠傘こうもりがさを出してもらって館の裏手の集団の中からT画伯を捜しあてた。
震災日記より (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
「まあ私は御免をこうむろう。——杉、杉、和泉屋さんのお履物はきものを直して置いたか。」
戯作三昧 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
雪江さんは一ツ橋のさる学校へ通っていたから、朝飯あさはんを済ませると、急いで支度をして出て行く。髪はいつも束髪だったが、履物はきものせいが低いからッて、高い木履ぽっくりを好いて穿いていた。
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
きょうは、お金も、すこしあるから、思い切って私の履物はきものを買う。こんなものにも、今月からは三円以上二割の税が附くという事、ちっとも知らなかった。先月末、買えばよかった。
十二月八日 (新字新仮名) / 太宰治(著)
お前がちゃんとおとなしく御徒町の家にいた日にゃ途中でったって話も出来ないわけなんだ。そうだろう。乃公おいらは女房や子供をすてた罰で芸者家からもとうとうお履物はきものにされちまった。
雪解 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
皮細工・藁細工・竹皮細工などのことを云ったものであろう。ともかく彼らは人の扱うを穢れとした皮革、人の足に踏む履物はきものなどの細工をして、世人から賤しいものと見られたのである。
エタ源流考 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
履物はきものも履きませず、はぎもあらわに崖ぷちへたたずみ乍ら、じいっと谷底を覗いていたかと思うと止めるひまも声を掛けるひまもないうちに、ひらりと飛込んで了ったと言うので厶りまするよ。
十万石の怪談 (新字新仮名) / 佐々木味津三(著)
私にはそのほかにどんなよそゆきの持ち合せもなかったのだ。「前田山」は頬をほてらせてみせの中へ入っていった。私はもう上気していて、履物はきものを脱いでしまったような気持になっていた。
朴歯の下駄 (新字新仮名) / 小山清(著)
向河岸の方を見ると、水蒸気に飽いた、灰色の空気が、橋場の人家の輪廓りんかくをぼかしていた。土手下から水際みずぎわまで、狭い一本道の附いている処へ、かわるがわる舟を寄せて、先ず履物はきものおかへ揚げた。
百物語 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
クリスマスの晩暖炉の中に履物はきものを置いておいて、親切なおじいさんがりっぱな贈物を持ってきてくれるのを暗やみのうちに待つという、あのおもしろい古くからの子供の習慣を、彼はその時思い出した。
調べて見ると、外出着もちゃんと揃っているし、履物はきものも一足も紛失してはいない。まさか若い女がはだしで外出したとは思われぬ。
恐怖王 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
しかたがないので、仲間がその履物はきものを拾い上げて、ふところへ入れたとき、さむらいのすがたは、もう人をかきわけて消えていた。
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
と、すぐ次の小部屋のふすまの下で、お幸のすすり泣きの声が聞えていたのである。弥兵衛老人は、もう履物はきものの上に片脚を下ろしていたが
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「私でございました。内儀おかみさんが昨夜から居ないといふのに、藏の戸前の外に、内儀さんの履物はきものがキチンと揃へて脱いでありましたので」