豊前ぶぜん)” の例文
旧字:豐前
豊前ぶぜん乳母うばの娘が参ったと仰っしゃって下されば、きっと、殿様も覚えておいで遊ばすことと存じます。お取次ぎくださいませ」
大谷刑部 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かくて如水は筑前に攻めこみ、久留米、柳川を降参させる、別勢は日向ひゅうが豊前ぶぜんに、更に薩摩に九州一円平定したのが十一月十八日。
二流の人 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
筑前ちくぜん筑後ちくご肥前ひぜん肥後ひご豊前ぶぜん豊後ぶんご日向ひゅうが大隅おおすみ薩摩さつまの九ヵ国。それに壱岐いき対馬つしまが加わります。昔は「筑紫ちくししま」と呼びました。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
豊前ぶぜん筑後ちくごは好く存じませんが、筑前ちくぜん殊に福岡は鷹揚おうような人が多い、久留米くるめなどのこせ/\した気性に比ぶれば余程男らしい処があります。
福岡の女 (新字旧仮名) / 伊藤野枝(著)
豊前ぶぜん元松もとまつという村の丹波大明神なども、四度もお社を作り替えて、だんだんに神殿を大きくしなければならなかったといっておりました。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
朝敵とめいついて、ソコで将軍御親発ごしんぱつとなり、又幕府から九州の諸大名にも長州にむかって兵を出せと云う命令がくだって、豊前ぶぜん中津なかつ藩からも兵を出す。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
兄九郎兵衛一友かずともは景一が嫡子にして、父につきて豊前ぶぜんへ参り、慶長十七年三斎公に召しいだされ、御次勤おんつぎづとめおおせつけられ、後病気により外様勤とざまづとめと相成り候。
興津弥五右衛門の遺書 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
先年五月以来の長州藩が攘夷の実行は豊前ぶぜんうらにおけるアメリカ商船の砲撃を手始めとして、しもせき海峡を通過する仏国軍艦や伊国軍艦の砲撃となり
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
生滅々為して地上に栖息せいそくしている人の記録は昔と今と余り変りが無いともいえる。今行幸道路を隔てて見ゆる海上ビルデングのあたりには松平豊前ぶぜんが住まっていた。
丸の内 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
その途中、豊前ぶぜん宇佐うさにお着きになりますと、その土地の宇佐都比古うさつひこ宇佐都比売うさつひめという二人の者が、御殿ごてんをつくってお迎え申し、てあつくおもてなしをしました。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
豊前ぶぜんの細川、筑後の田中、肥前の鍋島及び唐津の寺沢、土佐の山内、長門ながとの毛利、阿波あわの蜂須賀、伊予の加藤左馬之助、播磨の池田、安芸あきの福島、紀伊の浅野等をはじめとして
大菩薩峠:29 年魚市の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
九州では彦山の豊前ぶぜん坊、四国では白峯の相模坊、大山たいせん伯耆ほうき坊、猪綱いのつなの三郎、富士太郎、大嶺の善鬼が一統、葛城天狗、高間山の一類、その他比良岳、横川岳、如意ヶ岳、高尾
鼻の表現 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
ってのとおりこの狂言きょうげんは、三五ろうさんの頼朝よりともに、羽左衛門うざえもんさんの梶原かじわら、それに太夫たゆう鷺娘さぎむすめるという、豊前ぶぜんさんの浄瑠璃じょうるりとしっくりった、今度こんど芝居しばいものだろうじゃねえか。
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
この比事歌一篇は赤羽橋あかばねばしに住したその友牧野鉅野まきのきょやに贈ったものである。鉅野と竹渓との交際ははなはだ親密であったらしい。鉅野は名を履、字を履卿といい豊前ぶぜん小倉の人。林述斎の門人である。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
づはとどこおりなく大阪へ——それから豊前ぶぜんへ廻つて、中津なかつの米を江戸へ積んで、江戸から奥州へ渡つて、又青森から津軽藩の米をことづかつて、一度品川まで戻つたところあらためて津軽の材木を積むために
印度更紗 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
近衛このえ殿老女村岡、御蔵おくら小舎人こどねり山科やましな出雲、三条殿家来丹羽豊前ぶぜん、一条殿家来若松もく、久我殿家来春日讃岐さぬき、三条殿家来森寺困幡いなば、一条殿家来入江雅楽うた、大覚寺門跡もんぜき六物ろくぶつ空万くうまん、三条殿家来富田織部。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
伊勢国(山田、松阪、津、一身田、四日市、桑名) 尾張国(名古屋、熱田、津島、大野、半田) 三河国(豊橋、岡崎、北大浜、西尾、蒲郡、豊川) 遠江とおとうみ国(掛川、浜松、平田、中泉) 駿河するが国(静岡、小川、清水、藤枝) 相模さがみ国(大磯) 武蔵国(忍) 上総かずさ国(千葉、茂原) 近江おうみ国(大津、豊蒲、五ヶ荘、愛知川、八幡、彦根、長浜) 美濃国(岐阜) 上野こうずけ国(安中、松井田、里見、高崎、八幡) 岩代いわしろ国(福島) 陸前国(築館、一迫) 陸中国(盛岡、花巻) 陸奥むつ国(弘前、黒石、板屋野木、鰺ヶ沢、木造、五所川原、青森、野辺地) 羽前うぜん国(米沢、山形、寒河江、天童、楯岡、新庄、鶴岡) 羽後うご国(酒田、松嶺、湯沢、十文字、横手、沼館、六郷、大曲、秋田、土崎、五十目、能代、鷹巣、大館、扇田) 越後国(新井、高田、直江津、岡田、安塚、坂井、代石、梶、新潟、沼垂、葛塚、新発田、亀田、新津、田上、加茂、白根、三条、見附、浦村、片貝、千手、六日町、塩沢、小出、小千谷、長岡、大面、寺泊、地蔵堂、新町、加納、野田、柏崎) 丹波国(亀岡、福知山) 丹後国(舞鶴、宮津、峰山) 但馬たじま国(出石、豊岡) 因幡いなば国(鳥取) 伯耆国(長瀬、倉吉、米子) 出雲国(松江、平田、今市、杵築) 石見いわみ国(波根、太田、大森、大国、宅野、大河内、温泉津、郷田、浜田、益田、津和野) 播磨はりま国(龍野) 備前びぜん国(閑谷) 備後びんご国(尾道) 安芸国(広島、呉) 周防すおう国(山口、西岐波、宮市、徳山、花岡、下松、室積、岩国) 長門ながと国(馬関、豊浦、田辺、吉田、王喜、生田、舟木、厚東、萩、秋吉、太田、正明市、黄波戸、人丸峠、川尻、川棚) 紀伊国(高野山、和歌山) 淡路国(市村、須本、志筑) 阿波国(徳島、川島、脇町、池田、撫養) 讃岐さぬき国(丸亀、高松、長尾) 伊予国(松山、宇和島、今治) 土佐国(高知、国分寺、安芸、田野、山田、須崎) 筑前国(福岡、若松) 筑後国(久留米、吉井) 豊前ぶぜん国(小倉、中津、椎田) 豊後ぶんご国(日田) 肥前ひぜん国(長崎、佐賀) 肥後ひご国(熊本) 渡島おしま国(函館、森) 後志しりべし国(江差、寿都、歌棄、磯谷、岩内、余市、古平、美国、小樽、手宮) 石狩国(札幌、岩見沢) 天塩てしお国(増毛) 胆振いぶり国(室蘭)
妖怪学講義:02 緒言 (新字新仮名) / 井上円了(著)
遠くは、薩摩さつま日向ひゅうがから。もちろん豊前ぶぜん肥前ひぜんの沿海からも徴集し、しかもそれは戦艦として使える堅牢な船質でもなければならない。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
佐賀県および豊前ぶぜんの一つの報告では、ネン木は通例はぐな棒だが、時には枝附きのものを大事にして持っておる子がある。
こども風土記 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
豊前ぶぜん小倉こくらといえば、すぐ「小倉縞こくらじま」とか「小倉織こくらおり」とかいう言葉が浮ぶほどこの織物は有名でありました。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
福澤諭吉の父は豊前ぶぜん中津奥平おくだいら藩の士族福澤百助ひゃくすけ、母は同藩士族、橋本浜右衛門はしもとはまえもんの長女、名を於順おじゅんと申し
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
島田虎之助は剣禅一致の妙諦みょうていに参じ得た人です。もと豊前ぶぜん中津の人。
私は豊前ぶぜん小倉こくらに足掛四年いた。そのはじめの年の十月であった。六月の霖雨りんうの最中に来て借りた鍛冶町かじまちの家で、私は寂しく夏を越したが、まだその夏のなごりがどこやらに残っていて、暖い日が続いた。
二人の友 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
みつは豊前ぶぜん中津なかつの城主奥平大膳太夫昌服おくだいらだいぜんたいふまさもとの家臣佐藤某の女である。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
豊前ぶぜん小倉こくらで、……葉越はごしと言います。」
草迷宮 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
えん優婆塞うばそくの流れを汲む豊前ぶぜん僧都そうずと自分から名乗って、あの辺では、信者も多く、えろう権式ぶっている修験者しゅげんじゃだそうでござります
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
豊前ぶぜん築上ちくじょう郡などではこの木の棒をネンギ、伊予いよ宇和島うわじまではこれをキネンといい、またネンガリともいうのは日本海側のネンガラと似ている。
こども風土記 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
頃は明治三年、私が豊前ぶぜん中津なかつへ老母の迎いにまいって、母と姪と両人を守護して東京にかえったことがあります。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
「その島田虎之助殿は、もと豊前ぶぜん中津の藩中でござろうがな」
そう考えてくると、細川忠利ただとしもまた、近く豊前ぶぜんの小倉に帰国の噂がある。三斎公が老年なので、忠利の帰国願いは、かなり前から幕府へ提出されていた。
宮本武蔵:07 二天の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
たとえば下野の宇都宮家が豊前ぶぜん城井きいに新恩の地を貰って行けば城井氏となり、さらにこの家から肥後の内古閑うちのこがに移住して行けば、内古閑氏となった類である。
名字の話 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
それは細川家が豊前ぶぜん小倉の領地から熊本へ移封された時のこと——その入城式に、忠利は熊本城の大手の正門で駕籠を下り、衣冠着用のまま、新莚あらむしろに坐って
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
豊前ぶぜんの宇佐地方ではこの草をネバリブツ、フツは餅草即ちヨモギのことだから、それに比べると粘りが多いか、または葉の表面が真綿ねばしのようなもので覆われているという意味であろう。
いや、彼が豊前ぶぜん小倉へ着任してみると、そういう期待は、果然、中国、九州の民間にも、各藩の剣人たちのうちにも持たれていたのが、意外なくらいであった。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大和の月ヶ瀬のごときも月瀬つきせが本当であろう。拙堂せつどうの文章などから誤られたのかも知れぬ。山陽の紀行が一たび出てからは、豊前ぶぜんの山国谷は土地の車夫までが耶馬渓やばけいというようになった。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
岩間角兵衛だの、新参の小次郎だのの一行は、その先発として、本国豊前ぶぜんの小倉へ向う途中であった。
宮本武蔵:07 二天の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
佐渡の外海府そとかいふでスッポンポンまたはポンポンスイカ、豊前ぶぜん宇佐うさ郡でもスッポンポンというのを見ると、山でこの植物を折取る時の興味が、スカンポという語の人望を助けたかと思うが
大膳は新当流を以て久しく家康に手をとって師範していたが、その嫡流ちゃくりゅうの絶えたため、後に家康は、その孫の有馬豊前ぶぜんに家名を継がせ、一族を紀州家に転職させている。
剣の四君子:05 小野忠明 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
豊前ぶぜん下毛しもげ郡和田村大字田尻字間崎
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
「もし、間違いましたら、おゆるし下さいまし。みちで失礼にございますが、尊台はもしや、豊前ぶぜん小倉よりお越しの、細川忠利ただとし公の老臣長岡佐渡様ではござりますまいか」
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
豊前ぶぜん宇佐郡津房つぶさ村大字板場字芥神
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
関ヶ原の戦後、功によって細川忠興ただおきは、豊前ぶぜん小倉の太守に封ぜられたが、家康が基督キリスト教に対して弾圧だんあつ政治をいた後も、その小倉では、なお幾つもの礼拝堂が黙認されていた。
ヒガンボウズ 豊前ぶぜん一部
しかし父官兵衛孝高よしたかが早くも薙髪ちはつして、その封土豊前ぶぜん十六万石の家督を譲っているので、長政は若くしてすでに一城のあるじであり、京大坂にあっては、錚々そうそうたる若手の武将だった。
剣の四君子:02 柳生石舟斎 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
飯尾豊前ぶぜんも、彼と同じ今川家の被官ひかんなので、この地方の民治警備には、たえず連絡をもち、また、四隣の国、——徳川とくがわ織田おだ武田たけだなどの侵略にも、常に備えなければならなかった。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
豊前ぶぜん通いの便船なら、飾磨しかまへは必ず寄る筈。一夜は、積荷を下ろすため、泊りとなろう。藩の人々も、出迎えに行くが、そなた達は、人目につかぬように、川尻の小舟にいたがよい。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
当主の細川三斎公は、豊前ぶぜん小倉の本地にいて、江戸の藩邸にいることはなかった。
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これより先、慶長十五年に幽斎が七十七歳の高齢で歿した時も、三斎は先考せんこうのために一寺を豊前ぶぜんに建立して、沢庵に住持たらんことを懇請している。尤もこれは、沢庵の都合で実現は見なかったが。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
武藤豊前ぶぜんノ次郎という者が
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
豊前ぶぜんへ行くんだって」
宮本武蔵:07 二天の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)