さじ)” の例文
が、それを持って来て、こっそりその日の夕飯後に供すると、良人、二口三くち食べたかと思うと、たちまち不味まずそうにさじを捨てて
字で書いた漫画 (新字新仮名) / 谷譲次(著)
すると突然、私のうちに誰にともつかない怒りがこみ上げてきた。しかし私はいかにもつつましそうにスウプのさじを動かしていた。……
菜穂子 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
同じではない理由を云っても君侯の事だった、君言をもって、やらせておけというのでは老臣もさじを投げて拱手きょうしゅしているほかはない。
(新字新仮名) / 吉川英治(著)
唯識ゆいしき三年倶舎くしゃ八年」などと気長のことばかりをいい立てて、さらに時弊に応じて教義を調合するさじ加減を知らざる風情であります。
おばけの正体 (新字新仮名) / 井上円了(著)
それがに余るようになれば、いくら人の好い庄造だって黙っていられないであろうし、おりんにしてもさじを投げるにきまっている。
猫と庄造と二人のおんな (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
四角にきった豆腐の真中まんなかさじの先でくり抜いてその中へ玉子の黄身のザット湯煮ゆでたのを落してそれをそうっと沸湯にえゆで湯煮て別にくずの餡を
食道楽:春の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
敬太郎と顔を合せた時、スープの中にさじを入れたまま、すする手をしばらくやめた態度などは、どこかにむしろ気高い風を帯びていた。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
犯人はもちろん、奇怪なことには、被害者さえも、実ははっきりとは分っていないのであります。警察では、最早もはさじを投げています。
湖畔亭事件 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
指程の腸詰ソーシッソン十八を白葡萄酒で煮て冷してからさじでくずす。マデール葡萄酒で煮た同量の肝臓脂肪フォア・グラと前のくずした腸詰とを一緒にこねる。
食魔に贈る (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
何となればニードハムの針鰻はりうなぎは神の無用を証明するのだから。一さじ捏粉こねこのうちに酢の一滴をたらせば、それがすなわち光あれフィア・リュクスである。
『ハイ。』と答へて、薬局生はさじを持つた儘中に入つてゆく。居並ぶ人々は狼狽うろたへた様に居住ひを直した。諄々くどくどと挨拶したのもあつた。
鳥影 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
喜「拙者が持って参った水飴が毒じゃと申すのか、ムヽウ……それじゃア斯う致そう、拙者がお毒味を致そう。かみさじを拝借致します」
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
私は「銀のさじ」の原稿をもってそばへいって机にむかう。妹はまじまじと私の顔をみたり、うとうととらくそうに眠ったりする。
妹の死 (新字新仮名) / 中勘助(著)
けれどもこれまではどんな些細ささいなことでもうちあけあい、相談しあって来たんです、本当に一皿の塩、一とさじの醤油も分けあって来たのに
赤ひげ診療譚:06 鶯ばか (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
成瀬屋に着いた時は、平次が恐れたように、お町はもう頼み少ない姿で、医者もすっかりさじを投げ、時の経つのばかり待っておりました。
「少しも滋養物がれぬので一番困ります。」と言った。居士はさじの牛乳をも摂取せぬことが既に幾日か続いているのであった。
子規居士と余 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
医師はとうにさじを投げていたが、源三郎に会わぬうちは……という老先生の気組み一つが、ここまでもちこたえてきたのだろう。
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
さじ加減や見立違ひで人を殺しておいて詫言わびごと一つ言つた事のない医者にとつて、謝りに来るのは、魂を嘔吐はきだすよりも苦しかつたに相違ない。
女は、女中が先ほど持ってきた白い西洋皿に盛った真紅な苺の実を銀のさじでつつきながら、おとなしく口に持っていっている。
黒髪 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
置きね置きねなど言ひはなし候様は、あたかも名医がさじを投げたる死際しにぎわの病人に対するが如き感を持ちをり候者と相見え申候。
歌よみに与ふる書 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
それから、なんのためにか、いきなりテーブルの上のさじをかき集めにかかった。騒々しい物音と叫び声が起こった。子供たちは泣き出した。
葉子は凶器に変わったようなその手を人に見られるのが恐ろしかったので、茶わんとさじとを食卓にかえして、前だれの下に隠してしまった。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
まあまあその頃、土地第一という先生までさじを投げてしまいました。打明けて、父が私たちに聞かせるわけのものじゃない。
薬草取 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
だがKは夫人をためしたのだったので、考えこんだようにさじでコーヒーをかきまわし、黙っていた。それから彼女のほうに顔を上げて言った。
審判 (新字新仮名) / フランツ・カフカ(著)
作者は銀のさじの冷たい感触が好きだと云つて居る。其れは丁度理智と云ふものが自分の感情の中で目を上げる時のやうな気持で嬉しいのである。
註釈与謝野寛全集 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
上下動何寸、水平動何寸という大ゆれのほかに、このような複雑な大震動がまじっていた事を思えば、東大の地震計がさじを投げたのも無理はない。
東京人の堕落時代 (新字新仮名) / 夢野久作杉山萠円(著)
叔母は主人のいない時に、綺麗なその部屋部屋へ入れて見せた。食堂の棚から、銀のさじや、金の食塩壺、見事なコーヒ茶碗なども出して見せた。
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
ボーイが、船長にボースンの伝馬が見えると報告した時の、彼のおこり方の気持ちや、態度を説明するのには、さじを投げる。
海に生くる人々 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
丁度、二人の眼と眼の間に死が現われでもするかのように。彼は食事の時刻が来ると、黙ってさじにスープをすくい、黙って妻の口の中へ流し込んだ。
花園の思想 (新字新仮名) / 横光利一(著)
こんなことを言って、細くせた左の手で肉叉ホオクさじを持添えながら食った。宗蔵ははしが持てなかった。で、こういうものを買って宛行あてがわれている。
家:01 (上) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
医者はさじを投げたようだった。祖父じいさんと祖母ばあさんとはそのわきにしょんぼりと座ってただ黙々としていた。私は泣いた。
これも少し変だとのぞきこむと、その手頃の五尺ばかりな青竹の上へ、道庵がお手前物の薬を盛るさじを一本、しきりに結びつけているものですから
大菩薩峠:32 弁信の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
ルピック夫人は、さじで少しずつ、息子むすこの口へ入れてやる。彼女は、横目で、兄貴のフェリックスと姉のエルネスチイヌに、こういっているらしい——
にんじん (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
かかる議論ぎろんにまるでこころあっしられたアンドレイ、エヒミチはついさじげて、病院びょういんにも毎日まいにちかよわなくなるにいたった。
六号室 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
警部も、今はさじを投げてしまいました。それから沈黙の数分が過ぎてゆきました。その間というものは建物の中がまるで死の国のような静けさです。
崩れる鬼影 (新字新仮名) / 海野十三(著)
まだただの一度もさじを投げたことがないというあの時の探偵の言葉を思い合わせて、なるほどモネス探偵は外部からそしてあの敏腕な助手は内部から
陰獣トリステサ (新字新仮名) / 橘外男(著)
氏は言語学者チェムバレン氏が一種不可解の韻文としてさじを投げた『おもろさうし』の研究に指を染め、その助けをかりて古琉球を研究しようと試みた。
「古琉球」自序 (新字新仮名) / 伊波普猷(著)
すると奥さんは椅子があると思って腰を下して、さじを持ったまま尻餅をいた。幸い人間だったから宜かったが、し瀬戸物だったら壊れて了ったろう。
いたずら小僧日記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
主人は入費をおしまないで、まちの名医と云う名医にかけたが、いずれも手のつけようがないと云ってさじを投げた。
妖蛸 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
かくして、この事件は全く迷宮にはいってしまい、警視庁でも、所轄署でも、さじを投げた形になってしまった。
誰が何故彼を殺したか (新字新仮名) / 平林初之輔(著)
スープなんぞは、さじを運ぶことの急しいこと、見る見るうちに空になる。ライスカレーも、ペロペロッと——
食べたり君よ (新字新仮名) / 古川緑波(著)
こう自分ではいったけれど、知覚精神を失った最後の数時間までも、薬餌やくじをしたしんだ。さじであてがう薬液を、よくくちびるに受けてじゅうぶんに引くのであった。
去年 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
重湯おもゆより食べられなくなっていたある時、おしまいの一口になって、ひょっとしたはずみにさじを火鉢の中へ落した実枝は、茶碗のままいねの口へ注ぎこんだ。
(新字新仮名) / 壺井栄(著)
和達さんというアンチモニーのさじを初めて拵えた半分商人で半分職人の人がよく来て、家では歓迎した。
回想録 (新字新仮名) / 高村光太郎(著)
貴嬢きみが掌に宝丹移せし時、貴嬢きみは再びわが顔を打ち守りたまいぬ、うるみたる貴嬢の目の中には、むしろ一さじの毒薬たまえむごき君とのたもう心あざやかに読まれぬ。
おとずれ (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
グラチアははっとして、スープざらの中にさじを取り落し、自分と従姉いとことにスープをはねかけた。コレットは、行儀よく食卓につく教えをまず受けるべきだと言った。
先生の食欲ばかりもっぱら観察していたが、猛烈な速力で、一度さじをとりあげると口と皿の間を快速力で往復させ食べ終るまで下へ置かず、僕が肉を一きれ食ううちに
日本文化私観 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
武男が母は昔気質かたぎの、どちらかといえば西洋ぎらいの方なれば、寝台ねだいねてさじもて食らうこと思いも寄らねど、さすがに若主人のみは幾分か治外の法権をけて
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
かちやりと云つたのは、珈琲コオヒイさじが手から皿の上へ落ちた音らしい。自分は黒いモオニングを着た容貌魁梧くわいごな紳士と向ひ合つた儘、眼をいて夢を見てゐたのである。
饒舌 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
見てあはせんと一日のがれの挨拶もせんつまつて長庵がさじ加減かげんにさへ廻り兼姉のお文に逢せなば必ずお富が居る事故出て來るは必定ひつぢやう外の内へ賣ればよかりしに近來ちかごろになき失策しぞこなひ
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)