ちん)” の例文
猶長庵に問ふ事ありすでに久八の申立る通りにて相違さうゐあるまじきに猶又小夜衣が申立の趣き彌々いよ/\以て相違有まじ此上にもちんいつはるやとひざ
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
ちんの寝室の戸は破れていた。が、そのほかは寝台も、西洋㡡せいようがやも、洗面台も、それから明るい電燈の光も、ことごとく一瞬間以前と同じであった。
(新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
……もともと、ちんよう、朱のわれら三名は、賊となるとも義賊たらんと誓い、死ぬ時も一つにと、血をすすって義兄弟の約束をした仲でした。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
うむ、(きらりと佩刀はいとうを抜きそばむるとひとしく、藁人形をそのけものの皮に投ぐ)やあ、もはやちんじまいな、おんな。——で、で、で先ず、男は何ものだ。
多神教 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「この儀ならぬとのごじょうにませば、ご紋の御旗みはたいただきたく、さすればこれを証拠の品とし、関東方へ引き渡し、合戦いたせしと申しちんじまする」
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
(八) 孔子がちんさいの間にあった時、楚は人をして孔子をへいせしめた。陳・蔡の大夫はこれを妨げんとした。楚の昭王は師をおこして孔子を迎えた。
孔子 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
その後、ていに行き、ちんに行き、再び衞に戻って来たのであるが、彼はそうした遊歴の間に、いやというほど諸侯の心情の浅ましさを見せつけられた。
論語物語 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
ちん郡の謝鯤しゃこんは病いによって官をめて、予章よしょうに引き籠っていたが、あるとき旅行して空き家に一泊した。
文登ぶんとう景星けいせいは少年の時から名があって人に重んぜられていた。ちん生と隣りあわせに住んでいたが、そこと自分の書斎とは僅かに袖垣そでがき一つを隔てているにすぎなかった。
阿霞 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
「分るねえ、ちんさん、赤い火がゆれているのまで分るさ。声も足音もちゃんと聞えるし……」
雲南守備兵 (新字新仮名) / 木村荘十(著)
そこで私ははっと気がつきました。こののろしはちん氏があげているのだ、陳氏が支那式黄竜の仕掛け花火をやったのだと気がつきましたので、大悦おおよろこびでみんなにも説明しました。
ビジテリアン大祭 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
貴墨きぼく拝見つかまつり候、あらたに師を失いたる吾々が今日に処するの心得いかんとの御尋おたずね、御念入の御問同憾どうかんいたりに候、それにつき野生も深く考慮を費したる際なれば、腹臓なく愚存ぐぞんちんもうすべく候
師を失いたる吾々 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
聞けばこの母親娘がある屋敷やしき奥向おくむき奉公中ほうこうちう臨時りんじ頂戴物てうだいものもある事なればと不用分ふようぶんの給料を送りくれたる味の忘られず父親のお人よしなるに附込つけこみて飽迄あくまで不法ふはふちんじたるものゝよしそろ
もゝはがき (新字旧仮名) / 斎藤緑雨(著)
秦王しんわうもつしかりとし、(一一八)くだしてをさめしむ。李斯りしひとをして(一一九)くすりおくらしめ、自殺じさつせしむ。韓非かんぴみづか(一二〇)ちんぜんとほつすれどもまみゆるをざりき。
君子の信ずるところは小人の疑うところとなり、老婆のやすんずる所は少年の笑うところとなる。新をむさぼる者はちんきらい、古を好む者はあやしむ。人心のおなじからざる、なおその面のごとし。
教門論疑問 (新字新仮名) / 柏原孝章(著)
一行が招かれての昭王のもとへ行こうとした時、ちんさいの大夫共が相計り秘かに暴徒を集めて孔子等を途に囲ましめた。孔子の楚に用いられることをおそれこれを妨げようとしたのである。
弟子 (新字新仮名) / 中島敦(著)
支那では姓の者は到る処に李家屯を作り、ちん姓の者は必ず陳家荘を立て、その姓を変じないのに反して、日本では新住者はもとの氏をしまっておき、他人からは現在の居所の地名をもって呼ばせている。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
なれいかにちんじ泣くとも、あるは、また
邪宗門 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
申立よとありしに勘兵衞是は南無三と思ひしがかくせるだけ隱さんと私し事與市とひたるおぼえ之なし元來もとより勘兵衞と申候とちんずるを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
(三)佐藤春夫、「キイツの艶書の競売に附せらるる日」と題する詩をしたりとは聞えず。賦すとは其事をちんずるなり。転じて只詩を作るに用ふ。
念仁波念遠入礼帖 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
ちんにおいでの時に、食糧攻めにあわれた。お伴の門人たちは、すっかり弱りきって、起きあがることも出来ないほどであった。子路が憤慨して先師にいった。——
現代訳論語 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
大成はちん姓の家からおさ珊瑚さんごという女をめとったが、大成の母のしんというのは、感情のねじれた冷酷な女で、珊瑚を虐待したけれども、珊瑚はすこしもうらまなかった。
珊瑚 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
すると私のおどろいたことはこの時までうでこまねいてじっとすわっていたちん氏がいきなり立って行ったことでした。支那しな服で祭壇に立ってはじめて私の顔を見て一寸かすかに会釈えしゃくしました。
ビジテリアン大祭 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
劉琦りゅうきは、前の妻ちん夫人の腹であり、次男劉琮りゅうそうは、さい夫人のした子である。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
紇は後にちん武帝ぶていのために誅せられたが、彼は平素から江総こうそうと仲がよかった。江総は紇の子の聡明なるを愛して、常に自分の家に留めて置いたので、紇のほろびる時にもその子は難をまぬかれた。
ひとをしへをかないで、銀座ぎんざにも、新宿しんじゆくにも、バーの勝手かつてらないから、たびさきで不自由ふじいうする。もつとも、のち番頭ばんとうちんじたところでは、女中ぢよちうとの詮衡上せんかうじやう花番はなばんとかにあたつたからださうである。
木菟俗見 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
聞今さら何ともちんずべき樣なく赤面せきめん閉口へいこうなし甚だ恐れ入候旨答へければ大岡殿には彌々いよ/\以て申わけなきやと申さるゝに三人口を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
昔、孔子が門人たちと共に天下を巡歴して、ちんの国とさいの国の国境近くを通っていた時、無道の人たちに囲まれ、糧食を断たれて飢え死にしそうになったことがありました。
青年の思索のために (新字新仮名) / 下村湖人(著)
書類が一山片づいたのちちんはふと何か思い出したように、卓上電話の受話器を耳へ当てた。
(新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
「そうでない。ここらをあるいてるものは、みんなちんのようないやしいやつばかりだが、ほんとうの支那人なら、いくらでもえらいりっぱな人がある。われわれはみな孔子聖人こうしせいじんの末なのだ。」
山男の四月 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
衞の霊公陣れいこうじんを孔子に問う。孔子対えて曰く、俎豆そとうの事は則ち嘗て之を聞けり。軍旅の事は未だ之を学ばざるなりと。明日遂にる。ちんに在りて糧を絶つ。従者病みて能くし。
論語物語 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
「私についてちんさいを旅した門人たちは、今はもう一人も門下にはいない。」
現代訳論語 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
ちん司敗しはいがたずねた。——
現代訳論語 (新字新仮名) / 下村湖人(著)