剃髪ていはつ)” の例文
旧字:剃髮
山吹は、わしが庵室へかくれて剃髪ていはつしたいというが、親鸞は今、かくの通り、流人の身のうえ。——朝命に対して、はばかりあること。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして武州家滅亡のゝちに剃髪ていはつして尼となり、何処かの「片山里かたやまざとに草のいおりを結んで、あさゆう念佛ねんぶつを申すよりほかのいとなみもなかった」
クリクリ坊主にさせたいからじゃ。是が非でも出家にさせねばならぬ必要があるゆえ、そちが一世一代の手管てくだを奮って、うまうまと剃髪ていはつさせい
その翌日剃髪ていはつします時分にひげも一緒に剃ってくれと言いましたところが、私の頭髪かみを剃った坊さんが大いに驚いて冗談言っちゃあ困ると言う。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
江戸城西丸の新築工事ができ上がる日を待つと見えて、剃髪ていはつした茶坊主なぞが用事ありげに町を通り過ぎるのも目につく。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
其上、綱宗は品川の屋敷に蟄居ちつきよして以来、仙台へは往かずに、天和てんな三年に四十四歳で剃髪ていはつして嘉心かしんと号し、正徳しやうとく元年六月六日に七十二歳で歿した。
椙原品 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
明日ありと思う心の仇桜あだざくら、など馬鹿ばかな事をわめいて剃髪ていはつしてしまいまして、それからすぐそっと鏡をのぞいてみたら、私には坊主頭ぼうずあたまが少しも似合わず
新釈諸国噺 (新字新仮名) / 太宰治(著)
太上天皇は剃髪ていはつして沙弥しゃみ勝満と名のられ、まつりごとの中枢より離れたわけであるが、藤原氏一族による不如意ふにょいの事もあったように後世史家は語っている。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
髪を切って尼そぎにした女は、其も二三度は見かけたことはあったが、剃髪ていはつした尼には会うたことのない姫であった。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
そなえたる少年、とし二十に余ることわずかなれば、新しき剃髪ていはつすがたいたましく、いまだ古びざる僧衣をまとい、珠数じゅずを下げ、草鞋わらじ穿うがちたり。奥の方を望みつつ
道成寺(一幕劇) (新字新仮名) / 郡虎彦(著)
また、その項には、——十一月、忠茂は剃髪ていはつして好雪と称し、「これからは伊達家の事にはいっさい関係しない」
(帽子を脱ぐ、ほとんど剃髪ていはつしたるごとき一分刈いちぶがりの額をでて)や、西瓜と云えば、内に甜瓜まくわうりでもありますまいか。——茶店でもない様子——(見廻す。)
夜叉ヶ池 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
湯棺がをはると、今度は剃髪ていはつが始まつた。法被はつぴを着た葬儀屋の男が、剃刀かみそりを手にして、頭の髪をそりはじめた。髪は危篤におちいる前に兄の命令で短く刈られてあつた。
町の踊り場 (新字旧仮名) / 徳田秋声(著)
伊勢の国相可おうかという里に、拝志氏はやしうじという人がいたが、はやく家督を嗣子にゆずって、べつにこれという不幸があったわけでもないのに剃髪ていはつし、名を夢然むぜんとあらため
それを聞くと二人は喜んで帰って往ったが、翌日になって女が移って来たので、住持が最初はさみを入れ後は名音の手で剃髪ていはつした。其の女は玉音ぎょくおんという法名が与えられた。
法華僧の怪異 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
今まで、どうしても出家を許さなかった両親も、あまり少年の必死な望みにとうとう我を折った。村の松蔭寺で単嶺という老僧を師匠に頼んで、岩次郎を剃髪ていはつさせた。
宝永噴火 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
重景は、自らもとどりを切って捨てると、滝口入道に剃髪ていはつを頼んだ。これを見ていた石童丸は、彼も八つの年からご奉公した者であったから、いさぎよく髪を切った。
月日たつにつれ自然出家しゅっけの念願起りきたり、十七歳の春剃髪ていはつ致し、宗学修業しゅぎょう専念に心懸こころがけあいだ、寮主雲石殿も末頼母たのもしき者に思召おぼしめされ、ことほか深切しんせつに御指南なし下され候処
榎物語 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
貴方がお亡くなり遊ばしたという事をお聞き遊ばして、お嬢様はおいとしいこと、剃髪ていはつして尼に成ってしまうと仰しゃいますゆえ、そんな事を成すっては大変ですから
薩摩の領国りょうごくで一と合戦するつもりなのだろうと、咄嗟の才覚で武具運送の手配をしたわけだが、それはとんだ見込みちがいで、君公は剃髪ていはつして隠居し、家康に誓詞を送って
呂宋の壺 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
はじめ宗房むねふさといへり、季吟翁の句集くしふのものにも宗房とあり。延宝えんはうのすゑはじめて江戸に来り杉風さんふうが家による、(小田原町鯉屋藤左ヱ門)剃髪ていはつして素宣そせんといへり、桃青たうせいのちの名なり。
人数にんずはかのそそくさにこの女中と、他には御飯たきらしき肥大女ふとつてうおよび、その夜に入りてより車を飛ばせて二人ほど来たりし人あり、一人は六十に近かるべき人品よき剃髪ていはつの老人
うつせみ (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
孫一郎モ何トモ云ウコトガ出来ズニ隠居シタガ、後ノ孫一郎ハ十四ダカラ、ミンナオレガ世話ヲシテ、家督ノ時モ一緒ニ御城ヘ連レテ出タ、先孫一郎ハ隠居シテ江雪ト改メテ剃髪ていはつシタ
大菩薩峠:40 山科の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
今は、七十を越して、比丘尼びくにのように剃髪ていはつしている石井とめ女を、途中で見かけたという便りを叔父おじからもらったが、この章を終るまでにたずね出せなかったので、錦子との交錯は不明だ。
田沢稲船 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
くびなどは文字通り猪首である。大黒様のように垂れた耳。剃髪ていはつしても頬髯ほおひげだけは残し、大いに威厳を保っている。胸には濃い胸毛がある。全体の様子が胆汁質で、あぶらっこくて鈍重である。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
剃髪ていはつがえんじないとすれば、必ずペテルブルグへ行ってどこかの大雑誌に関係して、必ず批評欄にこびりついて、十年ばかりはせっせと書き続けるが、結局その雑誌を乗り取ってしまう。
分房はだれのも同一である。皆同じ剃髪ていはつ式を受け、同じ道服をつけ、同じ黒パンを食し、同じわらの寝床の上に眠り、同じ灰の上に死んでゆく。同じ行衣を背につけ、同じなわを腰にしめている。
上皇は剃髪ていはつして法体となり、ひたすら信仰に凝っており、女帝は更に有閑婦人ゆうかんふじんの本能によって、その与えられた大きな趣味、信仰という遊びの中で、伽藍がらんに金を投じ、儀式を愛し、梵唄を愛し
道鏡 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
寺の庫裏くりにたどりついて、ホトホトとそこの雨戸を叩く予定だったのですが、死体を見ると、この地方の習慣と見え、あの古くさい剃髪ていはつの儀式によって、頭も髭も綺麗きれいに剃られていたものですから
パノラマ島綺譚 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
二人の談話は何様どんなものだったか、有ったか無かったか、それも分らぬ。ただ然し機縁契合して、師と仰がれ弟子と容れられ、定基は遂に剃髪ていはつして得度を受け、寂照という青道心になったのである。
連環記 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
かくて高野山に到着、青巌寺を仮の住まいと定め、剃髪ていはつ染衣の身となって道意禅門と号したが、お供の人々も皆これになろうてもとゞりを切った。
聞書抄:第二盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
念仏の功力くりきは、寺へ来ていうからよいというものじゃない、剃髪ていはつして僧侶そうりょになったから、念仏の功力くりきが増すわけでもない。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
長男はやはり吉兵衛と名のったが、のち剃髪ていはつして八隅見山けんざんといった。二男は七郎右衛門、三男は次郎太夫、四男は八兵衛、五男がすなわち数馬である。
阿部一族 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
ラマはやはり仏教の僧侶のように剃髪ていはつして法衣ころもなども着け、そしてその種族中で一番最上の席を占めて居る。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
髪長くして僧貌そうぼう醜しと日ごろ言っている松雲のことだから、剃髪ていはつも怠らない。そこで半蔵らは勝手を知った寺の囲炉裏ばたに回って、直次が剃刀かみそりをしまうまで待った。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
數「おゝ、恐れ入ればそれで宜しい、お秋の方も剃髪ていはつさせ、国へ押込めるつもりだ、さ書け/\」
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
年は光辰より一つ若く、十四歳のときから小小姓こごしょうにあがって、ずっと側近に仕えたらしい。光辰の歿後ぼつご剃髪ていはつして泉阿弥となのり、終生、故君の墓守をしたと伝えられている。
若き日の摂津守 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
養母としゅうとめが死んだ翌年の寛政五年、剃髪ていはつした妻瑚璉を携へて京都へ上つたときは、養母の残りものなど売り払つて、金百七両持つてゐたといふがそれもまたたく間に無くなり
上田秋成の晩年 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
はじめ宗房むねふさといへり、季吟翁の句集くしふのものにも宗房とあり。延宝えんはうのすゑはじめて江戸に来り杉風さんふうが家による、(小田原町鯉屋藤左ヱ門)剃髪ていはつして素宣そせんといへり、桃青たうせいのちの名なり。
母も二十年の悪夢からめ、はじめて母のいやしからぬ血筋を二人に打ち明け、わが身の現在のあさましさを歎き、まっさきに黒髪を切り、二人の娘もおくれじと剃髪ていはつして三人比丘尼びくに
新釈諸国噺 (新字新仮名) / 太宰治(著)
そもそも、始祖は江州ごうしゅうの産、叡山えいざんに登って剃髪ていはつし、石堂寺竹林房如成じょせいと云う。佐々木入道承禎しょうていく、久しく客となっておりますうち、百家の流派を研精し、一派を編み出し竹林派と申す。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
年はもう九十くらい、くりくり頭に剃髪ていはつして、十徳を着て、まだ少し季節が早いのに、大きな火ばちへ火をかんかんとおこしながら、いかにも寒そうにちぢかんで両手をかざしているのです。
北条高時は病のため、執権職をめ、従来も剃髪ていはつではあったが、あらためて法名“崇鑑そうかん”ととなえる、とおおやけに沙汰された。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
目を廻したのだと、療治に二百日あまり掛かるが、これは百五、六十日でなおるだろうといったそうである。戒行とは剃髪ていはつしたのちだからいったものと見える。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
それが終わると、ケンペルのそばに近づいて来て健康の診断を求め、試みに彼の意見を聞きたいという一人ひとり剃髪ていはつの人があった。脈を取ってしらべて見ると、疑いもない健康者だ。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
剣難の相があると云うたにって九歳のおりに出家をげ、谷中南泉寺なんせんじの弟子になって玄道、剃髪ていはつをしてから、もう長い間の事じゃ、其の嘉永のはじめ各藩かくばんにて種々さま/″\の議論が起り
闇夜の梅 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
夫輝勝に仕えて貞淑のほまれ高く、夫の死後は剃髪ていはつして松雪院と称し、実家池鯉鮒家に養われていたが、夫婦の間に子がなかったのでその晩年は殊にさびしく、夫におくるゝこと三年にして世を終った。
将来、彼の行状を一層きびしく監視して、外部との連絡を絶対に遮断するかたわら、折を見て、一日も早く牛若を剃髪ていはつさせてしまうにくはない。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そこで定右衛門と林助とで、亀蔵を坊主にして、高野山こうやさんに登らせることにした。二人が剃髪ていはつした亀蔵を三浦坂まで送って別れたのが二月十九日の事である。
護持院原の敵討 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
どうも貴様は剃髪ていはつする時も厭がったが、出家になる因縁が無いと見える、何故羽生村へ帰りいか、帰った処が親も兄弟もないし、別に知るものもない哀れな身の上じゃないか
真景累ヶ淵 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)