藻掻もが)” の例文
煩悶の内容こそ違え、二葉亭はあの文三と同じように疑いから疑いへ、くるしみから苦みへ、悶えから悶えへと絶間なく藻掻もがき通していた。
二葉亭追録 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
そして警句が出れば出る程、忘れる筈の一件が矢鱈やたら無上むしょうに込み上げて、いくら振り落そうと藻掻もがいても始末に悪い事になるのだ。
The Affair of Two Watches (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
女の子は、こういうと烈しく咳をして、からだを藻掻もがくようにした。昂奮こうふんしすぎたせいか、こんどは反対にうとうと睡り出した。
音楽時計 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
あの時、兄は事務室のテーブルにいたが、庭さきに閃光せんこうが走ると間もなく、一間あまり跳ね飛ばされ、家屋の下敷になって暫く藻掻もがいた。
夏の花 (新字新仮名) / 原民喜(著)
と三好は夢中になって藻掻もがいたが、白坊主の力は意外に強く、肩先を羽がい締めにして来るので呼吸いきが詰まりそうになって来た。
オンチ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
まず甲羅の裾の柔らかいところを掴んで俎上に運び、腹の甲を上向けにするとすっぽんは四肢を藻掻もがいて自然のままに起き上がろうとする。
すっぽん (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
いつか、人混の中へ織り込まれていたかの女は、前後の動きの中に入ってかえって落着いた。「藻掻もがいてもしようがない。いて行くまでだ」
母子叙情 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
私なども……覚えが有るが、村の人々に一度信用せられぬとなると、もう何んなに藻掻もがいても、とても其村では何うする事も出来なくなる。
重右衛門の最後 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
翌朝、蒲団ふとんの上に坐って薄暗い壁を見詰みつめていた吉は、昨夜夢の中で逃げようとして藻掻もがいたときの汗を、まだかいていた。
笑われた子 (新字新仮名) / 横光利一(著)
そうして検屍の証明では、「生前、水に落ちて水底に藻掻もがいたから、十本の指甲つめの中には皆河底の泥が食い込んでいる」と。
白光 (新字新仮名) / 魯迅(著)
さながら蠅取り紙に足を取られた銀蠅の、藻掻もがけば藻掻くほど深みに引き込まるる、退くも引くも意に任せず、ここに全く進退きわまった様子。
藻掻もがいてゐるところを、後から跟けて來た曲者が、塀の下に置いてある刀を拜借して、力任せに尻から突つ立てた——といふことになりませう
これはむしろ、小心者の、何事をも躊躇ばかりしていて、結局は何事も決断の出来ないような、藻掻もがくような焦燥に起因している病状であった。
然し彼女は葛城が堕落に向いつゝあるものと考えた。何ともして葛城を救わねばならぬと身を藻掻もがいた。彼女は立っても居ても居られなくなった。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
首をって見るが、其様そんな事では中々取れない。果は前足で口のはた引掻ひッかくような真似をして、大藻掻おおもがきに藻掻もがく。
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
現在の「きたない絵」を描く人達は古い伝統を離れようとして新しい伝統の穴に陥って藻掻もがいているようである。
二科展院展急行瞥見 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
そして、藻掻もがく手足を押込んでしまうと、袋の口を麻縄ロープで厳重にゆわいてしまった。ああ、僕は、こんどこそ海底の藻屑もくずと消え失せなければならないのか。
怪奇人造島 (新字新仮名) / 寺島柾史(著)
しかしそれらは軽い方で、重いのになるとその奇怪の症状を幾日も続けているうちに、とうとう病み疲れて藻掻もがき死にの浅ましい終りを遂げる者もあった。
半七捕物帳:30 あま酒売 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
それは、最早や藻掻もがくことを止めて、ぐったりと死人の様に横わっていた、T氏の口かられるらしく感じられた。氷の様な戦慄が私の背中を這い上った。
赤い部屋 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
そんなことでは縦令たといお前がどれ程齷齪あくせくして進んで行こうとも、急流をさかのぼろうとする下手へたな泳手のように、無益に藻掻もがいてしかも一歩も進んではいないのだ。
惜みなく愛は奪う (新字新仮名) / 有島武郎(著)
ト大様にながめて、出刃を逆手さかてに、面倒臭い、一度に間に合わしょう、と狙って、ずるりと後脚をもたげる、藻掻もがいた形の、水掻みずかきの中に、くうつかんだ爪がある。
露肆 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
露月はアッと叫びざま、虚空をつかんでうめいたが、呉羽之介は猿臂えんぴを伸して藻掻もがく相手を組伏せたまま、小刀逆手さかてにズバズバと細首をき切って了いました。
艶容万年若衆 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
しまったと足を抜こうとするとまたずるりと吸い入れられる。はや腰までは沼の中だ。藻掻もがく、引っ掻く、だが沼は腰から腹、腹から胸へと上って来る一方だ。
いのちの初夜 (新字新仮名) / 北条民雄(著)
思うさま叫んでくれ! 虚空さえつかみ損ねて呻吟しんぎんしているおれのために!……——そうして彼は彼自身の心臓を虚空へ掴み出して投げ捨てたかのように藻掻もがいた。
あめんちあ (新字新仮名) / 富ノ沢麟太郎(著)
しかし何分にもかゆくて藻掻もがきだす。そこであの近所にある一軒の薬屋を叩き起して、かゆみ止めの薬を売って貰う。——どうだ、この先はどこへ続いていると思う
地獄街道 (新字新仮名) / 海野十三(著)
此處ここはどこなのかしら——彼女かのぢよあがらうと意識いしきなかでは藻掻もがいたが、からだ自由じいうにならなかつた。
彼女こゝに眠る (旧字旧仮名) / 若杉鳥子(著)
まわればまわられるものを、恐しさに度を失って、刺々とげとげの枝の中へ片足踏込ふんごんあせって藻掻もがいているところを、ヤッと一撃ひとうちに銃を叩落して、やたらづきに銃劔をグサと突刺つッさすと
島田は狂気のように叫びながら自由のきかぬ手をしきりにふりほどこうとして藻掻もがきました。
祭の夜 (新字新仮名) / 平林初之輔(著)
しかし、そういう無自覚の間にも、絶えず物を考えようとする力が、藻掻もがき出てくるのだったが、それはほんの瞬間であって、再び鈍い、無意識の中に沈んでしまうのだった。
白蟻 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
「ああ既ういけない。とても堪らない」彼の心は泣き叫んだ。からだ藻掻もがく様に振動させた。
偽刑事 (新字新仮名) / 川田功(著)
あゝ、てん飽迄あくまで我等われらたゝるのかと、こゝろ焦立いらだて、藻掻もがいたが、如何いかんとも詮方せんかたい。
幸雄が藻掻もがけば藻掻くほど、腕を捉えている手に力が入ると見え、彼は顔をしかめ全身の力で振りもぎろうとしつつ手塚と医員とを蹴り始めた。朝日を捨てて、詰襟の男が近よった。
牡丹 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
袋は厭いやをしたり藻掻もがいたり、痙攣けいれんしたり縮まったり、ぐっと伸びたり跳ね上ったりした、彼は汗みずくになって格闘した結果ようやくそいつを捻伏せたが、栄之助は不作法にも
評釈勘忍記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
つい義理で判をいてったのがもとで、立派な腕をちながら、生涯社会の底に沈んだまま、藻掻もがき通しに藻掻いている人の話は、いくら迂闊うかつな彼の耳にもしばしば伝えられていた。
道草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
怪しい男に抱えられて、藻掻もがきつづけながら運ばれて行った子供の姿が、まぶたの裏に浮上って来た。私はいよいよ固くなりながら、前の方を絶えず透し見てはスキーの跡をつけて行った。
寒の夜晴れ (新字新仮名) / 大阪圭吉(著)
逃げ足が遅いだけならまだしも、わずかな紙の重みの下で、あたかもはりに押えられたように、仰向あおむけになったりして藻掻もがかなければならないのだった。私には彼らを殺す意志がなかった。
冬の蠅 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
時々、取られた両腕を振りはなさうと藻掻もがいてゐる様子であつた。
双面神 (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
伸子は激しく身を藻掻もがきながら振り返った。友木の顔を見ると
罠に掛った人 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
どこまで藻掻もがいても同じことだ——
苦力頭の表情 (新字新仮名) / 里村欣三(著)
すると、そのうちに、こうして藻掻もがいている私のすぐ背後で、誰だかわかりませんがかすかに、いきをしたような気はいが感ぜられました。
死後の恋 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
遠山の雪のひっ切れた藻掻もがき苦しむ純白の一塊に見えて、動かぬ沼の水面はますます鮮かな静けさを増して来る夕暮どき——
藻掻もがいて居るところを、後からけて来た曲者くせものが、塀の下に置いてある刀を拝借して、力任せに尻から突っ立てた——ということになりましょう
藻掻もがきたくても体は一寸も動かぬ。そのうちに自分のからだは深い深い地の底へ静かに何処までもと運ばれて行く。もう苦しくはないが、ただ非常に心細い。
枯菊の影 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
ドアを開閉する音も静かに、珠子の身体は軽々と車の外へ運び出され、一人は頭部を、一人は足を、二人の男手にしっかと支えられて、藻掻もがくにも藻掻かれず
妖虫 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
仰向あおむけになって鋼線はりがねのような脚を伸したり縮めたりして藻掻もがさまは命の薄れるもののように見えた。しばらくするとしかしそれはまた器用にはねを使って起きかえった。
カインの末裔 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
少なくともおれの感情……おれの最もうるわしい感情を、おれがおれの胸の奥底へおし隠してこのかた、おれはその感情を汲み出そう汲み出そうと藻掻もがきつづけた。
あめんちあ (新字新仮名) / 富ノ沢麟太郎(著)
「世なおしだ! 世なおしだ!」と人間の渦は苦しげに叫びあって押合いひしめいている。人間の渦は藻掻もがきあいながら、みんな天の方へ絶壁をいのぼろうとする。
鎮魂歌 (新字新仮名) / 原民喜(著)
そしてゴロリと上向うわむきになると、ビクビクと宙に藻掻もがいていた六本の脚が、パンタグラフのような恰好かっこうになったまま動かなくなってしまった。私はほっと溜息をついた。
(新字新仮名) / 海野十三(著)
まだまだと云ってるうちにいつしか此世のひまが明いて、もうおさらばという時節が来る。其時になって幾ら足掻あがいたって藻掻もがいたって追付おッつかない。覚悟をするなら今のうちだ。
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
左の中指と右の人さし指の爪が少し欠けけている。それらを綜合して考えると、主人は他人ひとに絞められて、その絞め縄を取りのけようとして藻掻もがきながら死んだのである。
半七捕物帳:50 正雪の絵馬 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)